四
「その前に、まずは小説の概要を振り返って見ようか」
春明は紙束の一ページ目を乱暴にめくった。タイトルのみが印刷されていた拍子が勢いよくめくれて、端の方に若干の切れ目が生じたのを私は見逃さなかった。コピーは取ってあるとはいえ、もう少し丁寧に扱ってもらいたいものだ。
「タイトルからして、僕はこれを小説、もっと言えば説話やおとぎ話の一種だと思っていたんだが、どうもそうではないらしい。
これは歴史書の一部なんだな」
春明の言葉に、私は頷いた。
それは私でもすぐに気が付いたことだった。
なぜなら「陰陽師 呪術を用ひて人を殺す事」は、本文の始めに年代が詳細に記載されているからだ。
「『天元三年七月十六日、未だ嵐の災ひ癒へず。荒ぶ羅生門より怪異の出でたること―…』。天元は平安のころに使われていた元号、天元三年を西暦に変換すると980年だ」
春明は左右の手に持った紙束とスマホの液晶を交互に覗き込みながら、自信満々といった風にそう言った。やれやれ。
というのも。
もし件の小説が「物語」の形式を採用しているのなら、年代をここまで子細に記すことはない。
おとぎ話ならば「今は昔……」などという語りになるだろうし、そうでないにしてもここまではっきりと年代を記すことはまずない(もちろん、おとぎ話の中にも場所や時間を明記しているものが例外的に存在する)。
何より、文体や全体の構成からは、エンタメ志向の創作物のそれと言った印象を全く受けないのだ。
書き手は実際に起きたこと、それから自身が捕った行動についてあまりにも淡々と書き綴っているのみで、もはや随筆ですらなく、一種の資料、客観性を重視した、上司に提出するための凝固まった報告書のような様相を呈していた。
「歴史書、つまりは実際に起きたことをそのまま描いているわけだ。もし実際に起きたことを脚色なくそのまま書いているのだとすれば、少なくともミステリに必要な「物語の整合性」ストーリーにおけるフェアさがある程度担保されているはずだ。まあ、仮にそんなものがなくとも成立するミステリもあるんだけどさ。一般論として、ね」
まあ、実際に起きた事件をそのまま描いているわけだから、少なくとも実証可能性の全くあり得ないストーリー構成にはなっていない、ということなのだろう。
「もう一つは、この古文書は、陰陽師やら呪術やらをメインに扱っているわけだが、筆者自身はそう言った超常的な類のものには懐疑的な姿勢を終始取っているということだ」
そう。
それこそがこの小説をミステリ風味たらしめている第二の要素なのだった。
作中では陰陽師の呪術による殺人が行われている。しかし、筆者はあくまでも当事者として、陰陽師が呪術ではなく何らかの物理的な手法を用いて殺人を行うだろうと考えていた……。
「昔の書物にしては、事件が起こった当時の状況をかなり詳らかに記載されているよな。陰陽術に関しても、かなり合理的な見解を持っていた。俺だって、筆者が合理主義者でなければ、頭の中がお花畑のメルヘン野郎かいちいち意味の解らん和歌を詠み始める気障な恋愛脳だったならば、この手の小説がミステリたり得るなどとは思ってないさ」
といった風に一応、私も適当な持論を無理やり挟んでみたものの、春明は聞いてるんだか聞いてないんだかイマイチ要領を得なかった。
「あー、そんなわけで、僕はこれはミステリ小説として十分に機能していると思うよ。問題は、犯人である陰陽師がどうやって被害者を殺害したか、だが……」
春明は、今にも口から飛び出してしまいそうな言葉を必死に堪えているかのように、眉尻をぴくぴくとさせ始めた。
「一先ず物語全体の流れを一度振り返って見ようか」
そう言って、彼は次のページを思いっきり手繰り寄せる。
それは本文の本格的な始動であり、物語の要、件の陰陽師と、その彼に殺されることとなる貴族、そして当事者として状況を俯瞰的に見据えている語り手の男の登場である。
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