其の十四:湖畔の文学司書

 くっと小さなあごを上げて、並べられた本の隙間から央一を見上げている。


「アイツは焦っていた……あとで考えたら、きっとアンタから逃げていた。おそらくだけど、少なくとも何かから逃げるようにあの館へ入って行った」

「……なるほどな」

「なんでだかは、わからないけど……」

「それをこれから二人で調べる、ダロ?」

「うん、そうね……」


 音々子の方が近くで首無し男を追跡していたし、完璧な観察眼がある。

 央一は今聞いた情報に誤りはないだろうと直感していた。

 

「そうだ! ねこちゃんチョットチョット、あの手帳、もっかい見せてよ」

「え、なに……手帳?」


 音々子は怪訝けげんそうに棚の間から出てきた。さっきの机まで戻ると、椅子に置かせてもらっていた学校カバンからあの小さな手帳を取り出す。


「ちょっと思い出したことがアルのよねン」


 央一と音々子の二人は閲覧用の机につき、手帳をのぞき込んだ。


「何が気になるっていうのよ」

「ねこちゃんが見たところやっこさんの人物像サ」

「私の?」


 央一は指を指す。


尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきから見れば、男はそこそこ筋肉質。だけどムキムキではない。外仕事より中仕事をしている人に多い手首の肉付き。骨は意外としっかりしている。故に育ちはそこまで悪くなく、食事をしっかりと摂っている健康的な男性。色は白めでキズはなし。この白さは日本人ではない、白人? 白人は初めて見たわけじゃあ無いけどこんなに均整のとれた肉付きは初めて。金ボタンが彼の皮膚の薄さを更に引き立てるよう、血管は青く、彼は青いバラに囲まれた湖畔にこそ美しい》


 最後の方はもはやポエムになりかけている例の分かりにくいような分かるような文章だ。


「こ、これは……っ、……これがどうしたっていうのよ」


 音々子は少し頬を紅くさせて、ちょこっと不貞腐れるようにしていた。


「これが、ねこちゃんのスゲエとこナ。見たいものしか見えないって言ってたけど、こんだけの情報量、そうとう観察力が優れてなきゃあムリ!」


 音々子は更にほほを紅潮させて、「い」の形でくちびるを止めたまま固まってしまった。


「もうっ! さっきからなんのよ!」

「エ?」

「図書館ではお静かニ」


 再度司書のご注意が飛んでくる。央一は人差し指をくちびるにあてて、それからとんとんとその文章をつつく。


「ここから奴さんの背景も読める……たぶん!」

「どういうこと?」

「たとえば……」


 手帳の文章をなでるようにすすっと指先を動かす。


「《白人》という読み、これがもしホントだとしたら?」

「……!」


 そのことに音々子は目を見開いた。


「読み、じゃあないわ。《白人》のものだった。私の尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっき経験値をなめないでちょうだい」

