第四章 ボクらの鎮魂譚

其の十八:作戦決行の巻

 ふと見上げた教室の時計は、午後四時四十四分を指していた。


 これは単なる偶然デショ、関係ナイナイ。

 そんなことを思いながら央一は、慎重に校内を行く音々子を尾行している。


 廊下の窓はもれなく夕陽を取り込んで、オレンジ色と木立の黒い影のコントラストを強く映している。

 学園は部活動の生徒たちすらもう帰ったようで、まばらなはしゃぎ声だけが遠くから央一の耳に届いた。


(次は……階段を上るのネ)


 音々子が廊下の向こうの曲がり角に姿を消したのを見て、央一は独り頷く。


 音々子を泳がせておくのは、いわば生き餌だ。

 釣るのはジャックという学園内を彷徨い、女子生徒の首を絞めて回る迷惑な亡霊。


 静々と洋装のドレスを引きずり衣擦れの音をさせながら、音々子は階段を上る。央一はそれを見届けてからスパイヒーローのように身を隠しつつ追いかける。

 音々子は足音すらドレスの裾の中にしまい、彼女自身が脚の無い幽霊になったかのようだった。


(死んだ人に影はできないっていうけど……)


 音々子に影はある。それだけ見とめると央一はホッと息をした。


 音々子が現在身に着けているドレスは、ナターシャに借りたものだ。「腹痛がイタイ」ことにしたナターシャが、学園の近所だという自宅まで自転車で取りに行ってくれたのだ。届けてくれた後は早退しているはず・・・・・・・・なので、ナターシャはとんぼ返りに自宅へ帰った。ただの雇われ司書のくせに、なかなかやってくれる。央一と音々子は感謝しながら、奴さんに会うため、図書館棟を後にしたのだった。


「ねこちゃん、大丈夫か?」

「なにがよ?」

「いや……」


 音々子に限って、いざという時に逃げ出すような小さな心臓はしていないと分かっていながら、何度もその質問をしてしまう。央一は自分にも役がありつつも音々子のおとり作戦に一抹の不安を覚えざるを得なかった。


 おとり作戦の内容はこうだ。


 現在判明している首の無い男――ジャックの性質を最大限利用する。

 それは、黒い髪を垂らした若い女性の背後にのみ現れ、首を絞める。


 正確にいえば、あれは首を絞める動作ではなかったのだが。


やっこさん、このネックレスを鶴子さんに差し上げたかったんだ。……しかも自分の手で、かけたかったんだ」


 央一はジャックの壮絶な最期を想像した。

 最愛の女性に再び会いに海を渡り、プレゼントを携え、それはもしかしたら駆け落ちの合図だったのかもしれない手紙は届かないままに、友人の別荘宅で大勢の土着の住民によって制裁を受け、そのまま死んだ。


 今回、音々子が吉滝のご令嬢、鶴子の役だ。音々子を吉滝鶴子に仕立て上げる。


「ジャックにネックレスを」


 それから鶴子に首飾りをかけさせるのだ。ジャックの繰り返す死の淵に終止符を打つために。


「俺がジャックの背後に気づかれないようにまわって、ねこちゃんの首に手をかけそうになったらネックレスを持たせる」

「本当にそんなことがうまいこといくかしら」

「ねこちゃんが言い始めたんデショー!! 自信持ってよ! やるしかナイッ!」


 誰もいない廊下。

 音々子だけがカラクリのようにするするとサテンを滑らせながら歩いている。


(まだ奴さん、こっちに気付いてねえらしいな……)


 央一は腕時計を見計らって音々子の後をつけていく。

 廊下のすべての窓は閉まっていて、界界とまったく遮断されており、気分的にも鬱屈としている。


 そうこうしているうちに、もう時刻は午後五時を回った。


(今日は、来ないのか……。いや絶対来る。なんせ、校内で今歩いている黒髪の女子はねこちゃんだけだ。必ずおびき寄せられてくるハズだ!)


 暗くなるまでには時間がもう少しかかる。

 ナターシャからはあまりにも危険を感じたら、即逃げるように言われていた。最後まで音々子を心配していたので、思わず「俺は!?」

と叫んでしまった央一だった。

 

(そうは言っても、やるって決めたらやりたいジャン? ねこちゃんが危険なのは重々承知。それを補うためのタッグだ)


 生餌をまいて更に十五分が経過。

 音々子はまた階段を上がる。


 音々子と央一が初めて出会った廊下は通りすぎた。音々子は一本の廊下、校舎二つ分の一つの階の廊下を、たっぷり十分はかけて歩く。


「わ、なんだあの格好!?」

「ホントだあーなになに?」


 OMG!(オー・マイ・ゴッド!)


(予想外ッ! まだ生徒が校内にいたのネん!)


