其の六:検証!渡り廊下1

 渡り廊下。

 第一校舎と第二校舎を繋ぐ、二階建の廊下。しかし実態は、屋外通路である。そこを渡るためには『校舎から屋外へ出る』ためのドアをくぐらなければならない。

 第二校舎二階廊下の現場から数メートル程度だが大事なロケーションのひとつ。その渡り廊下に二人立っていた。

 

「まあ、私も今日初めてこの廊下を使ったのだけど、吹きさらしで……有り得ないわね。何のために新校舎を建てたんだか、理解に苦しむわ」

「そー……ネ」


 音々子と共に現場検証を真似まねた、事実確認的なことを流れでやることになったのだ。


 カワイイ女の子とお話しするのは別段構わない、むしろウェルカムなのだが、この地蔵ヶ谷じぞうがたに音々子ねねねという人間は包み隠さず言ってしまえば、ほとほと面倒くさい人種であった。


「美少女と放課後校内デートの何が面倒なのかッ! 贅沢ぜいたくな悩みをッ!!!」とお叱りを受けそうなものである。しかし、とにかく言葉遣いがまぁーっっっっっったくカワイクないのだ。

 それから彼女、音々子自身が気に入らないと思ったものは、すぐさまこのような調子で口撃する。特に央一に向けて言っているのではないと頭では分かってはいても、心臓がキリキリキリプスッ……という具合にやられてしまうのだった。


「そして、アンタはあの辺に突っ立っていたのよね?」

「あーそーそーあの辺あの辺」

「適当に流さないでちょうだい、まだ疑いは晴れてないのよ。私の中ではアンタは容疑者②なんだから」

「げッ!? うっそンッ!?」

「あと、ふざけないで」

「…………ふざけてないモン……」

「何か言ったかしら?」

「……ィィェ」


 こういうことなら、もう誰でもいいから、そのへんうろついてる教師なんかにあの被害者の女子生徒を押し付けて、警察沙汰にでもしてしまえば良かった。そうすれば、この小うるさい女子高生の事情聴取もプロの高血圧なオジサマたちがやってくれるのに。と、今更ながら後悔の念が真冬の日本海の厳しい積雪のごとく央一を襲ってくる。


 とは言っても、おかしいと思ったものを素直にそこでおかしいと叫ぶことが出来る、音々子のその性格はとても分かり易い。そこらの人間とはちょっと違った、良い意味での特徴だった。それだけはありがたい。


(マジメに腰据えるか……)


 美しい黒髪をしゃらしゃらさせながら音々子は辺りを観察している。央一も思うことがあったので、……別に、今までふざけていたわけでもないが、本腰を入れて捜査をすることにする。


「ってか、聞きそびれてたんだけど、ねこちゃんは犯人の顔見てないの?」

「……」

「…………音々子サンは、犯人の顔を見ていませんか?」

「見ていないわ、覚えてない」


(クッソ負けねェ……負けねェぞーォ……!)


 すっかり彼女のペースに乗せられている。このマイペースさもコミュニケーションの取りづらい原因である。


「でもサ、後姿くらい見てるでしょーに? 何かこういうカンジの男だったとか、背丈とか、何でもいいんだけど……何かありまセン?」


 諦めずに食い下がる。

 特別、自分こそがこの事件を解決しなければならない、といった強迫観念を持っているわけでもないが、に落ちないのだ。音々子が渡り廊下で異変に気付いて現場に駆け付けたのも、動機をまだ聞かされていない。


「その、覚えてないってェのは、何で?」


 追い詰めるように、質問を重ねる。音々子のシンキングタイムは、黙りこみ始めると聞き出すタイミングをどんどん逸してしまうので、なるべくこちらに注意を引きつけるためだ。嫌そうな顔をされても、これは止めてやらん。


「……私は」

「うん」

「その犯人の手首を見ていたの」

「うん……ン?」


 手首――とは?


「手首に、何かあったんか?」


 犯人の手掛かりになるかもしれない。後々重要な情報になるかもしれない。そう思うと、央一の目が一気に集中の色に染まり始めた。


「とってもイイ尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきだったのよ、彼。大きさといい、形といい。周りの肉の厚みも控えめで、すうっと通った腕にとん、とそこにある感じが、とってもイイのよ。趣があってナイスなの、彼の尺骨茎状突起は」

