第4話

「ぜぇぜぇ……、はぁはぁ……」

「本当に美久里ちゃんは、体力が無いな~」

「はぁはぁ……、はぁ……。イ、インドア派、だった、ので、はぁはぁ……」


 幾つかある練習室でも狭い方の部屋で、同期生四人とダンスレッスンを行う。

 とはいえ、体力が無い俺は早々とばてて、短い休憩で少しスタミナを回復させてからジムへと飛ばされた。

 そこでは事務所に常在している女性トレーナーに、ルームランナーを走るというより歩かされる。

 それでも俺にとっては大変で、地獄の時間だったのだが。


 これまで玉のような美肌に傷を付けたり、日焼けするのを避けていたことが悔やまれる。

 少しは外に出て運動をしとけばよかったと思ったが、今更だった。


「これは……、よく考えて八月までの体力養成の計画を立てないといけないかな」

「す、すみません、ぜぇ……。ご、ご迷惑を……、ふぅ……」

「いや、これが仕事だから、別にいいんだけど……」


 スタミナを使い果たし座り込んでいる俺を一度見てから、女性トレーナーは遠い目をした。

 デビューする例大祭まで後四ヶ月、それまでにある程度は仕上げないといけないのを悲観しているのかもしれない。


「さあ、今日は終わり。……大丈夫? 帰れる?」

「す、少し、休憩室で、休んでから、帰ります……、はぁ……」

「そう? それじゃ、今日はお疲れ様。気を付けて帰ってね」

「は、はい。ありがとう、ございました……」


 重い身体を動かしトレーニング室を出て、フラフラと休憩室へと向かう。

 いつも以上の時間を掛け辿り着いた休憩室は誰もおらず、暗闇で俺を迎えてくれた。

 照明をけ、設置されたソファーに疲労した身体を任せる。

 少しだけ残っていたミネラルウォーターを飲み干し、空となったペットボトルをテーブルの上に投げ出した。


「はぁ……。今日は疲れた……」


 ソファーの背もたれにぐったりと背中を押し付け、天井を見上げて素で呟く。

 これまでのレッスンの日々の中でも、一番疲れたと思われる一日だった。


「もう少し、休んでから帰るか。腹も減ってるけど」


 その時、入ってきたドアから電子音が響く。

 オートロックで鍵が掛かったこの部屋に、誰かが入室しようとバーコードを読ませて鍵を開けたのだ。

 その音に疲れた身体の姿勢を正す。

 目上の人に、だらけた姿を見せるわけにはいかないからだ。


「失礼しま……、あっ! 美久里ちゃん、ここに居たんだ」

「……のぞみちゃんか。……そちらも、もう終わった?」

「うん。みんなでロッカールームまで行ったんだけど、美久里ちゃんがまだみたいだったから、どこに居るのかなって」

「ごめんね……。今日のレッスンがきつかったから、暫く休憩してから帰ろうと思っていたんだ」

「そう……。ねえ、本当につらそうだけど、大丈夫?」


 どうやら、彼女にも俺の疲労がわかってしまうぐらい隠しきれていないようだ。

 それぐらい、今日の基礎体力養成レッスンはきつかった。


「正直、あまり大丈夫ではないけど……。いざとなれば、家族に迎えに来てもらうから大丈夫」

「……だったら、私の車で送って行くのは、どうかな?」

「のぞみちゃんのお迎えで? それは、迷惑にならないかな?」

「大丈夫。方向は一緒だし、送っても十分も変わらないから」

「でも……」

「それに……、美久里ちゃんと、お喋りして帰りたいな……、なんて」

「……、そう……。わかった。私ものぞみちゃんとお話ししたいから、お願いしていいかな?」

「うんっ! もうすぐ車来ると思うから、早く帰る準備しよっ!」

「だね」


 彼女にかされて、重たい身体をソファーから引き離す。

 この身体の状態で電車で帰るのも大変だし、家族を呼ぶにしても時間が掛かるし、彼女の申し出は普通にありがたかった。


(可愛い女の子と一緒に車で帰れるのは、頑張った今日のご褒美だな)