 なんと制服のアベックが教室から飛び出してきた。音々子の格好を指してなにやらひそひそとしている。

 確かに、中世の絵本から出て来たかのようなドレスをまとった美少女が、学校の廊下をゆらゆら歩き回っていたのなら目立つに決まっているに決まっている。


「あー、……ちょいとキミタチ、静かにしてくれまいか。今ね、撮影中で……」


 央一がなんとか誤魔化そうと人差し指を顔の前に立てながらアベックに言った。


「ええっ!? 何の撮影!?」

「うちの学校テレビ出ちゃうの!?」


(そんなワケないでしょうよ!)


「いやいや、えーと……映画部の一環で?」

「なあーんだ、文化祭用か」

「まだまだ先なのに、ご苦労様」

「あーははは……アリガト」


 アベックが騒ぎ立てながら通り過ぎたのを確認して、央一はため息をいた。

 振り返って央一は再度確認する。アベックの片割れはマッシュボブのいまどき風娘。であれば、ターゲットにはならにはずだ。ほっと胸を撫でおろした。


「げっ」


(しまった!)


 階段を上がったまでは見届けていたのに、上がってから、音々子の姿が見えない。


「見失っちまったってのかアッ?」


 OMG! パート2。


「もしかしてもう一つ上にそのまま階段上がって行ったのか……」


 その時。


「――うぅっ、」


(この風は!)


 窓は閉まっている。どこの窓も閉まっているのは、歩いて来たなかで央一は確認済みだ。


「来たな」


 生ぬるい風が、一瞬央一のくるぶしソックスの上をなぞった。

 しかし、まだ首無し男・ジャックの姿は見えない。


(どこに現れたかは、不明。いやしかし、絶対にねこちゃんを見つけるはずだからな! 俺も急がねば)


 央一は音々子が見つからなかった階も見回してから階段に足をかけた。

 なんとなく、自分も足音や気配を消すように歩いていることに気付く。


(変な汗が流れてるな……)


 ワイシャツの背中がじっとりと湿っている気がする。

 手にも特有の湿り気を感じる。


(これがうまくいけば……)


 彼は本当に救われるのだろうか。


(そんなことは今はいいんだ。ねこちゃんが待ってる……!)


 階段を上りきった。ここだけがひんやりと、違う空気感を醸し出している。

 まとわりつく雰囲気は、むかーしむかしにアニメ映画で見たクジラの胃の中の絶望を彷彿とさせた。


(いた! ねこちゃんだ!)


 音々子はイギリス帰りのお嬢さんのように、草花の模様のオーバースカートを引きながら変わらず歩いている。黒く、長い髪はひらりひらりと歩くテンポに合わせて上下する。

央一は安堵あんどしながらも、額の汗を拭うのをやめられなかった。


(奴さん、どこから来る?)


 廊下はどこも窓が開いていないのに風が通る。

 足元は雲の上にいるように頼りないのに冷たい床が上履きを通して、その温度を伝えてくる。


(この階ではないのか? それとも……)


「ン?」


 なんだか目の前が霞んで見える気がして、央一は袖で目頭を擦った。

 ……何ともない。


「な、んだ? ……チゲ、これもや・・だ!」


 階下から風が押し上げてくるように、足元からふわりと白いものが漂ってくる。まるでスモークをたいたみたいだ。


「演歌でもうたえってかア!?」


(これは緊急事態といっていいのか……!?)


 央一は音々子の後ろ姿が全く動じていないことに気付く。


(ねこちゃん……!)


 あれは本当に音々子であっているのだろうか。

 そんな考えが脳裏にちらつくほど、見る間に階層はあの世染みてきていた。


(大丈夫だ、あれはねこちゃんだ。信じるんだ……じゃなかったら、見失ったら――俺が飲み込まれてる証拠だ)


 しかしどことなく背筋に気品らしさを感じる。服装のせいだろうか。


『ヒュゥー……ゥ、ヒュゥー……ゥ……』


 風の音が聞こえてくる。

 央一は身体が金縛りに遭ったように動けなくなった。


(なんだ? どこからだ?)


『ヒュゥー…ゥ、……グボッ、ヒュュー……ゥ』


 風だけではない。なにか蛇口から水が溢れ出るような音もする。


(一体何だってんだ!? 今更だけど、やっぱしオカシクねエかッ!?)


 央一は振り向けない肩で振り向いてはいけない気配を察知した。


『グッボ、ゴボッ……ヒューゥガボッゴボゴバ』


 ずるう、ずるう……。

 背後からぬるりと央一より上背のある何かが現れた。それは黒、いや赤黒いスーツで歩いている。


(う、わっ!!!!)


 央一は辛うじて横目に見た。央一の目線に相手の肩があるのに、首の上には頭が無い。グボッゴボッ、と聞こえるのは首から溢れる血液。ヒューゥという風の啼くような音は微妙に残った喉の気管らしい。


『ヒュー……ゥ、ゴボッ』


 ずるうっと脚を引きずるようにして歩いている、彼こそが首無しジャックであった。


(出た……! っていうか近ェッ)


 央一はそのおぞましい存在感に圧倒されそうになる。だが央一はポケットの中に入れておいた最期のカギを握りしめ、感覚の薄い廊下の感触を今一度確かめた。

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