其の十二:裏山にて

(姿が見えるうちに、アイツの正体を突き止めてやる!)


 姿をくらまされればふりだしにもどる、だ。

 音々子は足音に気を配りながら、首の無い男より十メートルは離れて後を追った。


(どこに行くつもりかしら。次のターゲットを探している……?)


 男はゆらゆらと陽炎かげろうのように歩きながら、確かにどこかを目指しているようだった。


(もし誰かがこの先で被害にいそうになったりしたら、私はなんとかできるだろうか――)


 一度は犯行を防ぐことはできるかもしれない。体当たりをしたり、投石したり、ほかにも手はありそうだ。だがそれに逆上した首の無い男がもし音々子に標的を変えてきた場合――ここに央一はいない。ふざけてばかりで存在自体ふざけている、どうしようもない男だが、音々子を助けてくれたことはまぎれもない事実だ。

 音々子は身を隠していた木の幹をガリッと引っいた。


(ええい、考えても仕方ないわ! 今は見つからないように、アイツを追うのみ!)


 生け垣、駐輪場の陰、教師が通勤に使っている自家用車、と隠れながら追跡を続ける。男はそれに気が付かないかのように、ゆらゆらと校内を歩いていく。

 音々子自身の影は夕刻を迎えて長く伸び始めていた。首無し男の足元にはそれがない。

 

(幽霊に影がないのって本当だったのね……それにしてもいい尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきだわ。あの滑らかな流線、れする……。ナイスだわ、ナイスよ)


 うっとりとした視線を注ぐ。その数秒の間に首無し男は透明になったりまた姿を現したり、幻惑させるような点滅を繰り返していた。それが何を示すのかはわからないが、なぜか音々子には、この男が目の前から消えはしないだろうという妙な確信があった。


(ああっ、そでが邪魔ね! ……――あら?)


 ふと思い出す。

 それは央一と初めて出会った日、そしてその時刻より少し前、音々子はあの首無し男をまさに今のように追いかけていた。


(あの時と、歩き方が違う……? 歩くペースは変わらない。でも、尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきは今、青い血管を浮き上がらせたりしまったり、出っ張りが前に比べて強い……引きっているともとれる。つまり、男は焦って急いでいるんだわ! 突き止めなくては! あの首め犯がどこからやって来るのかを!)






(フフフン? この道は初めて通るな。新しい校舎の横にこんなうすら小汚い獣道があったとは)


 背中をさすりながら、央一は低植樹の陰に身を潜めた。デカい図体はこういう時に不便だ。どれだけ小さく屈んでも立てる音は大きくなってしまうし、先ほど大激突した腰なんかは尚更なおさら痛む。


 音々子は知らなかったが、央一は気を失ったりなどしていない。あれは芝居だったのだ。


(ねこちゃんには怖い思いさせちまったかもしれねェけど、それぽっちで諦めるようなオンナじゃねェもんなあ。ちゃあーんと知ってるぜ)


 央一の視界は、鬱蒼うっそうとした雑木林の中をちょろちょろと危なっかしく進んでいく音々子の後姿を捉えていた。

 この雑木林は学園の裏山への入り口だ。この裏山を、誰かが管理しているのかは知らないが、ここの生徒はよく肝試しなんかで侵入するらしい。パンチラ鑑賞の際に通りすがった生徒たちが話しているのを聞いたことがあった。

 そのうわさに違わず、かれ時の雑木林は薄気味が悪い。自分の足音にすら心臓を紙やすりされている気分になる。


 その中から音々子のセーラーだけに見当をつけて二重尾行を続けていると、開けた場所が先に見えた。

 

(ねこちゃんはどこに行こうとしているのか……おそらく、やっこさんを追っているに違いない……確か、首が無いって叫んでたっけ。目つぶっちゃってたからちゃんと犯人の容貌は見えてなかった。これは失敗だったかも~なんて……)


 小さな広場は暗く、冷たい空気を持って二人を迎えていた。運ばれてくる風は学園に届くような海の香りはせず、ぬるりとした触感をさせて首筋を撫でていく。

 もしかしなくても、おびき出されたのではないだろうか――そんな不安が央一の頭に浮上する。


(だとしても、どうやってねこちゃんを回収すればいい? 俺の方向からやっこさんは見えない……いや、いなくないか?)


