其の十五:ビンゴッ!!!!!
「ナターシャ、これいつ頃の写真なの?」
洋館に見覚えがあるのは音々子だけだ。央一は強い眼差しの音々子の横顔を見て、これが、と写真を撫でた。誰かが写真を撮影し残し、印刷して製本され、たくさんの知らない人の手を通して、信じたそれが今目の前にある。そして、こいつが音々子という央一の相棒を飲み込もうとした地獄の入り口だという。不思議な感覚だ。
「こん写真は明治頃ヤチャ」
「もっと近い年代のはないの?」
「この本にはなんも」
「本当に?」
「なーも」
「そう……」
音々子が手帳に挟んでいたボールペンをカチカチと強迫的に鳴らす。
写真一枚では確証に足りえない。もう少し資料が欲しいところだ。
「……なくていいがいね。若いもんは過去に去った置きっぱない(し)なんか気にせんと」
ぽつりと苦々し気にナターシャが呟いた。
央一と音々子はびくり、とその言葉に固まってしまった。大人がそんなに悲しい独り言を聞かせるとは思わなかったのだ。しかも職に就いている人間が初対面の子供相手に、そのような表情を見せることは、二人の短い人生で初めだった。
「ナターシャ?」
「わしのことも気にせんと。子供はのびのびやりたいことをやったらいいが」
「そうは言われてもなあ……」
今のは聞かなかったことにしてくれ、とナターシャは首をゆるゆる振る。それに対して央一はぽりぽりと頭を掻くしかない。
(大人ってこういうところあるよなあ……勝手に辿り着くであろうゴール地点をチラ見せしてきたかと思ったら今度はもとからそんなものなかったように隠して。子供のためとか言いながら自分は――俺たちほど前のめりにもならず、後ろで他人行儀してるとこ、あんまし好きくないのよネー……)
気まずくて音々子に同意を求めるように視線をやると、黒い頭はいつの間にか
「あれ?」
「
かすかに聞こえた声の方へ振り返ると、なにやらぶつぶつ言いながら書棚とにらめっこしては書架の間をうろついている。
「あーハハ……ねこちゃんたらまァーた」
そういえばそうだった。
この地蔵ヶ谷音々子という娘は、こう、と決めた方向にしか目がいかないのだ。
「ねこちゃん? ……コーチシカ?」
「ん? こー……なんて?」
央一の言葉を拾ってナターシャが首をひねっている。
「コーチシカ。ロシア語で仔猫ちゃんて意味」
「ヘェー、なるほろ」
「言うこと聞かんと勝手に好きなとこ行ってしまうところなんか、仔猫ちゃんやがいぜ」
「うまいこと言うジャン、ナターシャ~!」
央一はへらっと笑いかけると、ナターシャは眉を八の字にしてしっしっ、と手をやった。
(そうだ、何をするにも俺たちは自由だ! どんな真実があろうと――!)
そのしっしっとされた、音々子のいる棚の方へ、大股に央一も向かった。
二人掛かりでたっぷり小一時間、フロアのめぼしい資料の海を彷徨った結果、ほかにも洋館の写真や研文、T県の外交の歴史などからそれらしき文章を波間からひろいあつめることに成功した。
「よっしゃ、これで時代がしぼれる!」
「そうね、なんとなく把握できて来たわよ」
ようやく首の無い男の背中が見えてきた実感が沸いてきた。
「ねえ、ナターシャ」
「なんがいね?」
閲覧用机の上に、山にした表紙の数々を軽くはたいて音々子がにやりと笑って見せた。それは勝利感を感じるものである。
「私たちは真実の向こうへ行くのよ。後ろだろうが前だろうが過去だろうが若かろうが関係ない。道が続いてるなら、そこへ行くわ。そして私達だけの景色を、この手で作り上げるのよ」
深淵の瞳は、ドーパミンなのかアドレナリンなのか、ギラギラと輝き、太陽の黒点を思わせた。
「うん……それでいいがいね」
ナターシャは眩しそうに音々子を見つめ、その山から一冊を手に取った。
やはり、この司書は二人が追い求めるゴールへの道標をすでに知っていたのだ。
「確か、後ろの方にあったガ……」
分厚い辞書のような装丁の本。広げられたページに、央一は目を見張る。それより先に音々子がばっと白い手を差し込んで、見開きを叩く。
「――これよっ! この建物! それに……」
モノクロの風景。しかし見紛う事なき、あの洋館が写っていた。最初にナターシャに見せられた資料と同じ写真を使用しているようだ。だがそれよりは大きく印刷が引き延ばされている分、詳細に様子が見て取れた。
木造でありながらペンキで白く塗られ、ドアは黄金の蝶番、ノブ。そして両開きのおおきな間口。ガラス窓は磨かれ、埃のひとつもなく、その時代には異様に映ったであろうとんがった屋根は異国情緒を偲ばせている。
