其の三:とてもイイ尺骨茎状突起

 しかし、果てしなく感じる階段。


(たったの一階分だ、数歩で上れる――!)


 妙な緊張と急な運動のせいで、央一は浅い息を強いられていた。

 ようやく降り立った二階はいやに神妙な空気である。静寂とは少し違う。人の気配の薄い廊下へ躍り出し、央一は向こうをにらみ付けた。


「こっちか!? クソッ……!」


 周囲を見渡したが、犯人らしき影はそこになかった。

 かわりに見えたのは、気を失って倒れている被害者と黒髪の女子生徒だけだ。


(逃げ足の速い奴だぜ……!)


 舌打ちをする央一だったが、犯人のことは一旦いったん頭から退けておくしかない。今は被害者になってしまったカチューシャ女子の様子を見るのが先だ。

 とりあえず、混乱しているかもしれない黒髪の娘を驚かさないように、央一はその場で声を掛けることにした。


「大丈夫かぁ!?」


 黒髪の女子生徒は二階渡り廊下口を背にして、美脚のシルエットを磨かれた床に落としていた。逆光は必要以上に脚線美を華奢きゃしゃに見せる。央一は注意深くあたりに気を配りながら応答を待った。しかしいつまでたっても返事がないので、仕方なく央一は被害者の女子生徒の元へ走り寄った。


 被害者の女子生徒は、央一がやって来た渡り廊下から来た階段の方へ八メートル弱進んだくらいの場所に倒れている。立ち尽くしている黒髪の女子生徒は、渡り廊下からちょっと校舎に入っただけで、現場からは思ったよりも遠いところに居る。


「この子、大丈夫か?」

 

 央一は屈み込んで被害者である茶髪の娘のうなじをのぞいた。うつせに倒れているわけだが――見覚えのある鬱血痕が目に入った。


(同じ、か? 偶然にしても出来過ぎだっての……!)


 この鬱血痕の指の跡から推察すると、犯人はあの日と同一人物の可能性が高い。しかも手の大きさは男性のものだ。

 まだ意識無く横たわっているが、前回のように首筋から脈を取り、この被害者の女子生徒も息があることを確認できた。それから、仰向けにして気道が取り易そうな体勢に寝かせ直した。


(フフフン? そういえば、犯人はどこに逃げたんだ……待てよ)


 女子生徒の無事が分かったばかりだが、肝心なことを忘れそうだった。

 

 犯人は、この第二校舎二階廊下の渡り廊下側から被害者に、背後から近づいた。この校舎には階段が一つしかない。その階段と言うのが、さっき央一が駆け上がって来た階段だ。

 ところで、さり気なく隣までやって来た美少女フィギュア的足腰を持つ黒髪の女子生徒。この娘はずっと渡り廊下口の傍に立っていたようである。それに加えて無傷。逃げる犯人に突き飛ばされたりした様子も見えない。


(じゃあ……)


 やっぱり犯人はどこに行ったんだ?


「……どういうことだ……」


 勝手に侵入可能で隠れられる教室はいくつかある。そこに逃げ込んだのだろうか。

 いや、それなら慌ただしい音がどこかしらから聞こえてくるはずだ。耳をそばだててみたが、部活動の掛け声が外から聞こえてくるくらいで、校舎内部は随分閑静である。央一と美少女フィギュア的黒髪の女子生徒、被害者となってしまったカチューシャ女子生徒以外の姿は廊下にはない。


 単なる予想だが、ソイツはこの学校の人間じゃない。そんな気がする。


 階段を使っていないのは確かなのだから、まだこの近くにいる。なぜなら央一はこの校舎で一つしかない階段で、誰ともすれ違っていない。


「なァ、君」


 すなわち、この娘は犯行現場も逃走経路も見ているはずだ。


「怪しい奴は……この子をこんなにした犯人はどっちへ行った?」


 犯人がまだ近くにいるとして、次のこちらの行動が筒抜けてしまったら、また面倒が起るかもしれない。そう考えた央一は必要最低限の声量で話し掛けた。


「……」

「……あへ?」

 

 おや、返事が無い。


「……もしかして君も、犯人に何かされ……!?」

「アンタ」


 央一の言葉を遮って頭の上から降って来たのは、想像していたよりもずっと太い芯が通った、落ち着いた声であった。突然話し掛けられたので思わず、ビクッ、としてしまったが彼女からは丸見えの動揺だろう。


「とてもイイ尺骨茎状突起しゃっこつけいじょうとっきをしているわ。すごくイイ形、素敵すてきよ」


 エ、なんて?


(ほ、ホメラレタ…………のけ?)

「ナイスだわ」


 褒めている。

 やっぱり、褒めている……みたいである。


「……えート、…………アリガトウ?」


 渡り廊下口から砂っぽい風が吹きあがり、埃とともにきらきらと彼女の黒髪が舞い上がる。

 見上げた女子生徒の顔も、想像していたよりもずっと美少女だった。


 パンチラはしなかった。

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