「ン? なんだって? まァいいや。そんなら話は早い。奴さんの生前の背景がしぼれる。そしてあの館、いつ頃のものなのか」

「見たところ木造だったと思うわ」

「ドアは?」

「ドア、は……」


 音々子の探偵風ポーズ。


「たしか、木。ところどころ腐食していたわ。ドアは観音開きと言っていいのかしら、そういう作りだったわ。そして、窓にガラスはなく割れていた」

「だあーいぶ前のものだったっぽい?」


 音々子がうなずく。


「江戸時代は学校で習った通りだ。鎖国していたし、限られた国しか日本に入れなかった」

「外交を再開したのは……」

「明治以降、ってことかな」

「学園が開かれた以前か以降かも知りたいところね」

「それを踏まえてもう一度本を漁ろうぜ!」

「そうね」


 そこへ、コツコツと靴音が近づいてくる。二人は同時に顔を上げて、その方向に視線を走らせた。

 三つ編み司書が立っていた。


「生徒さン……」

「……あ、司書さん。スミマセン、もうちィッと本探しててもイイすか? うるさくしないんで」


 しかし司書は答えない代わりに小さくうなずき、丸めがねを外した。


「あんたらっちゃ、幽霊が見えんガケ?」


 思わず央一はぽかんと口を開けてしまった。純日本なルーツではないだろうに、ガチガチのT県なまりをお話になるからだ。しかも央一の祖父くらいのネイティブな方言だった。


「幽霊が見えるわけじゃあないけど、首の無い男を追っているだけ。信じてもらえないだろうけど……」

「わしはあの男を知っとる。わしもこの学校の卒業生ヤチャ」

「そうなの!?」


 三つ編み司書はよく見ると瞳がエメラルド色をしていた。光の具合で色味が変わって見える、不思議な眼差しが丸めがねをかけ直した。


「ちょっこ前や、わしもおんなじ。でンも、旧校舎の時ヤチャ」

「あなた、ハーフ?」

「あー、クォーターいうんガケ? ロシアのばあ様がおったガ」


 そう言いながら司書は自分のおさげをつまんで少し持ち上げて見せた。きらきらと色素の薄い髪だ。


「そんなガどうでもいいガ。あのっさん(あの人)がことヤチャ」


 思っても見ない援軍に央一はニヤリと口の端を歪める。


「でもアンタ、やっこさんが見えるってわけじゃあないんだろう?」

「見えル。でもおらは標的にはならんがいチャ」

「ヤハリな」

「……それは知っとんガケ?」

「ああ、そこまではナ」


 音々子との会議ですり合わせた通りの推察がビンゴだったことに少し鼻が高い。やはり金髪のおさげ頭に首無し男は興味を示さないのだ。


「あのっさんをどうするんガ?」


 央一と音々子は互いに顔を見合わせ、それから司書の方を同時に見た。


「「止める!」」


 三つ編み司書は目を細める。日光を反射してきらめく水面のような眼をしている。


「アンタらっちゃ、勇気あんがいね(勇気あるのね)……」

「そうかね?」

「普通じゃあない?」


 はて? とした顔でまた二人は顔を見合わせた。


「まあいいがいね。これからどうすんガケ?」

「まずはあの洋館を調べるわ」

「洋館?」

「そうよ、学校の裏の山の中にあったの。アイツを追っていったらあったのよ。でも……それはあちら・・・側の見せた幻だったみたい」

「追って? あちら側?」


 央一は気のせいかと思うほどの小さな笑いを聞き逃さなかった。司書はそのうちに堪えきれなくなったように噴き出して笑いだしてしまった。

 なかなか豪快な笑い声に、ここは図書館だろうに、という視線が央一と音々子の間に交錯する。


「なあにしとんガ。ほんにあんたらっチャ、おかしな人がいね」

「なっ! おかしくないわよっ!」


 司書は口元に人差し指をあてた。はっとした顔であわてて音々子は口を閉じる。


「いいがいねいいがいね、若いモンはそのくらいで。生徒さん、お名前は?」

「俺は阿僧祇央一あそうぎ よういち。一年B組」

「同じく一年生地蔵ヶ谷じぞうがたに音々子ねねねよ」


「おらっちゃは盤若原はんにゃばらナターシャ。お面の般若はんにゃとは字ぃちごとる(字が違う)」

「ナターシャね。かわゆい名前だコト」


 ふうと息をきながら目じりに溜まった笑いすぎの跡を指先で拭うと、ナターシャは奥の本棚から一冊の本を持って来た。


「これはこん学園のある丘、花重綱町はなえつなちょうの歴史がのっとる本ヤチャ。見られま」

「っ……ありがとう!」


 音々子は急いで本を受け取った。分厚い本の表紙には「花重綱町~漁業と山の町~」とある。

 さっそくめくってみると、写真が巻頭にあり、丘からの花重綱町の移り変わりが年代ごとに一目瞭然に比べられるようになっていた。


 音々子と央一とナターシャは閲覧用の机に戻ると顔を突き合せて座った。


「明治頃の貴重な写真も載っとッチャえ。見んまいけ(一緒に見よう)」


 ナターシャが開いたページには白黒ながらもコントラストの美しい立山連邦が紙面を飾っていた。花重綱町から見られる、見慣れた姿だ。現代と変わらぬ雄姿である。


 もうひとつページをめくる。


「こいつは……」

「この館……!」


 そして、まさにあの裏山で見た館がそこには写っていた。

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