ナターシャはまた違うページを開く。
次の写真も白黒である。異なった角度からの洋館と、その前に一群の外国人男性たちが気難しそうな顔をして並んでいる画だった。
カメラの前にポーズをとり、狩猟のための服を着て、大きなハウンドを従わせている。そこには不思議なとりあわせなことに、一人、黒髪の日本人女性がいすに座っているのが一緒に写っている。
「誰このおじさんたち? それにこの女の人は日本人だよな?」
音々子まで気難しそうな表情になって男たちを見ている。彼女の趣味が始まったのかもしれない。
央一はそっとしておくことにして、ナターシャに
「これは
「なーる……」
その吉滝家の令嬢は外国紳士の中にちょこんと座っており、なおさら小柄に見えた。しかし背筋をしゃんと伸ばし、いかにも利発そうな顔つきであでやかな洋装をまとって座っていた。
「珍しかね、この時代にこんな田舎で洋服着とんガ。さぞかしおとこめろ(おてんば)やったチャのではないガケ」
央一は音々子のつむじ越しにその写真を観察した。
「この中に
「そういうことになるわね」
微動だにせず音々子が肯定する。
すると、黒い頭がばっと持ち上げられて危うく央一の顔面に激突しそうになった。
「あっぶね……!? え、なになになになに!?」
「長い、髪……」
「ン?」
「長い髪だわ、この人。この女の人、黒髪を長く垂らしている」
「! 本当ネ」
写真の令嬢は頭のてっぺんに洋服の色に合わせているであろうリボンを結び、現代でいうところのハーフアップという髪型をしていた。ただ前髪をひさしにしてあるところが時代を感じる。
「首
「そうね」
「誰が奴さんか見分けつきそうか、ねこちゃん?」
央一に言われて音々子は写真をじっと見比べはじめた。
「コーシチカは透視能力でもあるんガケ?」
「ナイナイ! そんな大層なアレじゃないけど、ねこちゃんにはスッゲー審美眼があるのヨ」
「ほう、そなガケ」
やがて音々子は写真から目を離した。
「はっきりとは分からなかったわ。たぶんこちらか、こちらのどちらかの男。狩りをしに行く写真だからか、みんな手袋をはめていて」
「そっかそっか。ナイスファイ」
「ムカつくわ」
ナターシャはメガネをはずして写真を凝視している。
「なんちゅトリックけ?」
音々子の
フロアの窓からは少し傾き始めた西日が差しこんでくる。蔵書を守るために、ナターシャはロールカーテンを下ろしに行った。
「……もうアイツの活動時間ね」
「まァ、今日も今日とて出てくるか分からんがネ。昨日あれだけ追い詰めてやったからビビってるかもヨ」
「まさか」
央一はほんの少しの間目をつむった。あの首の無い男の姿がまぶたに浮かぶ。
(お前、何でこんなことをしているんだ? なにが目的で首を絞める、殺そうとする……。いや、待てよ)
「どうしたのよ? 寝てたの? 立ったまま」
「ねこちゃん、もし! もしだけど、」
央一は写真にまた視線を移した。
「このご令嬢がこの中の誰かに殺されてるとしたら、……誰が容疑者か、わかったりする?」
「はあ?」
音々子は「気でも違ったか」という目で央一をジロリと
「この中に? 尺骨茎状突起ともソイツの体型とも職業ともなんにも関係ないじゃあない。分かるわけないわ! 強いていえばみんな朗らかそうってところかしら」
「だよなア……」
大きくため息。ナイスアイディアじゃあなかったか。
央一は並ぶ紳士たちを順々に睨んだ。
「……間違いさがし」
「今度はなによ?」
「いや、人形ごっこ」
「もう、このヤロウ気持ち悪いわ! 考えすぎてバカになったの?」
「ねこちゃん、この紳士」
写真に写る狩りに向かう紳士のうちの一人を、央一は指差した。
「椅子に手をかけてるこの紳士。首絞めちゃう? 締めない?」
「えぇ……」
血走った眼の央一に、引き気味の音々子。
「うーん……どうかしら。一応さっき見たところこの男の可能性もあると思ったけど。……でも」
音々子は眉間にしわを寄せるまでして再度、写真を見比べた。
「この男……よく見たらこの令嬢の方を見ているわ。仲好さそうだし締めないんじゃあないかしら」
「ビンゴッ!!!!!」
「はっ?」
「ねこちゃん!」
「だからその名前で呼ばないで」
「スミマセン! 奴さんの正体は、この椅子に手をかけた紳士だ!」
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