第2話 喧騒にて鎮まるもの
度重なる中断と進行、喧騒と静寂の末に、ここに一つの結論が導かれた。しかし、それは誰しもが予想だにしていなかったものだった。
我々の結論が、カミの命を奪う諸刃の剣となろうとは。
だが、今も上空からひしひしと伝わる風格――自らの命を奪われることになる結論を前にしても、露も揺らぐことなく張り詰める威厳に責められて、神々のまた誰もが下を向いたまま一言も発することができなかった。
それは、階下の女神も同様であった。敢えて見ないようにしていた遥か上空に視線が釘付けになる。貴方が太陽世界のアヴァタールだったなんて。アストライオスの模倣を、貴方が?太陽世界を消滅させなければ、他の小さな世界が終わってしまう。でも、世界が消えれば貴方も消える。世界の均衡を守るには、誰かが犠牲にならなければ。私は貴方を守りたい。でも、どうやって?第一、貴方はどうしたら命を落とすの――?
思考が自身の信念とは逆に傾きつつあることに、女神は激しく首を振った。
そこに、一つの人影が隣を横切った。人影はゆっくりと円形の床の中心へと歩いていく。神々が階下を注目し始め、ひそひそと話し声を立てているのを見るに、誰も彼が立ち上がったことにすら気づかなかった様子だった。
女神は少し離れた所から謎の人物を覗き込もうとしたが、膨らんだ帽子の下の顔は見えなかった。――いや、そこに顔はなかった。辛うじて、大きい帽子とレースで飾り立てられた服の間には、頭部と思しき岩の塊のようなものが浮かんでいた。だがそのごつごつとした岩にも、正面に赤と青の宝石が埋め込まれているのみで、表情がまるで読めないのがより一層不気味さを掻き立てた。視線を感じたのか、紅玉と青玉の双眼が女神の方に向けられる。そのまま彼女の方へ大股で近づいていくと、手袋のような、包帯のような白い布で覆われた右手を胸の前に当てて、帽子を被った岩石を僅かに揺らした。それは議長である女神に敬意を表している仕草だと見てとれたが、周囲に影を落とすほどの巨体に見下ろされて、女神は固唾も息も飲み込むことしかできなかった。色違いの宝石を爛々と煌めかせながら、彼は女神の耳元に囁いた。
「やあ。結論は出たみたいだな」
そのまま踵を返すや否や、再び最下の中心に立ち、仰々しく腕を掲げる。複数の神々が身を乗り出してその様子を伺っていたが、持っているものが何であるかを捉えるより早く、パアンとはじけた音が響いた。黄色い悲鳴がぽつぽつと現れては消え、幾柱かの神々を驚かせたそれは空砲の音であった。彼の手には、いつしか銃が握られていたのだ。何処からともなく弾丸を生み出し、慣れた手つきで銃に込める。彼方から見上げるカミの目には、弾丸に刻まれた数字――「451F」の羅列がありありと映ると、漂わせ続ける圧倒的で異様な空気が一種の恐れを帯びて張り詰めた。その途端、慄き騒ぎ始めていた取り巻きの神々が、一斉に唾を飲んだ。我々が畏れるカミが、突然現れた謎の存在に恐れている。誰もが初めて体感する緊張感に、一言も上げることができずにいた。このような雰囲気をつくった相対する二名を除いては。
『成る程、ダグの魔法か』
「魔法で殺されるのなら、お前だって本望だろう?」
『そのような魔法利器、どうやって揃えた?』
「こんなもの。対象を屠るためなら簡単だ。弱点がわかりさえすればな」
『そうか……。おまえと魔術師は、反りが合わないと思い込んでいた』
固い表情に笑みが浮かぶ。再びカミに余裕が生まれたのか、それとも芯からささやかに喜んでいるのか。話を逸らすようなカミの発言は、銃口を向ける者を煽ったようだった。彼は照準を合わせると、引き金に指をかけた。
無機質に弾ける音が、室内に張った空気を切り裂く。虫のように小さい、しかし速度を持った物体が、上空めがけて真っ直ぐに突き進んでいく。傍観者たちの中から、数名が後を追っていく。だが、加速していく未知の弾丸は、手を伸ばす神々の指をすり抜けていった。それに留まらず、銃を持っている者はその口を再び上空に向けると、哀れにも神々を何柱も撃ち落としていった。肉体が空中で幾つも弾ける花火の中を、一筋の弾丸はなおも易々と潜り抜けていく。それを受け入れるかのように、カミは穏やかに目を閉じた――。