 のぞみちゃんの柔らかい手に繋がれ、引っ張られるように女性用ロッカールームへ向かう。

 帰る前に汗をシャワーで流すつもりだが、バスタオル等を取ってこなくてはいけないからだ。

 当然、のぞみちゃんも一緒である。

 今日のご褒美は、まだ有ったようだ。



 +++



 女性用ロッカールームで必要な荷物を取り出し、それを手に女性用シャワー室へと向かう。

 場所は同じ階の直ぐ傍なので、あっという間に到着した。

 ここでもカードのバーコードで鍵を開けて、のぞみちゃんと中に入る。

 入室すると目の前に目隠しを兼ねたロッカーの裏面が並び、ぐるりと回らないと脱衣場には着けない。


 二人で談笑しながら脱衣場まで移動すると、そこにはシャワーを浴び終えて服を着ているセミロングの黒髪にスレンダーな女の子が居た。

 彼女は同期である六期生候補八人の内の一人である。


「あっ……。お、お疲れ様でした……」

「お疲れ様です。市原さん」

「茉美さん、まだ残ってたんだね」

「え、ええ……」


市原いちはら 茉美まみ


 この四月から高校生となった、なかなかの美少女である。

 まぁ、タイプは違うが俺とのぞみちゃん以外の六人は全員がなかなかの美少女なのだが。

 彼女はオーディション合格を機に地方から出てきた、アイドル養成所を経由していない一般人コンビの一人である。

 そのせいか養成所出身組とも俺たちとも、あまり打ち解けていない。


 ちなみに俺やのぞみちゃんは、この事務所に通える範囲出身のアイドル養成所を経由していない一般人コンビに分類されている。

 他には紫苑さんがプロダクション付属養成所コンビの一人で、更に他所の養成所コンビを入れて計八人だ。

 養成所出身の中には地方出身の人も一人居るのだが、オーディション合格前からこちらに出てきているという違いがある。

 というわけで、六期生候補の中で四つの派閥がある感じなのだ。


「そ、それでは……、私は失礼します……」

「はい。お気を付けてお帰りください」

「それじゃ、また明日」

「は、はい……。では……」


 オドオドとした感じで、茉美さんは頭を下げて立ち去って行った。

 あの気弱な感じで、アイドルをやっていけるのか非常に疑問である。


「茉美さん、デビューまでがんばれるかな?」

「……何とも言えませんね」


 並んだロッカーを使い衣服を脱ぎ全裸になると、タオル片手にシャワー室の中に入る。

 一度に十人が浴びれる半個室みたいな場所に入ると、温かいお湯を出して汗を流し始めた。


「ああ……、気持ちいい……」


 隣でのぞみちゃんがシャワーを浴びて、思わず口に出している。

 美少女と一緒にシャワーを浴びているなんて、興奮してしまうシチュエーションだ。


 自分の身体をどれだけ見ても、他の女の子の裸が気にならないことはない。

 これは中身が男からくる本能であろう。

 のぞみちゃんに不審がられないように、視線に注意しないと。



 +++



「──それ、本当なの?」

「本当だよ。美久里ちゃんも美人だから気を付けないと」

「はぁ……。芸能界って、怖い所だね……」


 迎えに来た高級車の後部座席で、のぞみちゃんとの会話が弾む。

 アイドル好きでもある彼女の話は、俺にとって知識となる話が多い。

 大金持ちのお嬢様でもあるので、色々と芸能界の裏事情も耳に入ってくるようだ。

 注意喚起の側面もあるのだろう。


「男性アイドルの中には、そういうことが目的で芸能界に入る人もいるらしいから」


 その発言は俺の耳に凄く痛い。

 正に、それが目的で自称神にチートを貰ったのだから。

 まぁ、想定外の性転換で俺の野望は雲散霧消してしまったわけだが。

 どうしてこうなったのか、いまだに文句が言いたい。


「女性アイドルにも、そういった目的で芸能界に来た人もいるかも?」

「え~。……まあ、カッコイイ彼氏が欲しい気持ちもわからないわけじゃないけど」

「いや~、狙いが異性とは限らないんじゃ。同性狙いの人がいてもおかしくはないっ!」

「それって、女の子同士でってこと!? ……もう、美久里ちゃんってば」


 女の子、それも美少女との会話は楽しくて仕方がない。

 車の中という密室で長くお喋りを続けたかったが、どうしても終わりは訪れる。


「お話中、失礼いたします。のぞみお嬢様。目的地に到着いたします」

「もう!? もっと美久里ちゃんと、お喋りしたかったのに」

「楽しい時間は、本当に早く過ぎちゃうね」


 そう話している間に、高級車は俺の自宅前に停車する。

 すると運転手が先に車を降り、後部座席のドアを開けてくれた。

 まるで俺もお嬢様になったような気分である。

 車から降りた俺は、のぞみちゃんと運転手にお礼を言った。


「のぞみちゃん。今日はありがとう」

「ううん。私もお話できてうれしかったし」

「運転手の方も、ありがとうございました」

「いえ、美しいお嬢様をお送りできて光栄です」


 五十代ぐらいのベテランっぽい運転手が冗談を言う。

 こんな場面は何度も経験済みなのかもしれない。


「田中さん! あまり、美久里ちゃんを揶揄わないでね」

「それは失礼いたしました。のぞみお嬢様。美久里お嬢様」

「また……。それじゃ、美久里ちゃん、また明日ね」

「はい。明日も頑張ろうね」

「ええ。おやすみなさい」


 運転手が乗り込み車を発進させ、手を振るのぞみちゃんを見送る。

 俺の視界から高級車が消えると、くるりと反転して自宅の玄関へと向かった。

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