第二章 真・校内探検隊

其の九:マーマレードブッセ==ぼんぼこ

 目撃者はきっとこの世に二人しかいない。


「なァねこちゃーん」

「……」

「……音々子ねねねサン」

「何かしら」


 聞こえてる、絶対聞こえてる。

 わざと返事しないのだ、この女。

 

 央一よういち作ニックネームがお気に召さないらしいのは承知の上であるが、最近は逆に反応が面白くなってきてしまって、この自作のニックネームを央一は使い続けていた。ちなみに今回のリアクションといえば、金平糖を咀嚼そしゃくする音が一瞬途切れ固まる、であった。


「今日はナンかありましたァー?」

「いいえ、今日も見かけてないわ」

「俺もォー……」


 央一と音々子がチーム体制を敷いて情報を共有し合い、二人掛かりで学校を見張り始めて一週間と少しが経つ。その間、あの男は一度も姿を見せなかったのだった。ずっと気を張っているにも関わらず、望んだ結果が得られないことほど疲れるものは無い。毎日怪異なんか現れたらそれこそえらいこっちゃなものだが、そうではないとなるとこちらの気が変になりそうだ。

 とはいえ、首め犯は毎日現れるものではないということが分かって来た。

 

 日々の授業は退屈この上ない、まこと平和。

 牧歌的ともいえる春の真っ最中は、丘の上にある学校として風光明媚めいびであった。

 丘を登る校門までの道筋には桜並木、背景は青い空に青い海、そしてはたらく白い船。反対側から見れば、小高い丘に時計台のある校舎、桜、地元の人間が愛してやまない立山連邦の雄々しくも麗しい姿を拝見できる。


「ふわぁ……」


 音々子ですらあくびするこの陽光。

 風は羽毛布団より軽く、あたたか。

 

「はあ、俺、この町、好きだなあ」


 央一はしみじみとじじ臭いことをのたまう。

 誰もいない教室に運ばれてくるのは海の香り。

 遠くでとんびが鳴いている。


 第二校舎は、主に三年生教室が組み込まれている建物である。

 ほかに、実験室だの美術室だのといった実技的な教室もある。三年生が使う校舎、というイメージが強いのは、進路相談室があるからだろう。進学、就職のための資料室なんかもある。


 盛り沢山な第二校舎ではあるが、少子化のせいか、地域の過疎化か、スタンダードな教室はフロアまるまるからっぽだったりする。


「学校探検た~のしィ~っ。こういう田舎のフリーダムさがス・テ・キ!」

「まあ、つい最近まで100%木造校舎だったらしいからね。抜け切れてないんじゃあないかしら、相変わらず無防備なものだわ」


 新一年生のクセに、結構勝手している。

 央一はマーマレード風味のブッセをもしゃもしゃと食い散らかしながら、好物の黒ゴマ牛乳をすすっていた。


「空き教室でこーんな格好でこーんなうまいモン喰ってもオゥライヌォープラォブレ~ムなァんてさ。俺、明日から不良に転職するワ」

「馬鹿言ってないで今日の報告よ。それからそのとっ散らかったアンタの汚らしい食べカス、ちゃんと片づけて帰りなさいよね。あとコレ、お行儀が悪いわ」

「へーいへーい」


 音々子にビシッと指差されてにらまれてしまったので、机の上から組んだ長い脚を下ろした。

 しかし、上履きから派手な蛍光パープルのくるぶし靴下がちらりと目をかすめ、音々子は更に眉をひそめる。


「……そんな色の靴下、どこに売ってるのよ。趣味悪い」

「あーッ、ヒッデェーッ!! ねこちゃんの今日の赤バラレースパンツの方がどうかと思いますけどォ~?」

「こンの……っ、いつの間に見たのよ!?」

「ここに来る前、渡り廊下でたまたまネ」


 バッチンと特大のウインクを贈って差し上げたが、美少女フィギュア系美少女は阿修羅も泣いて逃げるほどの表情でウインクを封も開けずに返品してくれた。

 よくよく考えれば渡り廊下を渡ることになるのも、渡る時間帯も、音々子に待ち合わせ場所を指定された時点で計画立てられるのだ。チャンスは必ずものにする男、阿僧祇央一あそうぎ よういちである。


