其の五:理解者

 音々子ねねねの表情が険しくなってくる。美人な造りの顔立ちがゆがむと、突然恐ろしく感じるのは何でダロウ。ホラーの女幽霊とか女ゾンビとかが、わざわざ美人設定なのには、そういう理由があるのカモ。そんなくだらない発想にまで考えが及ぶほど、央一よういちの脳ミソはショート寸前であった。

 だがしかし、その場しのぎで取り繕っても、このコワくてキツイ地蔵ヶ谷音々子サンから逃げおおせる気がしない。それはこんな短時間の接触でも、心得るのには十分だった。


(クソッ、しょうがない……)


 央一は、男らしく腹を決めた。


「俺がいた外って言うのは、渡り廊下のそばのことで、そこにずっと立っていたンですよね。ここの窓からももちろん見える。あの辺よ、あの辺」


 腹は決めたには決めた。が、とりあえず核心は伏せつつ、事実を述べる。廊下の窓からきちんとご丁寧に「あの辺」と指差し確認も加えて説明する。


「その前に、今日じゃあないお話なんだけども、背後から何者かに首を絞められて倒れてる女の子を保護したことがあンのよ」

「……」

「あっ、コワイ顔しないでネー、まだ続きがあるから。その時は、俺は犯人が何者なのかまったく見ることが出来なかった。俺がそこに来た時にはもう女の子は首を絞められた後で、気を失っていた」


 じっと聞いていた音々子は、眉間のしわが外れないまま探偵のポージングを取っている。腕を組み、片手を口元に当てて黙しているのが彼女のシンキングスタイルみたいだが、その沈黙がやたら重たい。


「何故……『背後から何者かに首を絞められて倒れ』たって言えるの?」


 だが、ちゃんと話は通じているようだ。央一は少しだけ安堵あんどして話を続けた。


「それは被害者の首を見れば分かる。犯人の指の跡があざのように残っているから」


 もう一度屈んで、未だ目を覚まさないカチューシャ女子生徒の長い髪をき上げた。首元があらわになり、明らかに健常ではない色が皮膚下から浮き出ているのが見えた。


「この痣、縦に並んでるでショ。形が少しずつ違うけど、似た向きで四つと四つ。これが犯人の指の跡」

「……確かに、そう見えなくもないわ」

「……まァ確定じゃあないからイイけどよ」


 用心深いと言うか、まだ信じきれないようなのはその反応からよーく分かった。


「これとまさに同じのが、こないだ保護した女の子の首にもあった。……ンでも、この子のは少し薄いなァ。多分君が犯行現場にやって来たから、やっこさん慌てて逃げてっちゃったんだろうな」

「それで、保護したっていう彼女は犯人のことを何と言っていたの?」

「いや、その子も犯人の姿を見ていなかった。それどころか自分が、何故突然に気を失って倒れたのか、分かっていなかった」


 音々子の眉間に、更に深く皺が寄る。


「それは」

「君が今言いたいのはこうだろ?『それはおかしい。これだけの痣が残っているのだから何が起きたのかくらいは分かるはず。保健室の先生でも誰でも教えてやれる人はいた』ところがどっこい! ってことがあるンでね……」


 央一はふぅーっと息を吐いて立ち上がる。まさか世にも奇妙なこの出来事を、見ず知らずの初対面の人間に話すとは思わなかった。今でも理解しがたい、アレだ。


「この痣、君も見たよネ? 覚えた?」

「……ええ、アンタの言うところの犯人の指の跡でしょう?」

「ハイ、ありがとうございます。それではとくとご覧あれ」


 わざとらしくウェホンッと大きく咳払せきばらいをした。


「もしもォ~し? ご機嫌いかがですかァ~?」


 反応が無い――無い・・のは音々子のことを指して言っているのだが、こうも肝がわりきっちゃってる女の子ってどうかと央一は思ってしまう。央一がこれから何をしようとしているのかを冷凍庫のように冷めた目で、女子生徒を心配するそぶりも見せずに上から観察している。


