さて、物語の序盤では、件の陰陽師の手によって呪殺されてしまう哀れな貴族の為人について描かれている。


 哀れな、とはいえ、彼にも一般的な殺人ミステリの被害者同様、殺されるに足る理由がある。彼は人を感心させない残虐な趣向の持ち主だった。


 彼は自身の従者に都付近の川辺に赴かせると、そこに屯する小さなカエルを二、三匹捕らえさせて持ってこさせる。


 それから、自身の屋敷の庭に拵えた小さな納屋にカエルを持ち込み、そこでカエルを潰したり、切ったりして遊ぶのである。そのほかにも、カエルを紐で繋いで邸宅で飼っていたり、カエル同士を戦わせて遊んだり。


 いくら虫の類とはいえ、さすがに、あまりにも趣味が悪すぎる、というわけだった。


 彼の所業は宮中でも専らの噂となっており、彼の行いに業を煮やした何人かの公家が、帝に直訴したこともあるそうな。


 しかし、今の今まで件の貴族が裁かれることはなかった。


 そこで、公家の一人が、個人的に雇い入れた野良の陰陽師に依頼して彼を懲らしめることにしたのだ。


 このあまりにも大っぴらな呪詛の噂に、しかし世間はそれほど動揺はしていなかった。


 その当時では異例のことではあったが、それだけ件の貴族はあくどい噂をいくつもささやかれていたらしい。



 






 まず初めに断っておくが、この小説の筆者は彼の事件の当事者であり、件の貴族の従者の一人である。


 件の貴族について、また、その従者である筆者は、陰陽師に呪術に関して懐疑的であった。


 それで、敵対的な貴族が陰陽師を雇い入れたと耳にした時も件の貴族は余裕を崩さず、どころか「陰陽術を一度見てみた」などと言って、陰陽術のカラクリを暴いてやろうなどと挑発までする始末であったそうだ。


 その結果、他の貴族の仲介の元、件の陰陽師と件の貴族は直接対決の体を為す。


 小説は件の貴族の邸宅に陰陽師が招き入れられ、陰陽術を実際に披露する場面から本格的に。


 件の貴族とその従者である筆者、それから邸宅で働いている侍女たちの幾人かが、屋敷の奥からこちらの様子をこっそりと覗いているが筆者にはバレバレ、などと言った描写が挟まった後、陰陽師が実際に呪術をお披露目する場面へと時が進む。


 その間、貴族は挑発もかねて、例のカエルを紐で繋いで中庭に放って、それを陰陽師に見せびらかしたりしていた。一際小さな、それも珍しい色の様々なカエルばかりがこぞって集められているようだった。


 しかし陰陽師は貴族の挑発には一切反応を示さず、それから振袖の影で印を結ぶと、何やら奇怪な呪文をぶつぶつと唱え始めた。


 すると、件の貴族が紐で繋いで手元に置いていたカエルの何匹かが、突如としてびくりと唐突に飛び上がった。


 陰陽師はさらに呪文を唱え続ける。筆者にはミミズがのたくったような、到底意味のなさない摩訶不思議な響きにしか聞こえなかったらしい。


 カエルたちはしばらく陰陽師の呪文に聞き入っていたようだが、徐に各々が銘々にその場でくるくると回り始めて、また狂ったように鳴き始めたのだった。


 この奇妙な現象について、筆者やその他周囲の人間はにわかに活気づいたが、しかしすぐにそれも落ち着いた。


 考えてみれば、カエルを言葉巧みに操るなど確かに奇妙ではあるが、だからと言って別に何も恐れるに足ることはないだろう。たかだかカエルを操るだけである。件の貴族もそう考えたらしい。彼は陰陽師が引き起こしたちょっとした興行にニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる余裕すらあった。また、筆者は陰陽師の引き起こしたその奇妙な現象について、輪唱を得意とするカエルの習性を利用したに過ぎないのだろうと考察していた。

 

