第1話 踊りて進まぬもの

 ここは神々が住まう処の会議室。このへやに、あらゆる世界中の無数の神が、着々と集合してくる。今日は全員参加が義務の、恐ろしく重要な会議の日だった。会を目前にして粛々と目を閉じる者、緊張で目を見開いている者、まるで会議などどうでもいいという風に気楽に談笑する者と、神々の様子は実に多岐に渡っていた。

 そのとき。永遠に高く突き抜ける天井の、その頂上の一点に、眩い光が現れた。騒がしい室が、一瞬にして静まり返る。光は線となると――ある者には美しい女神に、ある者には逞しい男神に、またある者には鳥に、龍に、一輪の花に――見る者によって異なって見える姿を形づくった。

 この者こそが、神の頂上に立つ者、全ての神々からも"カミ"と呼ばれ讃えられている者であった。

『議長は』

 静寂に包まれる室に、一筋の声が真上から降りてくる。――この声も聞く者によって違って聴こえるのだが――凛とした声は辺り一面に響いた。円形劇場型の室を取り囲んで座る神々は、その美しく恐ろしい声に撫でられたかのように、背筋を伸ばしていく。だが、恐れて黙っているだけではいけない。カミの仰られたことには、応えなければ。正義感に奮い立たされて、一柱の女神が背筋を伸ばしたまま立ち上がる。神々の視線を一手に引き寄せた彼女は、切り揃えた髪に似合う羽飾りと裾の短いドレスを揺らして、室の最下にある席へと静かに降りていった。

「私が、今回の議長をお務めします」

 途端に、最下の席を取り囲むようにして並ぶ無数の円形の議席から、拍手の雨がぽつりぽつりと降り注いだ。議長が名乗り出て、その神が進行するのに異議がない場合は拍手をする。これもカミが取り入れた規則の一つだ。もっとも、カミの前で反対する勇気も理由も誰も持ち合わせていないため、半ば形式ばったものになっていたが。

 こうして、議長を務めることになった女神は、未だに続く喝采の中、遥か最上に鎮座しているカミの姿を目にとめた。一番下の位置にいても、その姿は憎らしいほどにはっきりと見える。今はもういない、愛おしいあなたの形をとって。

 やがて拍手の嵐は収まり、再び静寂が訪れた。議長の女神は大きく反らした首を戻すと、深々と一礼をしてから、軽く咳払いをした。

「今回の議題は、『二大巨頭である世界のうち、何方どちらを消滅させるか』ということです」

 女神が口を開くが速いか、その背後にホログラムのような、真っ白い光の粒の集合体が現れた。女神が視線を再びちらと上に向けると、カミが頬杖をつきながら、微かに人差し指を動かしているのが見える。これもカミが気まぐれで取り入れたものであった。議長や議席の神々が考えていることをカミが先読みして、その意見を発するよりも早くに、光の虚像として映し出してしまうのだ。今回も光の粒が自在な動きを見せると、室のあちこちからおぉ、と感嘆が漏れた。女神はそれに構わずに、より大きい声で進行を続けた。

「――虚無の空間に時間を流し込み、私達が何かを生み出すことで存在させる。こうしてできたものには、『世界』と名付けられます。この定義に沿えば――私たちが正に今存在しているこの天上世界も、その一つと言えるでしょう」

 光の粒は色を持つと、空の箱のようなものをかたち作る。その箱に、一秒ずつ生まれては消えていく粒子が流れ込み、一粒一粒はあらゆる物体の小さな模型になっていった。そうしていつの間にか、小さい円形会議室になって、室には数多の神々のミニチュア人形のようなかたちをした光粒子が集合した。神たちは女神の周りで遊ぶ光に目を奪われ、身を乗り出してその光のジオラマに手を伸ばす。だが、前方の席に座る神の、その指先が触れようとしたとき、ジオラマは弾けてしまった。女神が口を開いたのだ。