 一歩、木の陰から踏み込んでもう少しだけ様子のわかりそうな位置をとる。

 その時音々子は、小さな広場からさらに奥まった闇の入り口とも言えそうな真っ暗な木々の合間へ入り込もうと手を伸ばしていた。

 

 「待ちなさいっ――!」


 頭上でけたたましい鳴き声を上げてカラスが数羽飛んで行って、央一ははっと立ち上がった。


「ちょ、ねこちゃんストぉーップっっっ!!!!」

「あら、いたの」

「アラー? じゃないでしょーが! どこへ行こうとしてた? そっちはやぶだぜ」

「……」


 音々子はそれには答えずに、央一の指す方を改めて見上げた。

 そして真っ青になって口をぱくぱくし始めた。

 

「どしたん? 金魚のモノマネ?」

「ちっ、ちがうわよっ! ここにあった洋館がないの!!」

羊羹ようかん? 今日のおやつだったのん? いだっ!」


 グーパンチが飛んできた。


とぼけんじゃないわよ! ここに、さっきまで建ってたのよっ、その……ボロボロの洋館が……」

 

 今度は真っ赤になった顔をうつむかせる音々子。代わりに央一が藪の向こうから手前、小さな広場、と観察してみるが、とりたてて変わったものも無いし、洋館なんて立派なものは見当たらなかった。

 ちなみに突如殴られた央一の片ほほも真っ赤になった。


「本当なの……!」

「ねこちゃん、」

「ねえ、本当にあったのよ! そこにアイツが……」

「信じるよ」


 央一は音々子の細い肩に手を置いて、こちらを向くように促す。


「し、しんじてくれるの……?」

「ああ、信じるさ。ねこちゃんも俺のこと信じてくれたから俺たちはここまで来たんだろ? まあ、あの時めっちゃ疑われたけどナ」

「そ、それは……悪かったわよ」

「そんなん今となっちゃ別にどーでもいーいけどよォ、……何があった?」


 音々子はいつもの殊勝な態度ではなく、呟きがちに話し始めた。


 一階の渡り廊下で央一が気を失ってから、単独で首無し男を追跡し始めた音々子。今、自分がやらなければ――そんな使命感で尾行をしていたが、尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきに目をとられているうちに、いつのまにか裏山へ来ていた。そしてこの小さな開けた場所に辿り着いた。古びた洋館の庭に、音々子は足を踏み込んだのだ。


「――その洋館の中へ、アイツは逃げ込むように入っていったのよ……それを追いかけようとして、私はドアに手を伸ばした。そうしたらアンタに声を掛けられて、振り向いたら洋館は消えていたの」

「エ、なにそれ、めっちゃコワイ」


 自分から教えろと言ったくせに、という目で音々子はギロリと央一を一瞥いちべつした。構えていたがパンチは飛んでこなかったので、央一は少しだけ肩透かしを食らった気分になる。


「私……誘い込まれたのかしら……」

「とにかく、ここは離れたほうがよさそうだな。帰ろうぜ?」

「そうね……」


 音々子は最後にもう一度だけ、あの男が帰っていった館を思い浮かべて、振り返った。

 だが、そこには深く影に飲み込まれた雑木林があるだけだ。


「あの館に入ったら、どうなっていたのかしら」

「異次元から帰ってこられなくなったんじゃね?」

「どうかしら……」

「ねこちゃんてシックスセンス、ある方?」

「さあ、今まではなにも感じたことはないわ」

「ふーん……死後の世界かあー……」


 間違いなくあそこは異次元への入り口だっただろう。あのタイミングで音々子を呼び止めなければどうなっていただろうか……適当に異次元などと口にしたが、見たことないものは知りやしない。央一はなるべく音々子に寄り添って、同じ歩調で歩くようにした。


「私、なぜあそこに立派な洋館が出現したのか知りたい」

「……マジで言ってる?」

「本気よ。それが何か手がかりになる気がするの」

「あ、そう……そうだなア」


 下る舗装されていない道を慎重に踏みしめていくと、ようやく見慣れた校舎が背の高い木々の合間から見えるようになった。その隣にはやたらと近代的な建物が五階建てで生えている。


「明日は図書館にでも行ってみるかい?」

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