「今日と言う今日は――――、チョン切ってやるわ!!」

「ハイハイ、ストーップ。成敗するのは俺じゃあないデショー? ってゆーかどこをチョン切るつもりなん……いや、やっぱ言わなくていいデス」

 

 音々子は今まさに自分の筆箱からはさみを取り出さんとしている。本気か冗談か――たぶん本気と書いてマジと読む方のやつだ。


「ま、マジメにやるぜ俺は! マジにマジメにマジックショー!! ホラ、ヘーイ!!」

「……意味分かんないわよ」

「あれ? ねこちゃーん、タッチしてくれないの?」

「触りたくもないわ」

「あらヒドイ」


 適当な言葉を並べて適当にハイタッチを求めると、音々子はため息をきながらはさみをしまってくれた。毒気を抜かれたようだ。とりあえず九死に一生を得た。


 音々子はどこかの委員会の書記担当のように、真っ黒な表紙の手帳に日付と会議場所を記した。央一はここ数日で見慣れた恒例のこの光景を見りながら、机の下に収まりきらない脚を大股開いて座り直して話し始めた。


「俺は今日の昼休みも運動場用具室にいたけどンも、やっこさんは見なかったな。原因不明で倒れちゃう女の子も見なかった。でもパンツは見た」

「……」

「報告終わりデス」

「……あそ」

「ね~~ェ、冷たくないですかァ~?」

「報告は必要なことだけでいいのよ」


 ズバッと切り捨てられる。次は音々子の報告だ。


「まあ、かく言う私もそれほど有力な情報は、今日も得られなかったわね。犠牲者が出なかっただけマシだと思いましょ」

「それだけ?」

「ええ」

「……」

「……」


 息巻いた割にはあっさり終わってしまった。用事が終わると特に話すことはないものだ。沈黙が大行列を組んで目の前を流れていく。

 改めて考えると不思議なもので、二人は別に旧知の仲でもなく、何か趣味が合うでもなく、仲良しこよしでもない。顔を突き合わせて毎日毎日イッショウケンメイまったく何をやっているのだろう……。そんな気持ちになってくる央一だ。


「でも何もしなかったわけじゃあ無いわ。これまでのことを整理してみたの」


 そう言って音々子は黒い表紙を閉じ、裏表紙から開きなおす。


「これまでのあの男に関する情報をまとめたわ。見て」

「ほう」


 平均的な女子高校生のてのひらの大きさに合った、央一には少し小さめなその手帳には、音々子のやや神経質な人格が乗り移ったような細かい字がっちりと並んでいた。っちり、でないところが彼女の「分かりにくいものは気持ち悪くてキライ」というような性格が出ている。


「これが俺とねこちゃんの、アイツについて分かっていることのすべてか」

「そうよ。憶測によるところが多いのが正直なところだけど、何も無いよりはいいでしょう」

「グッドグッド」


 央一がその細かい字を「フフフン」と目で辿たどって行く。


 内容はこうだ。


《あの男は世に云う“怪奇現象”、即ち幽霊である。これを前提にしないとこの事件がまったくの迷宮入りになる。》


 この件に関しては央一が言い出したことであるので、「フフフン」と読み飛ばす。次。


《彷徨える男の幽霊は、生きている人間に危害を加えるという点と、一定の場所にしか現れないという点で、地縛霊と呼ばれるものと思われる。》


「……ねこちゃん、この一定の場所ってェのは?」


 気になったので尋ねてみる。


「アイツが動き回れる場所に制限があるように思ったの。有薗宝道津港ありぞのほうどうづこう学園敷地内っていうのが第一条件として、更に私が考えたのは、屋内に限る、ということよ」

「ハア」


 言われてみれば、今まで央一が見てきた事件現場は、最初に異変に出くわしたのも校舎の玄関だ。音々子の指摘通り屋内であった。

 

「んー、今のところはそうかもネ……でもでも、首を絞められる被害者は全員女の子ってェのは? そこンところ何かある?」

「それはこの辺に書いてあるわ」


 薄ピンク色の爪が、とんとん、と罫線を叩く。央一は猫背をさらに丸めて机に覆いかぶさるように手帳をのぞき込んだ。

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