第32話

 昼食後、車で一時間ほど移動して二回目のサイン会会場に着く。

 会場となるCD販売店は、一回目と同じ系列なので着いてくる担当者も変わりはない。


「開始は午後四時となりますので、それまでは休憩です」

「わかりました。高森さん」

「三十分ぐらいしかないのか~」

「トイレだけ済ませて、大人しくしてますね」


 俺達に付いてきた六期生サブマネージャーの松園さんは、会場との打ち合わせがあるのか控室にはいない。

 まぁ、アイドル衣装への着替えもあるので、男性の彼は控室から出されることが多いのだが。


 代わりについている高森さんから今後の予定を告げられると、順番にトイレに行き、着替えをしてアイドルに変身していった。



 +++



「──ただいまから、シュステーマ・ソーラーレの新アルバム発売によるサイン会を行いますっ!」

「おおぉ!!」

「待ってましたぁぁぁ!!」


 販売店のスタッフと思われる男性の開始宣言に、並んで列を作っていたファンから歓声と拍手が鳴り響く。

 今回は午前より少ない人数と思われるが、それでも百人近くはいるだろう。


「今回は六期生より、市原いちはら 茉美まみさん、金谷かなや 友菜ゆうなさん、萱沼かやぬま 美久里みくりさんの三人が来てくれましたっ!」

「美久里ちゃ~ん!!」

「茉美~っ!!」


 会場は茉美さん出身の市ということもある、彼女への声援がこれまで以上に多い。

 代わりに俺への声援が少し減り、友菜さんに至ってはほとんど無いという状況だ。


 流石は、茉美さんのホーム。

 友菜さんも別に気にしていないよという感じで、ニッコリと笑顔を浮かべている。

 本当のところは、俺にはわからないが。


「皆さまのご存じかとは思いますが、こちらの市原 茉美さんは当市の出身であります。では、お一言どうぞ」

「はい。……シュステーマ・ソーラーレ六期生の市原 茉美です。……私の原点である──」



 +++



「茉美、おめでとうぅ! 良かったねぇ!」

「あ、ありがとう」


 三人を代表して茉美さんが挨拶をし、友菜さんと俺が少しだけ軽く喋ってサイン会が始まる。


 午前と同じように俺目当ての男性ファンが多いが、茉美さんの知人もそれなりの数がいる。

 今も高校生ぐらいの女性が、彼女に親しそうに話し掛けていた。


 もっとも、茉美さんのぎごちない反応を見ると、親しいというより馴れ馴れしいといった表現の方が正解だと思うが。


「今度、同窓会するから、ぜひ来てね」

「む、難しいとは思うけど、スケジュールが合えば、ね……」

「……そろそろ、終了です」

「えぇ! ……茉美、また連絡するね」

「う、うん。今日はありがとう」


 スタッフに追い出されるように去って行く彼女を見送ると、茉美さんは疲れたように大きな息を吐いた。


「では、次の方。……CDでお願いします」

「あっ、はい。わかりました」


 珍しく、CDの方へのサイン希望だ。

 どんな人物が頼んだのかと思って見ると、中学生くらいの可愛い女の子だ。

 もちろん、アイドルに成るには難しいけど、クラスで一番人気な女子程度には充分な顔の良さである。


「……えへっ。来ちゃった、お姉ちゃん」

「む、睦美むつみっ! 本当に来たのぉ!!」


 彼女を見た茉美さんが、珍しく大きな声を上げる。

 発言からすると、目の前の女子中学生が彼女の妹というわけだ。


「むっ。そ、そんなに、嫌がらなくてもいいでしょ」

「もう」

「茉美。まずはサイン」

「そ、そうね」


 妹が持ってきたCDのブックレットに茉美さんがサインをし、隣の友菜さんに送る。


「……握手もする?」

「いい。その分は、友菜さんと美久里さんにしてもらうから」

「あっ、そっ」


 妹相手ということもあってか、茉美さんが普段見せない一面を表に出している。


「はい。美久」

「わかりました」

「友菜さん。姉をよろしくお願いします」

「は、ははっ! もちろん、仲間だからね~」


 サインを書き終えた友菜さんと妹が握手をする中、俺もサインを書いてブックレットをCDの中に戻す。


「美久里さんも、姉をよろしくお願いしますね」

「はい。私もお世話になってますから」


 CDを茉美さんに戻してから、彼女の妹と握手を交わす。

 やはり、可愛い女の子との肉体接触は良い。


「全く……。二人に変なこと言わないでよ」

「よろしくお願いしただけでしょ。後、色紙の方も頂戴ね」

「わかったから、さっさと行く」

「もう……。では、応援してます。頑張ってくださいね」

「ありがと~」

「ありがとうございます」


 姉からサインが書かれたCDを受け取った彼女は、俺と友菜さんに頭を下げて立ち去る。

 それを見送った後、茉美さんが大きな溜め息をついた。


「地元は、これがあるからね……」

「友菜さんや私はプロダクション周辺が地元だから、普段からこんな感じですよ」

「確かに~。高校とか、いろいろ面倒だよ~」


 思わず三人で大きな息を吐いていると、スタッフから言葉が掛かった。


「では、次の方。……色紙でお願いします」

「わ、わかりました」


 次に現れたのも、女子中学生らしき女の子。

 多分、茉美さん妹の友人なんだろうなと思いつつ、笑顔を浮かべてサイン会を続けた。



 +++



「本日は、お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

「朝も早かったからね~」

「朝一番の飛行機でしたからね」

「今日が終わって、かなり気が楽になりました」


 最後の言葉は、当然茉美さんである。


 サイン会を終えて暫く休憩を取った後、ff・フォルテシモ組だけで夕食を楽しんでいるのだ。


「茉美は、実家に泊まるんだよね~?」

「そうなの」

「こんな機会は、少ないですから」

「親孝行してきてくださいね」


 俺たちは駅前にある高めのビジネスホテルだが、茉美さんは実家が近いから泊めてもらうことになっている。


「明日は、今日ほど朝が早くないから楽かな」

「今日は早く眠るぞ~」

「松園さんも高森さんも、今日は早く休んでくださいね」

「ええ。明日の準備と今日の報告を終えたら、早めに寝ます」

「寝坊して遅刻したら、大変ですからね」

「流石に、全員寝坊はあり得ないから~」


 高森さんの言葉に、友菜さんが笑いながら返す。

 まぁ、誰か一人ぐらいはちゃんと起きるだろう。

 茉美さんも実家だから、家族の誰かが起こしてくれるだろうし。


「茉美さんの実家への移動は?」

「連絡したら、父が車で迎えに来てくれるって。美久里ちゃん」

「やっぱり、父親は娘に甘いよね~」

「私のところも、上に兄が三人いるだけなので激甘ですね」

「四人兄妹で一番下が女の子なんて、一番甘やかされそう……」


 食事を取りつつ、俺たち三人は会話に花を咲かせる。

 それをプロダクションの二人が見守るのが、食事終了まで続いた。

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