其の四:美少女フィギュア系黒髪美少女とは

「はっ」


 平和に構えている場合ではないのだった。


「じゃあなくてだナ、君。さっきの男がどこに逃げたのか、知ってるかい!?」


 央一は気を取り直して、というより、危機感を取り戻すように尋ねた。


「この子の首を絞めた犯人だ」


 被害者の女子生徒はまぶたを閉じたままだ。安定した呼吸をしているので命に別状はないだろうが、犯人がまだ自分たちの近くにいるのなら、現場を背にして保健室に向かうことも危険を伴うだろう。


 というのに、黒髪の女子生徒は突っ立ったまま、またしてもすぐには返答してこない。

 どうしたのか、いぶかしんで女子生徒の表情を観察する。目の前で人が倒れているのだから、急を要しているのは分かるものだ。何か言えない理由でもあるのか。央一がここに到着するまで犯人と被害者、そして目撃者であるこの黒髪女子生徒に何かあったのか――


「……変なことをくのね」


 返って来た言葉は央一の不安と焦燥と予想をはるかに超えたものだった。


「アイツは向こうの階段を下りて行ったわよ」

「ンッ!?」


 この娘が指差すのは、廊下の反対側。背中を再び何かがい上がってくる。


「え、ト、俺が上って来た、あの階段……?」

「ええ、この校舎にはそこしか階段はないでしょう?」


(冗談……!)


 ぞわぞわぞわっと鳥肌が立つ。


 あの階段を駆け上っていた時、誰ともすれ違うことは無かった。それに上がりきった時は自分の降り立った上履きの音しか聞いていないし、この階は静かそのもので……。


 この娘は嘘を言っているのではないだろうか。


「……えート、あの男……犯人が階段の方へ逃げて行ったのは、いつ?」

「アンタがこの廊下へ飛び出してくる直前よ」


 絶対おかしい!


「チョチョイちょい待ちッ? 俺があの階段から来たのは君も知るところだがァ! だが俺は誰とも階段ですれ違わなかったぜェッ!?」

「でも確かにアイツは走ってこの廊下を、階段の方へ曲がったのを見たわ、私」


 おかしい、おかしい……。

 理屈が合わない。央一の頭の中がぐるぐる廻る。

 この娘は嘘を言っている――口裏を合わせるように、誰かに脅されている。

 もしくは、この娘が共犯者――?


 央一はしっかりとこの女子生徒を見据えた。ゆっくり立ち上がって、威圧するかのようにわざと距離を詰める。こうすると大体の場合、長身の央一を相手に女の子は皆ビビるのだ。

 ところが想定外なことに、黒髪女子生徒は一歩も引かなかった。むしろ、その深淵の黒い瞳は央一にナイフを突きつけるかのようにギラッと光っていた。


「アンタ、アイツとグルなわけ!?」

「なッ……!?」


 静かなこの廊下に入れ違う二人の声が反響した。


「な、んで、そう思う、マスか?」


 先手を取られたことでちょっと心臓にキてしまった。みっともなく央一のセリフが揺れた。


「だっておかしいわ。この子がアイツに首を絞められて、倒れて、その後ろで見ていた私の存在に気付いてアイツは廊下を階段の方へ走って逃げた。あの角を曲がってアイツの姿が見えなくなったちょうどのタイミングでアンタがそこから出てきた。それで第一声が『大丈夫か』……。ここで何が起きていたのか知っていたということでしょう? たまたま通りかかったわけではなく、この倒れてる子が、ここで倒れてることを知っていて、目的を持って来た。そうでしょう、違う?」


 黙って聞いていればしゃあしゃあと、まるで犯人かその片棒を担ぐ共犯者と断定しているかのような物言い。ほんのちょっと、ピキッ、と来た。


 しかし面倒なことになってきた、央一は頭の隅で思った。こんな問答をしている間に犯人の男がこの校舎から脱出を企むだろう。それか……もしかすると、もう近くにはいないかもしれない。

