第10話

 ゴールデンウィークが終わった五月の中頃。


 今日も俺は、事務所でレッスンである。

 内容はボイストレーニングで、同期の三人と四人でのレッスンだ。


 そのはずだったのだが……。


「う~ん。萱沼が飛び抜けてしまっているな」

「そ、そうですか……」


 どうも他の三人とレベルが違い過ぎて、レッスン内容に担当トレーナーが困っている。

 神様チートを貰ったのが、ここにきて弊害になってしまうとは。


「萱沼には、暫くボイストレーニングを抜けてもらうか」

「……それは、大丈夫なんでしょうか?」

「俺が決めているんだから問題ない。他の連中が、もう少し上達するまで待ってくれ」

「わ、わかりました」

「その間は……、自主練だな。体力が無いと聞いているから、その辺りを強化しろ」

「はい」

「それも声や歌に響いてくるからな」

「わかりました。……退室してよろしいでしょうか?」

「ああ。……じゃ、他の三人は──」


 残る同期生たちへ指導を再開するトレーナーに、一礼してから部屋を出る。

 さて、これからどうするか。


「……ダンスレッスンの、復習でもするか」


 そう決めると、階が違う総務課へ向かう。

 使用されていない適当な練習室があれば、いいんだが。



 +++



「……うわっ、本当に狭いな」


 総務課の社員に聞くと、空いている練習室が一つだけ残っていた。

 室内の広さに問題があり、四人でギリギリの広さだと言われて使用許可を貰う。


 準備を終えた後は、その練習室に向かう。

 鍵の代わりになるカードのバーコードを読ませ、開いたドアから室内に入るとその狭さに驚いた。

 物置として使っていた部屋を転用したのかもしれない。


「いや、四人だとダンスできないだろ。俺一人だからいいけど」


 ぶつぶつ独り言を呟きながら、練習室備え付けのスピーカーにスマホを繋げる。

 そしてスマホを操作して、とある曲を再生した。


 それは、つい最近発売された『シュステーマ・ソーラーレ』の新曲である。

 練習として、その曲における一人の動きを六期生候補八人が踊るのだ。

 当然同じ動きなので、八人の中で差異が出た時にわかりやすい。

 それをダンストレーナーからの指導で、一定のレベルで踊れないと練習生で終わるかもしれないのだ。


 俺は、踊ること自体には何も問題ない。

 それどころか、担当するトレーナーに絶賛されるほどだ。

 ただ、体力の問題で時間が経てば経つほどダンスのレベルが下がることが欠点と指摘されている。

 以前よりマシにはなったが、トレーナーの考えではまだ足りないようだ。


「さて、練習するか」


 曲をループさせ、壁一面の鏡で確認しながら練習を始める。

 可愛いアイドルをはじめとする魅力的な芸能人たちと仲良くなる未来を思いつつ、曲の振りを意識して踊り続けた。



 +++



「ふぅ……。流石に、ちょっと休憩……」


 同じ曲を三周で、十五分ぐらい。

 息が荒くなり汗が流れ続ける俺は、一度休憩を入れる。


「暑い……。ゴクゴクッ。ぷっ、はぁ」


 持ち込んだミネラルウオーターで喉を潤わせ、失った水分補給をした。

 以前はこれだけ踊ればヘロヘロになったが、今では何とか見られるダンスで終わらせることができる。

 まぁ、本番なら歌いながら踊るわけで、まだまだ足りないのはわかっている。


「すぅ……。はぁ……。……んっ?」


 深呼吸をして息を整えていると、ドアから鍵を開けられた音が聞こえる。

 使用中なのはわかるはずなのにと思っていると、ドアが開いて中に人が入ってきた。


「んっ。ちょっと、ごめんね」

「あっ! 脇坂さんっ!」


脇坂わきさか 枝里香えりか


 二期生で一軍格である内部グループ『シュステーマ・ソーラーレ』の一員。

 今年、二十歳になる人気メンバーである。

 最初の人気投票で六位となり、愛称は木星を意味する『ユーピテル』で、昨年までの三回あった人気投票で九位以内を守り続けた。

 なかなかの美人であり、特にそのスタイルは素晴らしく、シュス・ソーラでも一二を争う色気担当でもある。

