モンスターがあふれる世界で最強にならないと生き残れない転生
一ノ瀬るちあ@『かませ犬転生』書籍化
1章
第1話 後悔のやり直し
人生に焦りを覚えたのは、同級生に子どもができた時だった。
奥さんはめちゃくちゃ美人。
しかも、ベンチャー企業の社長をしていて、東京に自社ビルを一棟有していると言っていた。
彼が立派な人生を紡いでいた裏で、俺は何をしていたんだろう。
ふと、そんなことを思った。
特別不幸な人生だったわけじゃない。
小、中、高は地元の学校に通い、独り暮らしを始めたのは大学から。
営業職に就けるほどコミュ力は無かったから、文系でも採用してもらえるSIerに就職。
山も無ければ谷もない。
俺が歩んだ人生という軌跡は、あらゆるすべてが平らに均された跡が残っている。
趣味だってない。作ろうとしたことすらなかった。
平日の夜は風呂に入って寝るし、土日は動画を見るか、溜まった家事を消化するかのどちらか。
刺激も変わり映えもない毎日。
「なんで俺、こんな生き方してんだっけ」
空のビール缶を積み上げる。
ガキの頃はもっと何でもできると思っていた。
信号機のボタンを連打する同級生をいさめる程度には正義感も持ち合わせていた。
いつからだろう。
人の顔色ばかり気にして、下手な愛想笑いを繕うようになったのは。
ため息がこぼれる。
食費も家賃も自分で稼げている。
人の役に立つ仕事もしてる。
十分やっているはずだ。
それなのに、どうして、胸の内には漠然とした不安が渦巻いているんだろう。
ふとスマホから目を離すと、部屋が暗がり始めていた。
部屋の明かりを灯そうとして、蛍光灯が球切れしていたことを思い出す。
「あー、電気買わなきゃ」
面倒だが、休日のうちに済ませないと、どうせ平日に球交換するだけのバイタリティが残っているはずもない。
仕方がないので、近くの家電量販店へと自転車を走らせる。
夕暮れ時ってのは存外短く、外出の準備をしている間に日は暮れ落ちてしまった。
地元なら夏の大三角が見える時季の空も、この町では星もたたえずに広がっている。
なんだか少し肌寒くなってきて、交差点で、早く信号変わらないかな、と思っていた時だった。
「……?」
背後から、ひたひたと怖気がにじり寄る。
頭がズキズキと痛む。
振り返る。
けれど、そこにはなにもいない。
「気のせい、か」
つぶやき、再び横断歩道に向き直ろうとして――
河川に咲く花の蜜みたいな吐息が、顔に吹きかけられた。
ペダルにめいっぱい力を入れて、ハンドルを切り、自転車を走らせようとした。
信号はちょうど青になったタイミングだった。
だけど自転車は一向に進まず、どころか、後輪が異音を叫んだ。
けたたましい破砕音を立てて、俺の体は横断歩道の向こうへと転がっていた。
「がはッ⁉」
頭が真っ白になる。
背中から強く打ち付けられたせいで、呼吸のたびに肺に激痛が走る。
(なんだよ、なにが起きてるんだよ!)