そのとき。その一瞬、白い塊が弾丸よりも速く、一筋の流星のようにカミの前を通過した。白いものはなおも続く弾丸の攻撃さえも悉く避けてしまうと、薄く目を開けていたカミを攫うように抱える。やがて高速で落下していく塊が停止したのと、弾が尽きた様子の岩石頭が舌を打ったのはほぼ同時だった。
愛おしいものの姿を鏡写しにする最高神が、腕の中に大切に抱くは、白い肌と薄衣、氷のように涼しげな水色の瞳の青年。まだ幼さの残る顔は、どこか懐かしささえ印象付ける。細い指から当たり損ねた弾丸の欠片がこぼれ落ちていったが、それを歯牙にも掛けずに微笑みかけ合うお互いの姿は、まさしく室中の注目の的となった。
「……大丈夫ですか」
『ああ……。感謝する、セイン』
セイン、という青年の名に、ちらちらと数名の神々が反応した。
「セイン、とな?まさか、アストライオスのせがれの?」
「本当に?あの方にはご子息がいたのですか」
「ああ。だが、アストライオスの罰を相手も共に受け……その子供は生まれながら神ではないという噂」
「まあ、低俗な」
「では、なぜ神でもない者がこの場に?」
「お前ら!……ごちゃごちゃうるせえなぁ」
岩石頭の射手が焦ったそうに啖呵を切り、セインを鋭く睨みつけた。指先を擦り合わせるのを見るに、どう攻撃しようか考えあぐねている様子だった。――そうか、セインもこいつも、お互いに初めて顔を合わせるのか。それは
「てめえも邪魔してんじゃねぇよ」
「おまえ……!あろうことかカミの命を狙うとは。何事だ?」
「おれはコイツらの決定の通りに動いてるだけっての」
「議決とて、議長の取纏めと宣言がなければ。おまえがしているのは奇襲だ、大罪だぞ」
セインに目配せをされた女神は、自分が議長であったとつい忘れていたことに気がついた。いや、議長である前に、正義を司る者として事態を整理し、収めなければならない。だが、異様な三名の間に女神が入り込む隙は、まだ現れなかった。セインは目線を再び岩石の顔に移し、なおも問いただした。
「大体、おまえは何者だ。僕が言えたことではないが、なぜこの場に立ち入ることができる?なぜカミの弱点を知っている」
質問が多いなぁ、と問われた方はため息をつく。その間もなく、女神は我に帰った途端に、鮮烈な息苦しさに襲われた。だが、その息を詰まらせたのは無機質な空気ではなく、華やかな香りだった。自分は今、首を絞められている。けれども、襲ってきた相手の腕の細さに、違和感を覚えずにはいられなかった。それもそのはず、室中の誰もが、岩石頭が女神を突然襲ったのを目撃した。それなのに今、女神を羽交締めにしているのは、明るい顔と派手な色の服装をした、華奢な女性だったのだ。
「Bo-4-19652。対神スタンダード『殺し屋ですのよ』。――さぁ、あなたの弱点はなに?」
意識が朦朧とし始めた女神の耳元に、明るく歌うような声が響き渡る。一歩下がって傍観を決め込んでいた神たちは尚のこと、黄色い声で引き下がり、勇敢な神兵たちは武器を片手に二名の女性を囲い込んだ。正体不明の華奢な女性は紅を差した唇とアーモンド型の瞳を細めてにこやかに笑ったまま、女神の首をより一層強く締め上げる。神兵がにじり寄る度に、女神の苦悶を帯びた嗚咽は凄まじくなっていった。
ふいに、神兵の群隊からセインが一目散に飛び出した。女性は驚いた様子で、空いた片手をセインに掲げる。だが何も持たない手が不意打ちを防げるわけもなく、絞首する方の腕が緩んだ一瞬の隙に、セインは女神を抱え奪った。
室中から歓声のどよめきが上がり、セインを讃えた。神々はもはや観衆と化していた。だが、相手も対処には慣れている様子だった。剣幕を帯びた女性の顔は、セインに庇われている女神をまっすぐ見据えたまま近づいていく。その歩みを進めるたびに、顔も、出たちも、体格もみるみるうちに変わっていった。
そうして現れたのは、中肉中背の初老の男性だった。地味な色のスーツにネクタイを締めた出たちで、目尻に皺を寄せて笑っている。男性は傍らに出現した赤いクロスで覆われているものをもったいぶって観衆に見せつける。それはテーブルサイズの銀の箱のような機械だった。大きい箱を撫でながら、まだ落ち着かない様子の女神をちらと見ると、箱に据え付けられたダイヤルの一つを回した。細いアンテナが揺らぎ、聞こえ始めたノイズは段々と鮮明になっていく。空気はいつしか沈黙し、誰もが箱から発せられる声に耳を傾けていた。
「スピカ」
