推しと散歩と夕陽とチューハイの味

「わぁ!景色がいいですね!」

お酒のせいか、夕陽のせいか、赤く染まる頬。

ハイキングコースの頂上の柵の前で少しとろんとした目をしながら美憂が微笑む。

足元も危ないし、お酒も入っているので俺は美憂と腕を組んで歩いていた。

美憂は楽しそうにしているがその足元は少し怪しい。初めてのお酒で少しハイになってるのかもしれない。

この状況になった理由を説明するには30分前に遡る事になる。


「せっかくお散歩コースがあるんですから一緒にいきましょう!」

バーベキューを楽しみ、猫に焼魚をほぐして食べさせた俺たちは今洗い物をしている。

すると美憂がそんなことを言い出した。

足元は怪しいし危険だと思ったがこんな楽しそうにしている美憂にダメだとは言えない。

普通に俺が支えればいいだろう。

「分かった。でも君は足元も怪しいし腕は組んでもらう。転んだら大変だしな。」

「りょかいです!」

言葉も少し怪しいがほんとに大丈夫だろうか。

一抹の不安を抱えながらも、俺達はハイキングコースへと歩を進めるのだった。


夕陽を見つめながら少し寂しそうな顔をした。

「どうした?」

彼女の表情が気になり俺は声をかける。

「私、社長令嬢だったんです。両親は忙しくてあんまり遊びにいくこともありませんでした。でも小学生の頃に一度だけこうして山に登り、夕陽を眺めたことがあります。少し…それを思い出してしまいました。」

彼女が身の上話をするなんて初めての事だ。

それにしても社長令嬢か。所作が一々綺麗なわけだ。家事は花嫁修行の賜物だろう。

そう言えば推しキャラの美麗も社長令嬢で親が死んで天涯孤独だった。

そんな彼女は生きていくために住み込みの仕事を見つけて、恋をして、幸せになる。

その過程が妙に涙を誘ったのを思い出した。

「そうか。ご両親は俺のとこで勤めている事を聞いて心配してないのか?」

美憂は首を振る。

「2人は故人です。だから私には身内は居ません。私にはもう帰る場所もない。」

そんな…。それじゃあ達也の親戚という話は嘘なのか?そうか幸枝さんか。お人好しのあの人が彼女を助けたのか。

「美憂…」

声を掛けると腕を掴む力が強まる。

目線を向けると目が合う。

そして美憂は苦笑いを浮かべた。

「…ごめんなさい。隠してる訳じゃなかったんです。ただ話す勇気がありませんでした。貴方のことを愛してしまったから。だって、こんな話卑怯じゃないですか。貴方は優しいからこんな話を聞いたら私と付き合うと言ってくれることはわかりきっていました。だからこそ言えなかった。伝えるなら付き合ってからだと決めていたんです。私は同情で私を選んで欲しいわけじゃないんです。だからこの話はここまでです。」

彼女は強い人だ。

いや恋が彼女を強くしたのかもしれない。

「結婚するまで私から話す事はしません。覚悟してくださいね?私は私にできる事で貴方を支えます。貴方にリアルの恋を教えて、必ず堕としてみせます。そしていつか子供ができて、貴方が幸せだなって思える家庭を作ってみせます。それが今の私の目標です。」