 グラドルとしても人気があり、漫画雑誌や青年雑誌に載った巻頭グラビアの水着姿で、若い男たちの性欲を発散させているらしい。


 そんな女性が軽装で、俺を見て微笑んでいる。


「ど、どうかしましたかっ!?」

「えっと、ここを使っているということは……。萱沼 美久里ちゃん?」

「は、はいっ! 六期生候補の練習生、萱沼 美久里です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくね。知ってるとは思うけど、二期生の脇坂 枝里香です」


 挨拶をすると、彼女もにこやかに返してくれる。

 以前廊下で会った、内川 知実とは全然違った態度で好感しかない。


「はい。それで……」

「ええ。ちょっと、練習したいことがあって、山本さんに聞いたんだけど」


 山本さんとは総務課の社員で、この練習室の使用許可をもらった相手だ。

 どちらにしろ、彼女がここを利用したいのであれば一介の練習生である俺が譲るしかない。


「わかりました。それでは……」

「あっ! 違うから。私が練習したいのは、今、流れている曲だから」


 そういえば、練習用に流していた新曲をそのままにしていた。


「山本さんから、新曲で練習しているって聞いたから、私も一緒していい?」


 総務課での雑談で、そんなことを話していたのを思い出す。


「は、はいっ。う、嬉しいです」

「ありがとう。それじゃ、一緒に練習しましょうか」


 彼女は準備を終えると、曲が最初にループした時に踊り始める。

 俺も彼女とは違うメンバーのダンスを、再び練習し始めた。



 +++



「ぜぇ……、ふぅ……、はぁ……」


 曲が二回、ループし終えた時に限界を覚える。

 こういうところに、スタミナ不足を感じてしまって情けない。


「はっ! んっ! ふんっ!」


 枝里香さんは、歌詞は歌わずに踊りを重点的に練習している。

 グループ内の話で、彼女は比較的ダンスを苦手にしていると聞いたことがあったが本当だったようだ。


「…………」


 まぁ、確かにわからなくもない。

 その原因と思われるものに、俺の視線が奪われているからだ。


「ふっ! ん、んんっ!」


 それは彼女の胸部で、躍り暴れているもの。

 要するに、おっぱいだ。


 枝里香さんのバストサイズは、公称92センチのFカップ。

 それが、曲に合わせて踊るたび何とも言えない動きで揺れまくるのだ。


 中身が男の俺としては、当然のことながら自然と目が行ってしまう。


(すげえな。おい)


 そんなことを思いながら激しく踊る胸部を凝視していると、曲が終わり枝里香さんがダンスをめる。

 再び音楽が初めから流れる中、彼女は荒い呼吸で流れる汗を拭いつつ床に置いた荷物に移動した。


「はぁはぁ、……んっ、はぁ……」


 荷物からペットボトルを取り出して、休憩するようだ。

 そんな枝里香さんはペットボトルに口を付け、軽く喉を潤すと俺に話し掛けてきた。


「んっ……。ふぅ……。……美久里ちゃん。時間大丈夫?」

「時間、ですか……って、あぁ! もう、こんな時間!?」


 彼女の言葉に時計を確認すると、ボイトレが終了する寸前の時間である。

 次はジムで体力養成の予定なので、それには俺も参加しないといけない。


「す、すみませんっ! 私、行かないと……」

「うん。わかった。ここは、私が使わせてもらうね」

「は、はい。山本さんに連絡しておきます。それでは、失礼します」

「えぇ。頑張ってね」


 急いで自分のスマホをスピーカーから取り外し、自分の荷物をかき集める。

 そして、枝里香さんに挨拶をしてからバーコードを読ませ、慌てて退室した。


 時間があれば、休憩しつつ彼女とお話ししたかったが仕方ない。

 魅惑的な年上の美女と仲良くなれるチャンスだったが、これからもあるはずだと考えて諦めるしかなかった。

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