「世界というものは無数に存在します。それは、カミの御意志によって、我々の一部に世界を創造する権利が与えられるからです」

 今度は光の粒が一ヶ所に集中したかと思うと、無数に分裂していった。そして、それぞれが小さな箱の形になると、室を目にも止まらぬ速さで回り出す。議席の神々の数名は、厳粛な会議の途中であることも忘れて、形式ばった先程の喝采よりも大きく手を叩いた。最下から見上げる女神の目にだけは、北極星の周りを星々が回っている空のような美しい景色が見えて、しばらく気を緩めてしまった。だが、やがて光速の箱が動きを止めると、女神はやっと我に帰る。小箱が止まった場所をじっくり観察すると、どうやら箱は、世界を創造した経歴のある神々のもとに飛ばされたらしい。優越感に浸る表情を見せる何名かを尻目に、女神はまた議長としての態勢を整えた。

「私が先程申し上げた、我々がいるこの場所。この世界は、カミの御力によって、絶対的であり恒久に不滅の場であります。それは、もう皆様がご周知のことでしょう。ですが、選ばれた者が創造した世界は、そうではありません。それらの世界はあまりに脆く、消滅してしまう可能性が――」

「きゃあ」

 突然の悲鳴に、女神の言葉はまたしても遮られた。神のひとはしらが、光の小箱に手を伸ばしかけたところで、その箱が勢いよく弾けてしまったのだ。触発されたかのように、各所で箱が弾けていく。室は最高潮の喧騒に包まれ、せっかく熱を帯び始めた女神の弁ももはや意味をなさなかった。騒ぎを止めようと、女神を中心とする幾柱かの神は声を荒げたが、小さく爆ぜる光に、驚嘆する神々は止まらない。女神はとうとう、俯いて目を伏せる。心の中では、自分の進行の手際の悪さと、カミがずっと弄んでいる、美しい光粒子たちとを責めはじめていた。

 諦念の中に閉じかけた女神の目がまばたいた、その刹那。室を飲み込んだ熱狂の渦は、突然、何の脈絡もなしにさっと消え去った。後に残ったのは、しいんと張り詰めた空気と、自らの席に粛々と座る神々の姿。その顔はまるで――騒ぎの当事者とみえる神に至っても――先程の喧騒の嵐など、歯牙にも掛けないといった様相を見せていた。室の最下層、皆から注目を浴びるど真ん中に立つ女神だけが、この異様な空気の不自然さに気がついていた。女神は彼方の上空を、今度はゆっくりと見つめた。カミは相変わらず、鍵盤を叩くように指先を動かしている。けれども、底知れない色彩を持つ瞳が、その時だけわずかに爛々と光った気がした。女神の胸には、冷たいものがすっと吹き抜けていった。

「どうした、続けなさい」

 声がした方に顔を向ける。初老の姿をしたひとはしらの神が、怪訝そうな表情で女神を見ていた。その傍には、光粒子の小箱。女神はまた、室の全体をさっと見通すと、小箱も元通りの形になって、元の場所に戻ったことを理解した。光粒子のホログラムの動きも、最初よりは落ち着いているように見えた。沈黙の視線を一身に浴びた女神の口もまた、粛々と開かずにはいられなかった。

「――主な消滅の原因は、二つあります。一つは、『膨張』によって巨大化した世界が小さな世界を取り込むこと。そしてもう一つは、何者かによって創造主である神が殺されていること。一つ目の『膨張』、こちらはご理解頂き易いと思います。エネルギーを持つ世界同士が触れ合うことで、より大きい力を持つ世界が小さい方を取り込む。エネルギーが爆発することがないよう、世界自身がそれぞれ均衡を保つように働きかけているのです」

 光粒子はまた球形になって、それぞれがシャボン玉のように膨れ上がっていく。神々の注目の中で、ある光の球同士がぶつかったとき、先に大きくなった方が小さな方を吸い込んだ。隣同士に着席していたふたはしらの神は、目を見開きながら顔を見合わせる。光粒子は続けて、手のひらくらいの大きさの球に縮んだかと思うと、小さな駒のような、ミニチュア人形のようなシルエットを形作っては球形に戻って、を繰り返していった。光粒子の興味深い動きに各所から囁きと小さな笑い声が漏れたが、それでも軌道に乗り始めた女神の弁は止まることはなかった。

