「始めに言っておくとだね。僕はもう事件の真相を掴めちゃったよ。まあ、僕の意見が百パーセント正しいって保証はできないけど」


 春明はそう言って、手に持っていた資料を机の上に放り投げた。


 資料は机の上につもりに積もっていた丸まったティッシュをぶちまけて、ごみの王様のようにどっかりと音を立てて座り込んだ。


 どうして春明はものを雑に扱うのだろう。


 私の六法全書も、仕方なく貸してやったお気に入りの本も、大概がネズミに齧られたか、或いは太平洋でも流れ渡ってきたのかと疑いたくなるほどにボロボロになって帰ってくる。そのたびにもう二度と貸してやるものかと心に硬く決意を新たにするのだが、その決意は彼に借りを作るたび「まあ今回はしょうがないか」と脆くも崩れ去ってしまう。


 まあ、今はそんなことはどうでもいい。


 そんなことよりも。


「答えが分かった、だって? さすがだな」

 

「ああ」


 春明は鷹揚に頷いた。相変わらずの神速ぶりである。


「保証はしないけどね。確認のしようがないから。

 でも、僕の推理が正しいのならば、まず君が言っていた「作中で事件が解決していない」という点は、間違いだ」

 

 私は目を二、三度瞬かせた。


 彼が口にした言葉の意味をゆっくりと咀嚼する。


 それから、いやいやと首を振って応えた。


「それはおかしいだろ。「事件が解決した」ってのは、つまり「犯人が見つかった」ってことだ。でも犯人は見つかってないじゃないか。殺人の手口も明らかになってないし」


「いや違う。ちゃんと書かれてる」


「だから、どこにだよ!」


「見るからに明らかだ。たしかに「〇〇が殺した」とか直接的な表現はされてなかったけどね。

 思い出して見ろよ、犯行現場に駆け付けた従者が目撃したものは?」


 私は膝が貧乏ゆすりを手で必死に抑えながらも頭を必死に働かせて――いや、働かせるまでもなかったかと、手元の資料を手繰り寄せて中を確認する。


「そりゃ……貴族の死体だろ」


「それから?」


「凶器の短刀?」


「まだあるだろ」


「あー……」


 イマイチ、ピンと来ない。彼が私に何を言わせたいのか。


 数秒唸った末に私の口から飛び出してきた言葉は。


「血……か?」


「冗談だろ? ふざけてるのか」


 脳みそを雑巾みたいに絞りに絞ってようやく導き出した解答を、春明は容赦なく唾棄した。私は肩からがっくりと力が抜け落ちるのを感じて、諸手を上げて降参する他なかった。


「わかった。すまん、俺は馬鹿だ。いいから答えを教えてくれ」


「いや、わからないなぁ。

 僕が思うに、君は始めから少し頭を活性させれば思いつくことや、誰にとっても一目瞭然の答えを口にすることを敢えて避けている、なんて節があるよね。まるで探偵にいいところを全部譲って引き立て役に徹する愚鈍な助手役みたいだ。

 教えてくれよ。君は、実は敢えて解答を避けているんじゃないのかい? それともその愚鈍さ加減はマジにやってるの?」


 ふむ。


 春明に言われて、私はしばしば逡巡した。


 思えば、私は何事においても、まずは答えを言い渡されようという受動的な態度を終始取っていたようにも思える。


 クイズ番組を見ているときも、クイズの答えを番組が言い渡すのをただひたすら自室のソファーに胡坐を掻いて座りながら、じっとTVの前で待ち構えていることがほとんどであるし、ミステリ小説を読んでいるときも、途中で「犯人は誰か?」などと読む手を止めて熟考に耽ることなど一度だってなかった。


 でもそれは、考えても、考えなくとも、結果は変わらないといつか悟ったからだ。


 ミステリには必ず解決パートが存在するし、クイズ番組で「今回のクイズの答えは……また来週~!」などと宣うふざけた司会者もいない。CMは頻繁に挟まるが。


 今時はインターネットで検索をかければ、わからないこともすぐに答えを知ることができる。それがあってるのか間違っているのかは兎も角、とりあえずは答えをすぐに得ることができるのだ。


 答えのない問題に取り組むのは、疲れる。政治だの、数学の未解決問題だの、ヒトの心だの環境問題だの。答えをすぐにでも教えてくれる機構が存在する現代ではなおのことだ。


 答えのない問題というのは、酷く腹が立ってつまらないと感じる。


 だからかもしれない。私は今、この古文書が記している殺人事件の全容、答えを今すぐにでも知りたがっている。


 春明は、スマートフォンですら教えてくれないような難問を、ズバズバと容赦なく答えてくれる。それがあってるか間違ってるかは兎も角――いや多分半分以上は間違ったことを述べているのだろうけど――兎も角私は納得する。


 私にとって、春明は超高性能な検索機なのかもしれない。漠然とした問題に一応の解答をくれるのだ。答えをもらうと、これまた漠然とした安穏に脳が包まれる気がする。それがなんとなく幸せだなと感じる。だからこそ、いけ好かない部分が多分にあったとして、手放すことができずにいるのだ。


 春明は、私のそう言った消極的な態度が気に障っているのかもしれない。私が彼を心の底では便利な扱いをしていることを、彼の特異な嗅覚が鋭敏にかぎ分けているのかもしれない。


「まあいいけどさ」


 私が返答にまごついている間に、春明の中では一種の諦観が芽生えたようだった。


「ほら、作中で何度もカエルが登場しただろ。それに、最後の最期でも登場した。よりによって殺人現場にね」


「うん。それで?」


「だから、カエルだよ」


「うん?」


、カエルだよ。殺人現場にいたカエルたちが犯人だ」



 


 

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