言い切って俺の目を真っ直ぐに見る。

「そうか。ならその話は今は聞かない。だけど一つだけ訂正させてくれないか?」

「えっ?」

「帰る場所はある。俺はもう君の料理無しでは満足できない体になってしまった。」

「それって…。」

俺は唾を飲み込む。

童貞にかっこいいことなんて言えない。

恋心なんてわからないし、この言い方が最低だってわかってる。だが一歩関係を進めたい。

今はそう思った。

「今から俺は最低な事を言う。こんな事を言ったら君に嫌われてしまうかもしれない。それでも言っていいか?」

「私が貴方を嫌うことがあると思いますか?知ってます?恋愛は先に堕ちた方が負けなんです。」

美憂が苦笑いを浮かべる。俺はそんな彼女を自分の方に引き寄せる。

抵抗もなく腕の中に美憂が入った。

「恋心とかは今だにわからん。もしかしたら俺は既に君に恋をしているのかもしれないし、そうじゃ無いかもしれない。自分で分かってないのにこんな事を言うのは君の心を弄ぶことだと分かってる。だけど俺は君と付き合ってみたいと本気で思っている。今から同僚じゃなくて恋人として生活してみないか?だが俺は嘘をつけない。好きという感情がどういうものなのか分かるまではきっと口にも出せない。すまん。だがこれは同情からの提案ではない。」

背中に回る腕に力が困る。

「ふふっ…。仕方ないですね。好きかは分からないけどとりあえず付き合ってくれ、なんて本当に酷い言葉です。でも嬉しいと思ってしまいます。だから当然返事は『おねがいします。』です。これも惚れた弱みですね。それに私のスタンスは変わりません。貴方を支えることで貴方に愛を教える。それだけです。あっ、お試しのお付き合いでも、お付き合いはお付き合いです。浮気は許しませんよ?」

「あぁ。勿論だ。付き合っている以上、君以外の女性に現を抜かすことはない。」

「そうですか。では…」

美憂が少しだけ体を離すと顔を上げて目を閉じる。俺はゴクリと唾を飲む。

いやしょうがないだろ?した事ないんだから。

スマートにとか無理。

つか展開早くね?こんなもんなの?

でも元カノに求められた時は嫌だったからしなかったっけ。

美憂にするのは嫌ではない。ならいいのか?

汗が滴る。かっこ悪いなと思う。

いけいけのカップルはなんか街中でもしてるやつとかいるけど真似できそうにない。

俺は美憂の頬に優しく触れて、そっと唇を重ねた。体に電流が走る。俺は思わず離れる。

美憂が目を開けて幸せそうに微笑み、頬を染めると目を閉じた。

「もう一回…。」

心臓が跳ねる。

美憂の事を大事にしたいと思った。

俺は求められるままにキスをする。

初めてのキスはほんのりとチューハイの味がした。


暗くなる前になんとかキャンピングカーに戻った俺たちは夕食を取る事にした。

俺は美憂が料理をしている間に外に出てタバコを吸っている。

達也に電話をかけてみた。

『あれ?キャンプにいってるんじゃなかったか??』

「あぁ。色々あって美優と付き合う事にしたんだ。」

『って事は話を聞いたってことか。』

「話の流れで少しだけ。でも全部は聞いてない。今話すのは卑怯だろうって美憂が。」

『そうか。すまんな。あの子は親戚の子じゃない。お前に嘘を吐いた。』

長い付き合いだが、達也が俺に嘘をついたことはない。こいつは裏表のない人間だ。嘘をつくとすれば自分の為じゃなくて誰かの為だ。

「いいよ。お前はお前なりに美憂を心配したんだろ?ありがとな。」

『よせやい。俺は同情から動いただけだ。たけどお前は同情からは動かない。長い付き合いだから知ってるよ。そんなお前にあの子を任せたかったんだ。』

「そうか。」

『それにどうせまだ好きってなんだ?とか悩んでるんだろ?ありのままに接してやってくれよ。たぶん今の彼女にはそういうのが必要だと思うからさ。』

本当に俺のことをよく理解している。

「今度ダブルデートでもするか。」

『青い春かよ。俺と茜は付き合ってないぞ。』

「時間の問題だろ。」

『押しに弱いのはお互い様…か。まぁいい。付き合ってやるよ。そのダブルデート。』

美憂が俺を呼ぶ声がする。

「じゃ。そういう事で。」

『あぁ。またな。』

電話が切れる。仰ぐ先には満月。

今日は綺麗な月だ。

俺は振り返り歩き出す。

何かが変わり始める予感がした。

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