半ば錯乱しながら、走った。
とにかく、遠くへ。
パニックに陥った脳で考えられたのはそれだけだ。
「こっち!」
路地の陰から人の手が伸びて、俺の腕を掴んだ。
わけもわからぬまま従って、それが混乱をさらに加速させる。
俺の腕を引いて走っているのは、どう見ても中学生くらいの、制服を着た女の子なのである。
黒髪を後ろ手にかんざしで束ねた少女は、俺の手を引いて、ぐいぐいと前へ前へと駆けていく。
少しして、区役所横の公園の木陰に身を隠し、ようやっと俺は一息ついた。
「(静かに)」
口を開きかけた俺の唇に人差し指を当てて、少女は鋭く言い放った。
俺が息を呑みながら頷くと、満足げに少しだけ口角を緩めて、それから、かんざしを引き抜くと、その先端を彼女の親指へと押し付けた。
ぷくりと血玉が膨れ上がる。
思わず目を閉じてしまった俺の額に、少女の指らしきものが押し当てられる。
「(いま、あなたと私に縁を結んだ。あれが見える?)」
恐る恐る目を開ける。
木陰から少しだけ身を乗り出して、少女が指さす方角をのぞき込む。
何もあるはずがない。
そのはずなのに、そこに……おぞましい、怪物がいた。
言葉にするなら人の骨肉の集合体。
毛の生えた心臓のように何本もの手足が伸びていて、しかものっぺりした人の顔が肺胞のように詰め込まれている。
少女が声を潜めていた理由はこいつだと、すぐに理解した。
「(なんだあれは、君は誰なんだ。俺はいったい、何に巻き込まれているんだ)」
「(私は
少女は静かに目を伏した。
「(残念だけど、やつらは執念深いの。一度狙われたら最後、どこまでもあなたに付きまとう。逃げ場なんてない。だから――)」
少女の手に握られていたかんざしから、黒い刃が伸びる。
「(私が封伐する。あなたはここから絶対に動かないで、命が惜しかったらね)」
それから、小さな戦争が始まった。
黒髪を揺らす少女が、肉塊のような怪物を踊るように細切れにしていく。
美しい、と思った。
少女が血振りして、かんざしから黒い刀身が霧散する。
ようやく呼吸を思い出し、肺にたまった空気を全部吐き出して、気づいた。
永遠にも思えた演舞のような斬り合いは、呼吸を止めていられるほど短い時間の出来事でしかなかったのだと。
「……こちら豊雲。『
スマホを取り出し、少女が淡々と報告作業をこなしている。
それを岡目で見ていた俺だけが、気づいた。
細切れにされた人肉が、いまもうごめいていて、少女の隙を虎視眈々と狙っている。
そして、少女が報告を終了しようとした瞬間を狙いすましたように、勢いよくとびかかった。
だから、とっさに――
「まだ終わってない!」
身を挺して、その射線上に、肉壁として割り込んだ。
胸のど真ん中を、怪物の腕が穿ち貫く。
「ガ……ッ」
やっちまった。
言われたのに、隠れていろって。
「馬鹿! どうして出てきたのよ!」
かんざしが再度黒い刀身を伸ばした。
俺の胸に風穴をぶちあけた腕は切り落とされた。
胸に手を当ててみると、どろりとねばつく血が手のひらに塗れる。
ああ、くそ。世の中理不尽だ。
どうして俺がこんな目に合わなければいけない。
見上げる夜空はからっぽだ。
何もない。何も残らない。
「……ぁ」
一番星が、瞬いていた。
お先真っ暗な人生だったけど、最後の最後に、将来有望そうな少女の未来を守れた。
途中式は、だいぶ間違えたけど。
もっと最初から、全力で取り組んでいればよかった。
そうすれば、何か変わったかもしれない。
何も変わらなかったとしても、こうして今際の際に、後悔しか残らない、なんて嘆かなくて済んだかもしれない。
(悔しいな)
視界がくらんでいく。
俺という存在が、世界から遠のいていく。
制服の少女が、死を悼むように、声を絞り出した。
◇ ◇ ◇
目が覚めることに違和感を覚えるのは、人生で初めての出来事だった。
(どこだ、ここ)
天井から察するに木造家屋。
病院ではなさそうだが、俺の部屋でもない。
なおさらどこだ。
身を起こそうと腹筋に力を入れようとして、違和感に気付く。
体が重く、上半身が動かせない。
じっとり、背中が汗ばむ。
「ぁぅ」
助けを呼ぼうとしても、出てきたのは、かすれたうめき声。
一命はとりとめたが、後遺症が残った。
そんなところだろうか。
(胸のど真ん中をぶち抜かれたんだ、当たり前か)
まさかこの期に及んで、生き恥を重ねるとは思わなかった。
泣きそう。
てか泣く。
あれ、俺ってこんなに涙腺弱かったっけ?
「ソラ、おなかすいたの?」
その一言の間に、三つの謎が錯綜した。
ひとつ、先ほどの少女――
ふたつ、しなやかな腕が伸びてきて、体重八十キロを超える俺の体を軽々と持ち上げたこと。
みっつ、俺の呼び名が俺の名前と微塵もかすっていないこと。
少し遅れて、謎が追加でもう一つ。
「いまおっぱい出しますからね」
そう言って、いつのまにか大人びたかつての少女らしき人物は、恥じらいもなくポロリし始めたのである。
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