其の十七:オリバー邸と令嬢

《オリバー邸の人々》


《オリバーと友人たちは日本海と立山連峰の雄大な景色を好み、たびたびこの別荘を訪れました。山と海に同時に囲まれたこの地形はさまざまな動物にもめぐまれ、オリバーたちは研究、趣味としての狩猟もしばしば行っていたようでした》


《趣味としての狩猟は花重綱の人々にはよく思われてはいませんでした》


《しかし一人の若い娘だけは違って、このオリバー邸に客として招き入れられていました。吉滝鶴子よしたき つるこ、この土地きっての才女でした》


《特に鶴子と懇意にしていたのは、動物学者の男でした。正式な名前は現在残っておりませんが、鶴子はジャックと親しく呼んでいたことが手紙に残っています》


「首無しジャックか……」


 央一が呟いた。


《手紙を出しあう鶴子とジャックは、文章から恋人の一歩手前のような関係だったことがうかがえます》


「……恋人の一歩手前のような関係……」


 音々子は思いがけず口に出して読んでいた。


「ねこちゃん、なに小難しいシイ顔しちゃってんの?」

「な、なによ。そんな変な顔してないわ……。ただ、あの男、ジャックがもし、まだ鶴子さんのことを想って彷徨さまよい続けているのだとしたら、」

「同情したらいかん。取り込まれるガいぜ」


 ナターシャにピシリと言われて、音々子はぐっと唇をかみしめた。

 央一はふと、頭上に電球をピコン、光らせる。


「ってことはさっき言ってた、いわくつきのネックレスってジャックが鶴子サンに差し上げようとした私物だったりして……なーんて、なにか証拠見つからねェかな」


 ナターシャがもう一度資料の山から写真のページを開く。


「そやね。その首飾りはオリバー邸に最後まで残っていたもののひとつナガ。渡せずじまいだったんかね………」

「イヤ、そこがおかしいんだよなァ」


 央一が耳の後ろをぽりぽりと掻く。


「ナターシャにはまだ言ってなかったけど――ねこちゃん、洋館、どんな様子だった?」

「私がみた様子?」

「そう、この写真とちがうところ」

「そうね……、ボロボロの状態だったのは間違いないわ。窓は割れていたし、ドアももしかしたら蝶番が壊れかけていたかも。屋根もひどいありさまだった」

「なにかがあったんだよな」

「そうね、そこにジャックは逃げ込んだ」

「俺から逃げついたのは、あの館」


 ナターシャはそれを聞いて、ハッと二人を見た。


「死んだ者がこの世に残る時、ずっと永遠にそこでやり直しをしとると聞いたことあっッチャ。もしそうなら、ジャックは誰か男に追いかけられてあのボロボロの館で死んだちゅー可能性もあるガね」

「誰か、男に……」

「鶴子さん絡みだな」

「それはこの本に載っとっチャ」


《オリバー邸の最後は、花重綱の住民たちの手で下されました》


《たびたびの令に従い、オリバーとその仲間はその別荘を手放しました。ほとんどデモのような運動も起こっていたというくらいには嫌われていたということです》


《しかしその数年後オリバーの仲間の一人である動物学者、ジャックが戻ってきました。私物をこっそり取りに来たようだったと当時の住民の手記が残っています》


《ジャックの道のりは険しかったようでした。通年は時期が来れば日本海側から訪れられるものを、吉滝家が出禁にしていたためでした。東京からの回り道でありました》


「やっぱり、鶴子にはるばる会いに来たんだわ……」


《ようやくたどりついたオリバー邸はそのままに残っておりましたので、さっそくそこを根城にジャックは鶴子を呼び出したようでした。手紙は外国語のため、遣いの者には読めませんでしたでしょうが、これが証拠となってジャックを討つ算段が立てられたのでした》


「攘夷の時代ではないと思うんだけどナア。やっぱし田舎ってムゴイよネ、他所モンにはサ」


《手紙は鶴子には届かず、ジャックはオリバー邸にて首を討たれ、死亡。館の一室には、赤い箱に入れられた真っ青な宝石の首飾りがあり、真新しい様子もあいまって、ジャックの持ち込んだものと分かりました》


「……」


 そこまで読んだ三人は、一様に黙り込んだ。

 何がそこまで海外うみそとの客を許さなかったのかは、今となってはとんと理解しがたい。それこそ時代のさがというものに飲み込まれたのかもしれない話だった。


 いや、まったくの他人事ではない。

 これはこの町で起きたことだ。

 もしかしたら、自分の祖父や曾祖父、親戚、友人の先祖、隣人の先祖も携わったのかもしれないれっきとした殺人だった。リンチだった。


「……これを知って、あんたらっちゃどうしたいガケ?」


 ナターシャがもう一度二人に訊く。


「……」


 央一は剥製のようにしずかに、しかし炎を瞳にたたえていた。ぎりり、と唇を噛む。


「私、考えたわ。ジャックのために」

「コーシチカ!」


 危険だ!

 何もきかずともわかる。ナターシャは叫んだ。


「取り込まれっチャ! いかん」

「でも、いまのままではジャックも彷徨ったまま、それよりこの私たちの学園に影を落としたくない。死なないにしても悲しい関係者を出すのは、……――見るのもいや!」

「コーシチカ……」


(ねこちゃん、本気なんだな……)


 央一は、音々子を見つめ……、ふとそこに知らない影を見出した。


(……いや、深く考えるのはよしておこう)


「ねこちゃん、今日やるか、明日やるか」

「今日やりましょう」


(ああ、やはり)


 音々子と重なって見えるのは、悲恋の令嬢だ。

 彼女もまた待っていたのだった。

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