「二つ目の創造主殺害、こちらも大きな問題ですね。創造された世界と創造主である神は、『アヴァタール』という魂の契約を結びます。この契約によって、神そのものが世界、世界そのものが神となる。つまり、ある一つの世界が消滅してしまうと、それを創った神も命を落とすというわけです」

「その逆も然りであろう?まぁ、あり得んことだが、私が命を落とせば私の世界も終わる」

「ご名答です。この仕組みを利用して、何者かがアヴァタールとなった神の命を奪っている事件が、近頃相次いでいます。そこで、本題に入ります――」

 女神はここで、呼吸を一つ置いた。それを見計らってか、上空の方から一筋の光線が放たれた。細く光る線は、各所に散らばる光粒子のミニチュアの影を貫いていく。光粒子は小さく弾けて不可視の粒になると、上へ、上へとのぼっていく。神々は光速の線が引き起こす様を呆然と目で追っていた。目線の先で、光粒子は二つの同じくらい巨大な塊になった。その光を背に受けるカミの顔が影になって揺らめく。最下にただひとはしら立っている女神だけが、顔を青くしていた。――まさか、貴方が?すべての祖である貴方が、私たちの命を奪うなんて――。

『鬱陶しかったのだろう。もう余計な解説は必要ない。司会者、会を進めるといい』

「カミの言う通りだ。どうした?様子が変だ」

 女神ははっとした。いつの間にか腰が抜けて、議席台に寄りかかっていたのに気がついた。慌てて背筋を真っ直ぐに戻して、ドレスの裾と髪を整える仕草をすると、咳を一つ払いながら誤魔化すように笑った。普段から厳粛な女神の、意外にも間の抜けた動きに、各所から小さな笑い声や野次が漏れ出す。女神は自分の頬が赤くなっていくのを感じながら、――議題の解説をしてくれていたカミへ向けた、勘違いの恥ずかしさ。愛するあなたの姿をした者に、疑いの目を一瞬でも向けてしまった後悔。その一瞬で感じたカミへの底抜けの恐怖心。――様々な感情を心中に渦巻かせた。そうしてもう一度、上空で悠々と鎮座しているカミを見つめた。あなたの姿をした存在が、目を細めて口角を上げている。違うわ。あなたはそんな笑い方をしない。女神は敢えて目線を冷ややかに外すと、静かになった室に手元の資料の紙が擦れる音を響かせた。もう上の方は見まいと、心に誓った。


 会議はやっと、本題に入っていく。


「数多存在する世界の中に、いわゆる『二大巨頭』があります。その二つは、ほぼ同じ規模の強大なエネルギーを持ち、今でも膨張し続けては小さな世界を食いつぶしています。このままでは、犠牲者が増えるばかり。とりわけアヴァタールの方々は、巨大な世界の魔の手が忍び寄るのではないかと恐怖に怯えています。そこに、メティス様より案が提示されました。『その巨大世界のどちらかを消滅させればよい』と。このご提案こそ、今回の議の主題です。二つの巨大世界のうち、どちらを消滅させるか。議決は多数決で執り行います」

「成る程。巨大化した世界が二つある、という話は聞いていたが。一つを消してしまえば、エネルギーは大幅に削られる」

「さすれば、犠牲者も一名で済むな」

「でも、それらの世界は誰がつくりだしたものか、が問題になってくるわね。誰かはわかっているの?」

「この二つの世界のうち一つはわかっています。『大陽世界』と呼ばれるもので、アヴァタールはアストライオスです」

 アストライオスの名前に、室がざわめき出した。幾千年も昔、兄のプトレマイオスによって我々の世界から追放された神。光と星を司るアストライオスの力は当時から絶大なものであったが、彼が我々の預かり知らぬうちに、いつの間にか強大な世界を築き上げていたとは。その事実に、神々の多くが身震いした。女神はざわめきが囁きのような私語になるのを黙したまま待って、また言葉を続けた。

「もう一つは『太陽世界』と呼ばれる世界。こちらはアヴァタールが不明となっています。太陽世界は、大陽世界の後に創造されました。そして、世界の形状から自然法則、生み出された生物、流れる時間まで、何から何まで大陽世界に似通っています。まるで、模倣したかのように」