「お客サン終点ですよォ~、起きて下さァ~い?」


 央一は呼び掛けを続け、少しだけ肩を揺すぶった。意識を取り戻してきたのか、女子生徒のまぶたがひくっと動いたのが見えた。


「首の痣を見てろ」


 音々子に念押しの忠告を掛けた後、仕上げとばかりに女子生徒の耳へフッと息を吹きかける。


「きゃぁッ」

「あ、お目覚めですかァー?」


 女子生徒は見事こちら側に還って来た。

 反応も上々だ。痛々しく青かった首筋、見る間に血色が戻ってゆく。

 

「え、あれ……わたし……?」

「いやァびっくりしちゃったよォ。アナタこんなところで寝てるンだもんサ」

「えぇっ!?」


 いい反応、実にいい反応だ、このカチューシャ女子生徒のリアクション。

 『この女子生徒もまた、首を絞められて気を失っていたという事実を知らない』という事実を、これにて音々子に証明することが出来たであろう。


「どっか痛いところとかない? 気分が悪いとか」

「そう、ね……大丈夫よ。ちょっとクラっとするけど一人で歩けないほどじゃあないわ」

「あらそォ? 保健室まで送りましょうか?」

「ううん。それよりこれからわたし行くとこあるから、部活あるのよ」


 そう言ってカチューシャの女子生徒は恥ずかしそうに央一から離れた。彼女は自身の言葉通りちゃんと自分だけの力で立ち上がり、軽くお尻のほこりも払う。


「それじゃあ、心配かけたわ。アリガト」


 そそくさと階段の方へ駆けて行ってしまった。

 元気そうでなによりだが、これにてめでたしめでたし! とはいかない。これからが本題なのだ。


「行かせて良かったの?」


 音々子の声はそれでも静かだった。


「なァんも覚えちゃいないんだから居たってしょうがあんめェよ。それよか、見えた?」

「ええ」


 だが先ほどとは違う。


「見えたわ」


 重心の落ちた、強い返事が聞こえた。


「信じられないけど、アンタも見たんだもの。信じるしかないわね」

「ッたく、ほかに言い方あるでしょ~よォ~?」


 ここまでお堅い態度を取られてしまうといっそ清々しい。これが素で地蔵ヶ谷音々子であるようだ。


「どうしてあの痣は消えるのかしら? 普通なら有り得ないわね」

「まァね、俺にもよう分からん。……でもこれで分かったことがある」


 本当にまさかまさか、だ。まさかこの奇妙奇天烈な事件を共有してくれる人間が現れるとは夢にも思わなかった。むしろ、その事件の方を夢か何かだと思い込んで記憶の彼方かなたへ消し去ろうとしていたところだった。


「君がココに居てくれてヨカッタぜェーーーッッ!! この事件はおかしいッッ!!」

「その通りだわ、これはおかしい!!」


 仲間が出来た。


 何という采配。


 何という出会い。


 神様って本当にいるンだネ!


 改めて央一は音々子に向き直った。眉間の皺がホロっと薄くなって、数分前の記憶の彼女と今のとではちょっと違ったふうに見えた。


「状況を、正しい状況の整理をしたいと思うの」


 建設的な意見だ。


(嬉しいじゃあないのッ!)


「俺もそォ思ってたところ。また先手取られちゃったけど」

「場所を移しましょう」


 音々子の美脚に導かれて、現場を離れた。


 犯人は、既に別の場所へ行ってしまっただろう。

 しかし必ず突き止めよう。


 犯人探しや探偵ごっこがしたいわけじゃあない。


 おかしいと思ったから、知りたい。知りたいと思ったから、今、行くのだ。


「で、どこ行くの? ねこちゃん」

「キショイ。誰よ、『ねこちゃん』て」

「キショイって……傷つくわ! だって、おと、おと、こどもの子、で、ねねね、ってフッツー読めないってェのッ。だからねこちゃん。分かり易いざんショ?」

「……とりあえず渡り廊下を逆に辿たどって行くわ」

「オイコラ、了承なの!? ムシなの!? どっちッ!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る