第2話

「──連絡事項も終わりだな。それじゃ、日直」

「起立! 礼!」

「気をつけて、帰るようにな」


 本日最後のホームルームも無事終了。

 ガヤガヤとクラスメイトたちが騒めく中、俺は荷物を持ち急いで立ち上がった。


「あっ、ま、待ってっ! 萱沼かやぬまさんっ!」

「……んっ? 何かな?」

「あ、あのさ。二年に上がって、クラスが変わって、知らない人が増えただろ?」

「そうだね。顔と名前、一致させるのが大変だよ」

「う、うん、そうだよね。……そ、それで、親睦を兼ねて、今から何人かで遊びに行くんだけど、萱沼さんもどうかな?」

「え~と……、ごめんね。これから、ちょっと予定があるんだ」

「そ、そうなんだ……」

「うん。予定が合えば参加するから、今日は許してね。……それじゃ、また明日」

「う、うん……。さようなら……」


 我がクラスで人気の男子に声を掛けられ無駄にした時間の分、廊下を早足で歩く。

 決して走ったりすることはなく、楚々に優雅に見えるよう足を動かす。


「あっ……、あの人、二年の萱沼先輩だ」

「本当に可愛いし、美人……」

「あの長い髪、どうしたら、あんなに綺麗に……」


 至る所から視線を浴び、同時に賞賛の声が聞こえる。

 軽い微笑みを浮かべつつ心の中でドヤ顔をして、注目される中を学校の敷地から離れた。



 +++



 学校から乗り換えること二回。

 三路線と十一駅を費やして、目的地の最寄り駅に着く。


 地下鉄駅から地上に出ると、徒歩三分で見えてくるのが目的のビルである。

 そのオフィスビルにはお洒落なロゴで、『ff・フォルテシモ』の文字が飾ってあった。


 このff・フォルテシモが俺がオーディションに合格して所属することになったアイドルグループ『シュステーマ・ソーラーレ』を有している芸能事務所・プロダクションである。

 この自社ビルで、デビューに備えて毎日レッスン漬けなアイドル候補生が今の俺の立場だ。

 学校がある日は放課後、休みの日は朝からと大変な日々を過ごしているわけだ。


 大きなガラスで輝く陽の目の正面玄関を無視して、俺は裏の方に向かう。

 所詮、デビューもしていない練習生の身分では裏の関係者用出入口を利用しないといけないのだ。


「おはようございます。シュスソーラ練習生の萱沼です」


 常時施錠されている裏口を開けてもらうため、インターフォンを押し自分の所属と名前を名乗る。

 それと映る映像を確認してから、守衛さんが開けてくれるわけだ。

 ちなみにシュスソーラとはシュステーマ・ソーラーレの略称である。

 ファンたちが言い始めたのを、事務所が公認して公式の略称となっている。


「おはようございます。溝口さん」

「ああ、おはよう。美久里みくりちゃん。今日も頑張ってね」

「ありがとう。溝口さんも、お仕事頑張ってね♪」


 来所したことを記録する機械に支給されたカードのバーコードを読ませながら、四十代ぐらいだと思われる中年男性の守衛と軽く話をする。

 最後に愛想よく笑顔を見せると、男性の顔が嬉しそうに崩れてしまった。


(男って、ほんとにチョロい。まぁ、俺が前世持ちで、男のことはよくわかるからだろうけど)


 綺麗に掃除された廊下を歩きながら、そんなことを考えていると五メートルほど先のトイレから一人の女の子が出てくる。

 それを見た俺は笑顔を浮かべて名前を呼び掛けた。


「のぞみちゃん」

「えっ? あっ、美久里ちゃん。おはよう」

「おはようっ!」


 呼び止めに振り返った彼女は、嬉しそうな笑顔を見せる。

 美少女のそんな笑顔はとても魅力的で、男として生まれなかったことを後悔せざるを得ない。


七澤ななさわ のぞみ』ちゃん。


 俺と同じ六期生選考オーディションで勝ち残った、総勢八人のうちの一人である。

 自慢になるが八人の中で一番の俺に次ぐ美貌を持った、かなりの美少女である。

 年齢も学年も俺と同じ。

 他の六人の同期は全員年齢も学年も違うため、一番最初に仲良くなった女の子だ。


(というか、他にもいろいろと理由があるんだけど)