「え、と、……ウン」


 どうしたんダロウ、音々子サンの瞳が輝き始めたゾ……。


「あの、……そのシャッコツケイジョウトッキって、何なん?」


 言っちゃいけないかなとは思いつつも、ツッコまずにはいられなかった。彼女がそれほど入れ込む謎の単語は、いったい何を示すのか。


「この手首の、コレよ。手先と前腕の狭間はざまにある、この横の出っ張り」

「あ、……ああっコレッ!? コレ、シャッコツケイジョウトッキってェの!!?」

「そうよ、それが素晴らしかったから私はずっと見てたの」

「あ、あぁーー……そォ」


 ここでピン、と来ちゃった央一プレゼンツの『お察し解説』を付ける、以下。


 音々子がずっと尺骨茎状突起なるものを見ていた、というのは、ずっとあの男をストーキングしていたということだ。首絞め魔のやっこさんを見かけたときから、おそらくずっと。しかもその行動は無意識だ。自分がそういった変態的たぐいの尾行をしているとは、微塵も思っていない。自覚が無い。だから罪悪感もなく、こんなキラッキラなおめめで、ことの素晴らしさを心ひとつに伝えようとしてくる。


(音々子、恐ろしい子……!)


 犯人も犯人だが、音々子も音々子で結構危うい。


「アンタの尺骨茎状突起も素敵なんだけど、アイツの方が私の好みだわ」

「はァ……、さよか」

「アンタのはちょっと角ばり過ぎなのよ。め、今の段階ではナンバーツーってところね」

「……」


 自分が悪いわけではないのにイラッとくる。央一が何かしでかしたわけでもないのに、一位にはなれないらしい。


「……話は戻すけどよゥ、あの男を初めて見たのはどこの辺? 校舎ン中?」

「校舎の中よ。私はクラスのある第一校舎の三階から下りてきたの。二階に下りて、職員室の前の掲示板と賞状とか、眺めていた」

「掲示板って、部活の優勝トロフィーとか置いてるガラス棚の、その辺? 賞状も額で飾ってあるよな、盾とかもあったっけか」


 央一はその場から第一校舎をのぞいた。今も渡り廊下への扉は開け放たれていて、長い長い廊下の向うにまた、突き当たりの非常用ドアが見えた。そこへ着く前に、ちょうど真ん中から手前くらいの位置に職員室があり、職員室の前に、生徒の活躍をさまざまな分野に渡って褒め称えるコーナー、みたいなものがある。


「そう、そこで合ってるわ。そうしたら、どこかの窓が開いていたのか知らないけど、いきなり風が舞い込んできて、ポスターが一枚飛んで行ったの」


 風――。央一は、その風に心当たりがあった。


「……それで?」

「それで、私はそれを拾うために追い掛けようと思った。掲示板から振り返って、渡り廊下の方を向いたのよ。そこで彼を見つけた」

「フフフンー……」

「だから私はアイツが、どこから入り込んで来たのか、何者なのか、顔も、分からないのよ」

「で、『私の好みのタイプどストライクーゥッズキュウンッ!!!』ってんで、ついてったの?」

「まあ、そういうことになるのかしら」

「なァるほどネ」


 音々子はあの男が怪しい人間だとこれっぽっちも思わずにストーキングしていたようだ。さっき出会ったばかりの女の子ではあるが、言動の端々はしばしから見られるちょいと盲目的なところから、この証言に嘘は無いだろう。央一はそう思った。


やっこさんの背格好とか、髪型とか、知りたいとこなんだけどォ。靴は履いてた? 上履き? 外履き? それとも裸足?」


 更に重ねられる央一の質問に、閉口したような表情の音々子。面倒くさそうに黒髪を耳にかける。


(そォーんな顔すンなよォ)


 面倒くさい質問を続けてしまうのは自分のせいではない。央一も一つ、息をいた。


「……次に見かけたりしたら、今度こそ何か起きる前にとっ捕まえたい。教えてくれ」


 というか、もしかしたら世にも有名な変質者かもしれない、という線でも外見の情報は必要だ。この娘(音々子)だけでは危ない――というか、いろいろとアレだから、央一の方でも情報を預かっておきたい。そういうところがある。


「だから、まったく覚えてないのよ」

「いやいやいや、よッく思い出してチョーダイよ。何かしら、あるでショ!?」

「そう言われてもね、本当に覚えてないのよ。私、自分の見たいものしか見えてないし、覚えてないことが多い、って言われたことあるんだけど」


(うん、それを言ったヤツは正しい!)


 今となっては致命的な欠点だが、央一は何だか大いに納得してしまった。そう彼女に伝えた勇気あるヤツは誰なのか知らないが、心からエライッと賛辞を贈りたい。


「そォかー……。歩き方とかは――覚えてないよね?」


 もうちょっとだけ食い下がってみる。


「歩き方?」

「えーと、例えばゆっくり歩くとか、速いとか。手の振り、とか」

「そうね……」

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