第46話

 ふと目を覚ました時、感じたのは甘いミルクのような匂いと柔らかい感触だった。


(んっ……。…………、……そういえば、智映ちゃんの家に、お泊りだったな)


 そんなことをぼやけた頭で考えつつ、視線を下に向ける。

 そこには、智映ちゃんの頭髪が見えていた。


「……智映ちゃん抱き枕だ」


 思わず、口に出してしまう。

 つまり、俺は智映ちゃんの小さい身体を抱き締めながら寝ていたらしい。


(一体、いつの間に……)


 一緒にベッドに入ってから眠るまでの記憶だと、普通に並んで横になっていたはずである。

 自分でも気づかないうちに、彼女を抱き枕にしてしまったのか。

 まぁ、一月だから暑いということはなく、美少女の暖かさが身体に心地よい。


 このまま二度寝をしたい気分だったが、その前に時刻を確認する。

 すると、起床予定時間の十五分前という微妙な時間だった。


(もう起きてもいいか。左手の状態も凄いし)


 智映ちゃんの身体の下になる左手が、痺れを通り越して感触が無い。

 利き手では無くても、片手がこんな状態なのは良くないだろう。


「智映ちゃん。起きて」


 右手で彼女の背中を軽く叩きつつ、起きるように呼び掛ける。


「すぅ……。すぅ……」

「智映ちゃん?」

「……むっ、んっ、んん……?」


 腕の中の彼女は軽く声を出すと、顔を上げて薄っすらと目を開ける。

 普段見ることのない、無防備な智映ちゃんの表情が可愛く思えた。


「おはよう」

「……おはよう、ござい、ます……」


 まだ眠たそうな目と視線を合わしていると、上がり切っていなかった瞼が徐々に開いていく。


「…………。……あっ、……み、美久里、さんっ!?」


 意識が覚醒して今の状態に気づいたのか、彼女は大きく目を開いて狼狽したように俺の名前を呼ぶ。

 目を覚ました時、他人に抱き締められていたら驚くのも無理はない。


「こ、これって……?」

「智映ちゃん、おはよう。ちょっと早いけど、そろそろ起きようか」

「は、はいっ!」


 彼女の身体の上から背中側に回していた右手を引き戻すと、智映ちゃんは慌てて離れながら起き上がる。

 解放された左手に血液が流れると、激しい痺れが戻ってきた。


「んっ……。よいしょ」


 勢いをつけて上半身を起こすと、変な感触の左手を右手で触る。

 元に戻るのに、それなりの時間が掛かりそうだ。


「左手……、大丈夫ですか?」

「ちょっと痺れてるだけだから、そのうち戻るよ」


 今日はプロダクションに行かないといけない。

 仕事で来れない以外のシュステーマ・ソーラーレメンバーが集まり、スタッフに新年の挨拶をして社長の訓示を聞く予定らしい。

 後は、年末年始の休みで鈍った身体を自主レッスンで少し動かして帰るつもりだ。

 いきなり、負荷の高いレッスンを受けるのもキツいからね。


「……それじゃ、準備しようか」

「はい。顔を洗って、歯磨きして、シャワーも浴びて、朝食にしましょう」

「そうだね」


 今年最初の仲間に会う日である。

 身も綺麗にして行きたい。



 +++



「あけましておめでとうございます」

「……あけましておめでとうございます」


 智映ちゃんパパの智之に車で送られて、プロダクションに着く。

 六期生がいる部屋を聞いて、そこに向かうと中には何人か早くも集まっていた。


「あけましておめでとう。今年もよろしくね」

「あけおめことよろ~」

「……あけましておめでとうございます。美久里ちゃん、智映さん」


 部屋の中に居たのは三人。

 リーダーの紫苑さんに友菜さん、そして機嫌が良いのか悪いのかよくわからない表情ののぞみちゃんである。

 彼女の表情は、俺に会えたことと智映ちゃんと一緒に来たことが混ざり合った複雑な感情の結果かもしれない。


「他の三人は、まだなんですね」

「市原さんと古澤さんは、寮から一緒に来ると連絡があったわね」

「松延さんはちょっと調子が悪いみたいで、欠席の連絡があったらしいです」

「他の人に移したら、マズいからね~」

「松延さん、大丈夫でしょうか?」

「年末から風邪みたいで、今は大分良くなったらしいわよ。智映ちゃん」

「それは良かったです。ミニライブには間に合いそうで」


 紗綾香さんを心配した智映ちゃんは、紫苑さんの返しに安心した表情を見せる。

 これまで誰もミニライブを欠席したことがないので、七人でステージに立つのが不安なんだろう。


 もちろん、その時用の決め事もあるし練習もしているが、初めての構成で実際にファンたちの前で歌って踊るのは緊張しても仕方がない。


「……ああ、ここでしたか。あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとうございます」


 暫く雑談をしていると、ノックの音がしてドアから残りの二人が現れる。

 これで、紗綾香さん以外の六期生七人が揃った。


「あけましておめでとう。二人とも」

「あけおめことよろ~」

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 新年の挨拶の飛び合いが終わると、年末年始に何をしてたかの話になる。

 その中で注目を浴びるのは、もちろん俺が智映ちゃんとお泊り会をした件だ。


「どうだったの? 智映ちゃんの家は?」

「ふ、普通の家ですよ。古澤さん」

「そうですね。ごく普通の一般家庭、という感じでした」


 超お嬢様であるのぞみちゃん以外の七人は、一般家庭の出身だ。

 兄が三人もいる俺が、せいぜい一般的ではない程度の。


「萱沼さんの家にお泊りするのは、お父様が反対したのよね?」

「はい……」

「三人の若い男がいますからね」

「……若い男」

「三人も兄がいるのも、社会人になっても家を出ていないのも、今では珍しい感じかな」


 俺もそう思わないでもないが、俺の可愛さが悪い。

 こんな超絶美少女の妹がいたら、俺でも実家から離れたくない。

 増して、仲が悪いどころか良好なのだから。


「……そろそろ時間ね。社長の訓示の」

「もうですか。短く終わるといいんですけど」

「どうだか~。長そうな気がする~」

「場所は、一階ロビーでしたね」

「人数が多いから、一回で済まそうとしたらそこぐらいしかないでしょう」

「さっさと移動しましょう」

「は~い」


 まだまだ、世間の中高生は冬休み。

 でも、アイドルでもある俺たちの休みは短いのである。

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