 他の六人の顔が美少女ではあるものの俺たちには劣ったり、アイドルになった背景が違ったりで二人だけの派閥になっている感じである。

 まぁ、出身がこの周辺だったり地方だったり、アイドル養成校出身だったりオーディション出身だったりとかで、既に同期組の中で四つのコンビができている状態なのだが。


「今日は早いね」

「学校が早く終わって、この時間に来れたの」


 なお、のぞみちゃんは本当のお嬢様でもある。

 七澤グループと呼ばれる我が国でも大規模な企業群で最高のお嬢様なのだ。

 そして、その企業群の中には我が事務所のタレントをCMや広告に使っている会社がある。

 当然、その中にはシュステーマ・ソーラーレ所属のアイドルの場合もあるわけだ。


 そんな彼女をオーディションで不合格にするわけがない。

 オーディションの時から特別待遇なのが見られたのぞみちゃんに、他の同期組が複雑な感情を持つのも不思議ではない。


「美久里ちゃん。本日の予定はどんな感じなの?」

「最初にボイストレーニング。その後は基礎体力養成の予定だね」

「ほんとっ!? それじゃ、一緒に行こうっ!」


 輝くような笑顔の彼女と喋りながら、人気ひとけの無い廊下を進みエレベーターに乗る。

 目指すのは女性用ロッカールームがある階だ。


「デビューまで後四ヶ月、こんな日が続くのか~」

「基礎体力養成が、少し、いえ、かなり辛いですね」


 レッスンの日々が続き、疲労が回復せず身体に溜まってくる。

 小さい声で軽く愚痴を言い合い、到着した女子更衣室の扉をバーコードを読ませて開けた。

 ドアを開けるとパーテーションで中が見えないようになっている。

 遠回りをするように二人で進んでいくと、ロッカーが立ち並ぶ場所に出た。

 そこには一人の女性が居て、ちょうど着替え掛けた状態でこちらを振り向く。

 今年に入って、よく見る顔となった女性に最初の挨拶をした。


「「おはようございます」」

「おはよう。二人とも」


 その女性の名前は『大和田おおわだ 紫苑しおん


 彼女も俺たちと同じオーディションに合格した六期生候補である。

 高校二年生で同期の中で一番年上のせいか、リーダーっぽいことをやらされている女性だ。

 うちのプロダクション付属のアイドル養成所出身なのも理由の一つであろう。

 これまで何回かシュス・ソーラのオーディションを受け、今回ようやく合格した苦労人っぽい人でもある。

 まぁ、なかなか合格できなかったのもわからないわけではない。

 黒髪セミロングで普通の体形の、なかなかの美少女ではあるのだがなぜか華が無い。


「大和田さんの、本日のご予定は?」


 のぞみちゃんが俺を相手にする時と違う喋り方で質問している。

 基本的に彼女は丁寧な喋り方をするのだ。

 俺には多少崩れた感じの喋り方が多いが、親密になる前はこんな感じの喋り方をしていたのを覚えている。


「私はボイトレから。それから基礎体力養成ね。ダンスかジムかは決めてないだけど」

「私たちと一緒ですね。でしたら、一緒に行きましょう」

「そうね。あなたたちも早く着替えなさい」

「わかりました」

「はい」


 のぞみちゃんと隣り合ったローカーを使用して、着替えを始める。

 運動着に着替えるだけなので、大して時間が掛かるわけではないが隣からの視線が気になった。


「のぞみちゃん、どうかした?」

「えっ!? ……ううん、な、なんでもない」

「そう? 早く着替えないと遅刻するよ」

「う、うん」


 俺たちが並んで着替え終わるのを、紫苑さんは少しイライラとした感じで待っている。

 養成所で苦労した彼女にとって俺とのぞみちゃんは、特に努力もせずアイドルとしての意識も少ないと思われていそうだ。


「忘れ物は……、問題無し」

「お待たせしました」

「ええ、それでは行きましょうか」


 三人で更衣室から出てドアを閉めると、オートロックが機能して自動で鍵が掛けられる。

 それを確認すると、彼女を先頭にボイトレが行われる防音室まで黙って向かった。

 目的の部屋は一つ上の階なので、今度は階段を使用する。

 階を上がり代わり映えのしない廊下を進んで行くと、途中の休憩室のドアから一人の女性が出てきた。


「あっ……、知実ちゃん……」


 彼女を見て、先頭を歩いていた紫苑さんが小さく呟く。

 その声にこちらを振り向いた女性は、テレビでよく見るかなりの美少女であった。

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