其の八:黒と白

 音々子ねねねのガーベラのようなまつげが、瞬きもせずに返答を待っている。

 そうですよね、そこが解決すればスッと喉鼻通ってスッキリしますよね、と央一よういちうなずく。頷きはする、が。


(………………もういっか)


 よくよく考えたら、これを問うてくれたのが音々子で良かったのかもしれない。

 結局、央一は短いシンキングタイムで答えを出した。


「俺が今日そこに立っていたのは、初犯です」

「……は?」


 出だしを間違えた。

 音々子はイラッとした感情を隠しもせず、すべてを一音に真空パックして目の前の男に投げつけた。


(めちゃめちゃコワイ。だやい……しかもエラソー)


「……スイマセン、テイクツーもらえますかね?」

「……許可するわ。続けて」


 許可をもらった。


「あの、ですね。ボクはそこでボクの趣味を遂行していまして、あの、誓って言いますけど、渡り廊下付近に来たのは今日が初めてデス」

「そう、それで?」

「……それで」

「何で今まで来たことのない所に、今日たまたまやって来たのかしら。何の用があって?」


 音々子サン、仁王立ちで腕組しないで下サイ、威圧感がおっとろしいことになってマス……。なんて央一の祈りは既に届かない。

 ぐっと丹田を引き締め、覚悟を決める。


「ちょっと探検に。ここまで遠征して来たのは初めて、これは本当」

「じゃあ、どれが本当じゃあないのかしら」

「ぐっ、……いちいち揚げ足取ってたらキリが無いデショねこちゃーん?」

「要領得ないことしてるのはそっちでしょう」


 それもそうである。

  央一は数秒前に決めた覚悟を、もう一度握りしめた。


「それで通りすがった俺は、この渡り廊下の下で立ち止まった! 何故なら気付いてしまったからだ!!」


 どんな感情のたかぶりがあって活動弁士調のしゃべり方になったのか。音々子は眉を少しひそめただけで、ここでは特にツッコまなかった。


「それでね、あの地点から斜め上を見るンです。俺の身長で。そしてこの渡り廊下二階はとんでもない欠陥欄干造りになってまして、で、そこにミニスカートが、通るでしょう?」


 今度は調子を下げて、訪問営業販売サラリーマン風で語り始める。しかし学ランを着たこのサラリーマン風口調の男は一向に音々子の目を見て話そうとしない。ずっと視線を合わせないようにくるくると黒目を泳がせている。

 この男は、つまるところいったい何が言いたいのか。音々子はいぶかしみ始め、当然顔はけわしくなる。


「そうするとね、……見えるんです。スカートの中が」

「……」


(ああ……っ、言ったぞ、言っちゃったぞ俺は…………ッ!!)


 央一のTシャツの背中側は、もう変色していることだろう。汗で。

 直接の単語は伏せて告白したが、これはもうおまわりさん相手だったら手首にカシャン、とされるレベルのところまで言ってしまった。


「……それがアンタの趣味なわけ? さっきそう言ってたと思うけど」

「……ハイ、間違いありませヌ」

「……」


 音々子はまたしても黙り込む。


(オイオイオイオイ、何を考え込むことがあるんだ! さっきみたいにはっきり「キショイ」と言っておくれよ。そっちの方がボク、ここでおもらししないで今日という日を終えることが出来るから――――!)


 という祈りも届かないこの無情感あふれる沈黙は、意外にも長くは続かなかった。早々に音々子が口を開いたからだ。


「それが、趣味だと言う証拠は?」


 奔るはし、戦慄。


(コイツ……、マジメか……!?)


 違う意味で汗が流れた。


「アンタの身長でしかスカートの中を覗けないなら、それは証明にならないわ。私はそれを確かめられないもの」

「……そう、ですネ」


(マジでマジメだった……)


 しかしこれだけ偏見の目を持ってくれていないならば(今はのぞき魔検挙が目的ではないので抑えているだけかもしれないが)、むしろ央一にとっては追い風だ。やはり音々子が相手で良かった。


「他にもボク独自のパンチラ鑑賞スポットがありまして、それは運動場用具室ナンですが」

「運動場用具室? あそこ勝手に入れるの?」

「入れマス。あこの部屋に入って、ちょうど地面の高さくらいにあるあの小窓から、十分のぞけマス、ハイ」

「……」


 音々子サン、審議中。

 この暴露が、吉と出るのか凶と出るのか。


(ああああああ…………、母ちゃん……、こんな子供でゴメンナサイ…………! こんな情けない男でゴメンナサイ…………!)


 あまりにもその静寂が、央一の心に痛すぎて、天にします自分の母親に懺悔ざんげした。相当ブルっている。


「アンタはずっとそこに立っていたと、言ってたのを聞いた気がするんだけど、ということは、見ているわよね?」

「……と言いますと?」

「私のパンツ」


 今日いちばんの処刑タイムが、ついにやって来た!

 この美少女はその麗しく愛らしい、こんな爽やかな春にふさわしい桜色の唇で、 お前は私のパンツを見たのか・・・・・・・・・・・・・と問うて来たのだ。


「これなら私でも判断がつくわ。さあ、答えて。見たのか、それとも今喋ったことすべてうそなのか」


(おったまげた……クレイジーだぜ)

 

 音々子の真実を追い求めるその姿に、もはや央一は脱帽を禁じ得なかった。

 堤高日本一を誇る我が地元の観光地が一つであるあのダムから飛び降りる。そんな気持ちで、ようやく乾いた口を動かす。


「見、ました」

「そう――」


 声を発した瞬間、ズオォッとおぞましいまでの殺気が、今や哀れなボロ雑巾のようなメンタルの央一を直撃した。


「それで、どんな?」


(母ちゃん…………っ、俺に勇気をォ…………ッ!!)


「色は?」

「……黒です」

「柄は?」

「総レースでした」

「……」

「……」


 この沈黙。現役ベテラン刑事でもこんな迫力は出せまい。ピクリとでも動いたら、あの深淵の黒からウルトラ怪獣もビックリな光線が照射されるだろう。

 苦しい、この空気が苦しい。首を絞められているわけでもないのに、大いなる力によって呼吸することが許されない。さすがはスピリチュアルスポット。


 そこへ、鋭い舌打ちが聞こえてきた。


「白だわ」

「……!」


 白、というのは――


「合ってる。今日穿いているのと」


 無罪の“白”だ。疑惑が晴れたのだ。下着の色のことではない。

 のぞき見たパンツの色を回答正解して無実というのもおかしな話だが、とにかく央一への判決は無罪放免となったのだ。


「あぁ~~~~~~~~~~~っ、けったくそ悪い!! 信じてやるわよ! 死ね!」

「ワーっ、ありがとうねこちゃーんッッ! もっとののしってェ」

「キショイ!」


 こうして二人は信頼し合える仲になった。……一応。

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