女神ははっとして、思わず立ち上がった。ふらついた足取りで銀の箱に駆け寄り、齧り付くように触れる。今、この箱から、あなたの声がした。忘れることのできない、忘れたくないあなたの声。なぜ?あなたは箱の中にでもいるの?声のぬくもりを、もう一度だけ感じたい。でも。皺だらけの手を握った感触も一緒に蘇ってきて、呼吸が上手くできない。今、あなたに会ったら破裂してしまうかもしれない。
不安定に揺らぐ女神の姿を、数名の神が心配そうに見つめる。初老の男は空気を察してか、まるで自慢の品物を披露する商人のように、仰々しい態度で声を上げた。
「Yt-42-19582。これは死んだ者や、消滅した者と交信する装置。愛する方の元へ、いきたくはないですか?」
『やめなさい。その者はアヴァタールではない。セインもだ。奇襲は大罪ではないのか』
初老の男から差し伸べられた手を危うく取りそうになったが、今度はあなたの――
「ま、そういうこと。おれはアヴァタール専門の殺し屋さ」
得意げな調子で自らを誇示すると、再び懐から例の銃を取り出した。銃口はまた、遥か上空のカミに向けられる。今度は誰も慌てなかった。銃にはカミが唯一恐れた弾丸はもうこめられていないことを、誰もがわかっていたからだった。
しかし、またしても突然のことだ。一柱の神が、うわぁ、と叫んだ。視線がその一極に集中すると、腰を抜かしている神の隣の席の神が、椅子に座ったまま息絶えていた。
「アストライオスの居場所を教えろ」
カミを守ろうと上空へ向かい飛び出した者も、カミの目の前で軽く散った。空の銃口は脅しだった。弾丸などなくても充分に有効な脅迫だ。出方を伺うセインと女神は、見上げた先のカミの瞳がこれまで以上に深く、憂いた色に沈んでいることに気づいた。その瞳は、打ちのめされていく幾柱の神々を目で追っている。騒然、喪失、恐怖、それから遥か上空から降り注ぐ悲哀の空気を味わうように、赤と青の宝石だけが煌々と輝き続けている。
「お前らも、大好きな最高神サマに死なれちゃあ嫌なんだろ?それとも、議決のとおりに殺してやろうか?」
「もうやめて!」
女神が悲痛な声を上げながら目をぎゅっと閉じたとき。豪雨のような喧騒は、囁き声の小雨になった。囁きに混じるのは、驚嘆と感嘆。それもそのはず、上空で鎮座していたカミが、最下へと降りてきたのだ。このようなことは、神々の会議が開催されるようになってから初めてのことであった。カミは騒ぎを起こした張本人である謎の岩石頭に近づいていくと、肩に手を添えて、やめなさい、と念を押すように告げる。このとき、神々の命を無差別に狙う攻撃は、完全にぴたりと止んだ。生き残った神々はほっと胸を撫で下ろし、やはりカミがお止めになったのだ、と納得の雰囲気を醸し出した。だが、対立するはずの二名の様子を眺めていた女神は、カミが降り立ったことはもちろん、岩石頭に向かって子供に言い聞かせるように諭している姿に小さな違和感を覚えずにはいられなかった。岩石頭の方も、神々に向けた残酷な仕打ちをあまりにも素直にやめてしまっていた。そうして銃を片手にちらつかせながら、子供のように無邪気に狂笑した。
「さぁ、アストライオスの所に連れて行け」
『この者を、しばらく牢に預かってほしい。裁きにかけてもかまわない。罪状は任せよう』
二名の発言はほぼ同時だった。岩石頭はカミが言ったことを理解できなかったのか、一瞬静止したが、やがて手元から銃が落とされた。頭の岩石が僅かな赤みを帯び出し、暴れ出す寸前に思えた。だが、両の手にはいつのまにやら手錠がかけられ、一名用の小さな牢に収められていた。それでも、声だけは荒げるのをやめなかった。
「だから、おれは言われた仕事をやってるだけだ!」
『できれば、酌量を……。できるだけ優しくしてやってくれ』
できるな?と、カミは女神に目線を合わせながら懇願する。憎らしいほど完璧にあなたの顔をした最高神様に頼まれては、断るなどまさしく言語道断だ。女神はまた、自分を睨みつけるように細まった二色の宝石をみつめて、この岩石頭が
それから、カミはセインを呼び止めると、誰にも聞かれないように耳打ちをした。セインは深く頷くと、上空へと退室したカミのあとをついていく。そうして、議長の女神と、彼女に捕らえられた罪人、罪人に屠られた神々と、遺された神々を取り残して、会議はお開きになるのだった。
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