「なんと……模倣とな?」

「同じような世界が二つもあって、それがエネルギーを圧迫しているというのですね?まさしくエネルギーの無駄であります」

「異なる点といえば、太陽世界は我々の関与があまり見られないところでしょうか」

「我々の関与がない……?して、太陽世界といったか。その世界は、誰が運用しているのだ」

「そうよねぇ。アストライオスが創り出したものと同じくらい発展しているっていうのなら、私たちの力みたいな、世界を動かす何かが必要なはずだわ」

「時間、自然法則等の環境は整えられていますが、創造主が手を出したと思われる部分はそれだけです。その流れで、太陽世界にも大陽世界と同じく『人間』が自然発生しました。けれども、それきりです。自然の中に人間が生まれ、そのあとは人間が赴くままに世界が変化していくのに任せている。創造主であろう神は、ただ人間の生く様を眺めているだけ。まるで、籠の中の虫を観察しているかのような関与の仕方ですね」

「つまりさぁ、太陽世界には、人間が『怪異』と呼んでいるような、我々ぼくたちに近しいもの――自然を超える力を持つものでさえも存在しないということかなぁ?」

「はい。今のところ、そういったものは確認できておりません。人間が考え出したものは存在するようですが」

 度重なる質疑応答の末に、室は笑声の漣に包まれた。

「人間なんて、お天気も自在に操れない、お花も好きな時に咲かせられない、無能な生きものでしょう。そんなのが創ってあげた世界を我が物顔で存在しているなんて、何だか癪ね」

「もう決まりだな。おい議長、早く決を取ってくれ。最も、もう答えは見えているが」

 ――太陽世界を消滅させる。ほぼ同一の二つの世界が、ほぼ同一のエネルギーを持って他の世界を圧迫し、我々を悩ませているのなら。我々とは関わりのない世界、無力な存在が蔓延する方を消滅させるのは理にかなっていると、室中の誰もが考えた。長い前置きの末に、議決は意外にも早く導き出されると思われた。

「お待ちください」

 しかし、最下の女神の胸中には、微かな蟠りが燻っていた。それは生来の正義感とも、愛おしいあなたへの手向けともいえるものであった。大多数一致の議決を前に、女神の声は自ずと震えた。

「その前に、太陽世界の創造主さまに名乗り出て頂かなくては」

「創造主を殺す者の正体は不明なのだろう?だったら不明のまま、ひと知れず殺して貰った方がいいのではないか」

「その者から守ることもできるかもしれません。夫と同じ犠牲者を出したくはありません」

 何名かの女神たちが、はっとして口をつぐむ。議長の女神も同じだった。もう人前では、あなたとの別れは心にしまっておくはずだったのに。明らかに動揺した女神に、意地の悪い若者の姿をした神がさらに釘を刺してくる。

「キミ、議題の当人に肩入れするつもり?しかも少数意見の。正義と公正の女神サマがそんな、アンフェアなことしていいのかなぁ?」

「私の夫も――その者に殺されました」

 室の空気が、一瞬にして凍りついた。先程の不自然な静寂よりも冷たいしじまが漂う。古い神々の誰もが、かつて正義の神同士であり――星人でもあった仲睦まじい一組の恋人たちのことを思い出して、俯いたり、深いため息をついた。ただひとつ、あらたかな笑みが高いところから落とされているのには、誰しも、もちろん女神でさえも気がつかなかった。女神は顔をゆっくりと上げて、視界に入る限りすべての神々の顔に眼差しを一つ一つ向けた。ふいに目が合った一柱の神が、誤魔化すように笑いながら両隣どうしで顔を見合わせた。

「……そうは言ってもよぉ、これから殺されるってんのに、名乗れねぇよなぁ」

「さあ、お名乗りください」


『私だ』


 天上から、透き通った声が降り注がれる。室中の神々の背筋がその声に撫でられて、一斉にさっと首を上に向ける。女神も上を見てしまった。今度は、本当に、貴方なのね。


『私を屠ろうと言うのだな。おまえたち』

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