 だとしても、これ以上の面倒はそれこそ面倒クサイ。この早とちりちゃんに説明を施さなければなるまい。


「ハイハイ、君の言いたいことはよォ~ッく分かりましたよ。ゴメンナサイネー、驚かせて」


 央一は「こうさ~ん」のポーズを取った。

 別に本当に降参しているわけではない。一応ポーズとして「怪しい者じゃあないからネ」のつもりで両手を上げた。


「結論から言いますと、俺はグルじゃあありまセン! 何かつかまされてるとかもございまセン! ホラ見てよ」

「……?」


 コレコレ、と央一の右手が足元を指す。黒髪の娘は素直にそれの示す方へ視線を落とした。


「靴、履きかえる暇無かったのネ。土足のままここまで来ちゃったのよ。ここの窓の下から怪しい男が近づいてンのわかってたから、この子が何かされるんじゃあないかって、そう思ったわけよ。いっそいで走って来た、そこの階段二段飛ばしで。そしたら、もう……」

「……」


 事実をありのまま話したのだが、黒髪美脚娘は黙ったままだった。目の前の男の泥をこぼしたスニーカーを、だんまり決めてじっと見つめている。


「それに、あの逃げた犯人は大人だったでショ? 俺こんなナリでもまだ一年生だかンね。そんなおっかない知り合いいまセンから」


 はいヨ、と次は学ラン胸ポッケから生徒手帳を出して見せる。ひらひらと生徒手帳を泳がせている央一の手を見上げ、黒髪の女子生徒は素直に受け取った。そして逐一確かめるようにしてすべてのページをめくった。


「俺は一年B組出席番号一番、阿僧祇央一あそうぎ よういち。正真正銘ついこないだ入学してきたホヤホヤ十五歳! 留年とかじゃあないからネ。生年月日、合ってるざんショ?」

「……」


 口元に手を当てて、さながら探偵のごとく注意深く生徒証のページを見ている。


 有薗宝道津港ありぞのほうどうづこう学園の生徒手帳は全生徒共通のページ(学校規則やスケジュール、校歌などの内容)の他に、生徒証ページと呼ばれている、持ち主の情報を記すページがある。そこに生徒の個人情報やケガや急病の場合の緊急連絡先などを明示し、そしてわざわざ年度の初めに全生徒撮らされる証明写真を貼っ付ける。落として紛失なんて日にゃあ、それこそ緊急事態になっちゃう仕様になっている。


 そこまでのブツをこんなご時世にこの状況で初対面の人間に見せるのだから、さすがに察してくれるだろう。央一は反応を待った。


「……本当にここの生徒の一年生みたいね」

「分かってくれましたァ? ヨカッタヨカッター」


 少女の白く華奢きゃしゃな手によって、生徒手帳は返された。


「私もこの学校の一年生よ。地蔵ヶ谷じぞうがたに音々子ねねね。一年E組、出席番号は八番。これが私の生徒手帳」

「ほう」


 美少女フィギュア系黒髪美少女は名乗りながら自分の生徒手帳をプリーツスカートのポッケから取り出してきた。礼儀には礼儀で、というところか。央一は手渡された生徒手帳をうやうやしく受け取った。央一は口頭の情報と生徒証ページを照らし合わせ、気が済んだので、うむ、と意味深に力強くうなずいて突っ返した。


「……これでお互いの身元の証明は済んだわけだけど、まだ疑いが晴れたわけじゃあないわ」


 返却された生徒手帳をやはり制服にしまいながら音々子。


「それはこっちも似たようなセリフをお返ししたいんですけどもォ~」


 またしても先手を取られた央一は、両手を腰に当て口をとがらせた。それに対する音々子のリアクションは、特に無かった。


「まず、何故この子が襲われてると思ったのかしら? それが分からないわ。アンタは外にいて、人の顔すら判別しづらいであろう窓から見ただけで事件が起きると判断した。しかも二階の窓、よ。これはどういうことなのかしら?」


 いちいちキッツイ言い方をしてくる。疑いが晴れていないというのは本心のようだ。

 逆にこれだけ央一に疑いを持っているということは、音々子が共犯者の類ではない、という証明にも遠回りながらなり得る。この正義感あふれる口調で突っ掛かって来るのも央一としては厄介だ。


「それはです、ネ……」


そして、いちばん止まっちゃいけないところで央一は言葉を切ってしまった。


(いや、あー……言ってもイイんですけどもね、でもこれ言っちゃったらボクの青春終わりじゃあないですかァー……?)


「アンタ、外って言うけど、その外ってどの辺のことなの?」


 ああ、ああ、ああ……っ!


(アカン、コレ、アカンて……ッ!!!)


 非常にマズイところに立たされた。阿僧祇央一的に。


「何故黙っているの? 何かやましことでもあるのかしら?」


(おお、神よ……ボクの密かでささやかな趣味を取り上げようと言うのですか……!?)

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