 陰陽師が呪文を唱え終えると、カエルたちの鳴き声はピタリとやむ。


「さて、他には何ができる」


 と件の貴族は余裕綽綽で陰陽師に問う。


 陰陽師は



「人が殺せます」



 とだけ応えた。にわかに周囲がざわついた。それでも件の貴族は面白そうに笑みを崩さず、


「では殺して見せよ」


 と述べると、陰陽師は、


「今日中に殺します」


 とだけ答えた。


 陰陽師が帰ってすぐに、件の貴族は準備を始める。


 陰陽師の呪殺の標的が自分自身であることは一目瞭然であった。


 しかし、件の貴族は呪いなど信じていなかった。おそらく今晩、何らかの物理的かつ直接的な方法で暗殺しにやってくるのだろうと推測していた。


 そこで、彼は中庭に拵えていた小さな納屋(例の趣味が日夜行われている納屋である)に引きこもり、更にそれを数人の従者に四方八方を見張らせることで、誰一人近づくことのできない完全な密室を作り上げたのだった。


 また、自身の邸宅やその周辺にも見張りを武装させて立たせ、そのあまりに厳重な様相はちょっとした戦でも始まるのかといった風であった。


 ネズミ一匹たりとも近づくことはできない状況を作り上げたのを見て、満足したらしい貴族は、従者に、誰一人として扉を開けてはならないことを厳命した後、夜の食事を済ませてから、満を辞して納屋に引きこもって夜を迎えたのであった。


 これが申の刻、つまりはだいたい午後四時といった頃である。


 さて、それからしばらく時間がたって時刻は酉の刻(午後6時)を過ぎた頃であった。


 夜の帳が降りてなお聞こえるのはカエルの鳴き声くらいであり、いたって平穏な夜を迎えようとしていた。


 しかし、そんな折に、突如として件の貴族のうめき声が納屋から中庭へと響き渡ったのだ!


 その当時、従者として納屋防衛線の最終防衛線であった扉の近くに陣取っていた筆者は、一瞬貴族の命を思い出してはたと逡巡したものの、すぐさま扉に体当たりして扉を破壊。


 従者は、貴族が納屋の扉を開かないよう施錠したため、普通に扉を開けることができないのを事前に知っていたのだ。


 体当たりして破壊した納屋の扉を蹴破って、従者は中へと足を踏み入れた。


 そして、従者は薄暗い室内をじっと見た。


 すると、驚くべきことに、納屋の中央に貴族がばったりと倒れ込んでいるのが見えた!


 駆け寄って明かりを近づけると、貴族の喉から短刀が生えて、鮮血がだくだくと流れているのが見て取れる。


 どこをどう見たって死んでいる。


 従者は慌てて薄暗い納屋の中を照らすが、誰一人として、影も形も見えない。


 ――いったいどうやって?


 今朝の陰陽師の言葉が想起され、戦慄が、にわかに納屋を覆う暗闇を駆け巡る。


 と、その時だった。


 不意に、輪唱が納屋の中を木霊した。


 従者が、手に持った明かりで納屋の中を照らす。


 朧気に浮かび上がってきたのは、納屋の隅にずらりと並ぶカエルの影であった。


 カエルたちは、まるで熱に浮かされたかのようにその場にじっと座り込んで、目の前で血を流してうつぶせに倒れ込む貴族をじっと見下ろしていた。


 その異様な光景を見ていた従者たちは、ただただその場に立ちすくんで黙り込むことしかできずにいるのであった……――







 ――以上が古文書の概要である。私の想像による勝手な脚色が多分に含まれていることには留意してもらいたいが。


 実際の文章はもっと、事実を淡々と書きなぐっただけの、報告書のような体を為している。


 が、しかし、その淡白な文体が寧ろドキュメンタリーのようなリアリティを醸し出しており、その当時筆者の目の前で起きた出来事が、読み手にもありありと伝わってくるようであった。

 






 






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