第一章 変態紳士とフェチ淑女

其の二:雪から長靴と春パン(ツ)

 桜が咲いてると浮かれてしまうのは、日本人のさがなんだと思う。

 出席番号一番の央一よういちは、窓際に座る生徒のぼーっとした後頭部を見て思った。


 残念ながら央一の座る席は、隙間風がいっとう感じられる廊下側で、クラスの机の位置を調節する際もっとも不遇を喰う角っちょで、黒板消しによるチョークダスト攻撃を真っ先に受ける最前線、という三重苦の席だ。

 そんな妬み嫉みは置いておいて、ほけーっとしたくなる気持ちは分からんでもない。日本海を間近に臨む、さむーいさむい本州の端っこにも春が来ていた。その春の代名詞である桜が咲いて、やっと冬が往ったのだということが五感で感じられるようになってきた。浮かれもするだろう。


 何たって入学式の日の思い出は、高校初登校のための雪きだ。それは学園内の話ではなく、まだ自分の家先の話から始まるのだから、自分の道は自ら切り拓くとはよく言ったものだ。

 いや、掘り拓く、か。この地方の積雪は容赦ない、一メートル越えなんて当たり前田のクラッカーだ。


 小学生の頃、国語か何かの授業だったと記憶しているが、「春になったら雪が融けて、何が出てきますか?」なんて先生がお尋ねになると、幼い生徒は「ながぐつー!」と元気よく答えたものだった。先生は「お花の芽吹き」とかいう無邪気な答えが欲しかったんだろうが、それ以上に小学生は無邪気で正直だった。

 何故長靴かと言えば、小さい子は深い雪を進んで行くのにたいそう苦労するもので、ぽこぽこ歩いているうちに何十センチという重い雪に足を取られて、朝お母さんに履かせてもらった長靴が脱げてしまうのだ。そして春の訪れとともに、雪融け水でびっちゃんびっちゃんになった道端で、いつぞや見失った小さな長靴が発見されるのだ。


 それはともかくとして、雪深き冬を越えて、只今桜が五分咲きのこの町は、花重綱町はなえつなちょうという。T県水舘みずたち市に位置するこの町は、古くから漁業が盛んな港町であった。この学校からもその港を見下ろすことが出来る。


 阿僧祇央一が通うこの学校はその名も、有薗宝道津港ありぞのほうどうづこう学園。創設者の名字と学校から見える港の名前がくっついただけ、という私立校の割に地元民にはおやさしい命名にて親しまれている。

 老朽化が進んでいた校舎は近年、新しく建て直されたのだという。ほんのちょっと前まで自分と同じ年の頃の学生が木造の校舎で学んでいたと聞いて央一は驚いたものだ。


 それでも、隙間風はどんな時代でも寒い。寒いったら寒い。


 央一はまだしわのない学ランズボンの脚を擦り合わせた。






 放課後、パンチラ鑑賞がもはや生き甲斐と言っていい央一よういちは、これまた素晴らしいスポットを見つける。


「……見えるンじゃあないですかコレはァー、ヤダー」


 両手でカメラのフォーカス装置を真似たものを作り、央一は覗き込んだ。

 ここは第一校舎と第二校舎をつなぐ渡り廊下。

 しかしこの廊下、なんと外である。屋根は付いているがナンでか吹きさらしなのだ。利用者としては建設関係者に文句の一つも言いたいところではあるが、央一はむしろ感謝状を書いてやってもいいと思った。


 二つの校舎はそれぞれ四階建で、渡り廊下は二階建。一階は外履きの者でも運動場へ出ていけるように壁は取っ払われているし、校舎間を上履きで行き来したい者は、飛び石のように舗装されたコンクリートの上をとんとん渡って行けばいいのだ。まるで交差点のような通路になっている。おそらく非常口の用途も考慮されているのだろう。

 そして二階はというと、ただの欄干で囲われているだけの「お勉強しました」感満載の造りになっている。耐久や安全面で心配にはなるが、そのスケスケ欄干の間から一定の長さ以下のミニスカ娘はお気をつけあそばせ! となる。


 というのはまだ央一の経験則のお話なので、見えるのではなイカ、という単なる仮定だ。


「フフフ~ン、統計のためのデータが必要ですなァ」


 その仮定を確信に変えるべく、央一は定点観測を開始した。

 放課後であっても、野郎も、淑女も、部活や委員会を理由に忙しく校内を走り回っている。

 観察しているうちに、その現場の一つでもあるこの渡り廊下は予想より往来が多い、ということが分かった。


「ふんふん、……しかしまァ、ちょいと突っ立ってるだけってェのは……」


 目立つ。

 体格は無駄によい央一。猫背であることと彼の軟派な性格も手伝って、身長が高いだとか、足がデカイだとか肩幅が広いだとか、そういった特徴はよくよく見落とされがちだ。だとしても現状、この景色にぼけっと突っ立ってるのは樹木でもない限り不自然だろう。

 とは言え、これ以上この地点から離れてしまうと不自然な男子生徒ではなくなるかもしれないが、角度の都合上スカートの中が見えなくなる。央一の少々高めな身長があってこそかろうじて見える見えないの乙なシチュエーションが生まれるわけで、それこそ本末転倒。となると、断固としてここを動くわけにはいかない。


(どーうしましょーネ)


 とりあえず手っ取り早く、『待ち合わせしてるんだけどアイツ遅いし、ケータイでもいじって暇潰して待ってるんだけど、てゆーか遅いしアイツ』フォーメーションを採用することにする。

 帰る準備万端で自分のかばんを提げていた央一は、そこから長年の相棒のガラパゴス携帯を取り出す。おててはケータイ、おめめは二階のスケスケ渡り廊下。なんとしても初心は貫徹する。


 これまでの央一のパンチラゲリラ観測データによると、昼休みの運動場脇は食堂・購買部帰りの一年生の通行人がほとんど。そしてその中を占める女子生徒の傾向は、ちょっときゃぴっとした活発な印象の女の子が多い。それに比べこの渡り廊下は一年生も、二年三年も、教師も通る。いろんな層の人間が渡って行く。

 しかし時・場所・人から推察すると、解散を告げられた放課後に部活であろうが委員会であろうが屋内で活動している人間は皆、『やっぱりどっか大人しそう』という印象を受けた。そしてそこから導き出されるのは、違う種類のパンチラが楽しめる期待値が高い、ということだ。

 ワクワク☆ドキドキ鑑賞ターイム! の始まり始まり~である。


 女の子は指定のお仕着せだとしてもどこかに個性を入れたい生き物のようだ。それはどういったDNAから来ている運動なのか世の殿方は知る由もないが、それでもスカートを短くしたり、髪の毛を染めたり結ったり編んだり、とにかく試行錯誤して規則をかい潜って(もちろん完璧アウトもある)自分を着飾る。

 そういった自己顕示のひとつとして、『スカートの中にあるパンツ』というジャンルがあると央一は考えていた。


(どんな下着穿いてんのかなァ~。楽しみだなァ~)


 央一が美術用具を持ったカチューシャ女子を視界に収めたその時、ぬるっとした風がほほをぜた。背筋がぞわぞわっと逆撫でされる。鳥肌が勝手に立つような――嫌な空気を感じた。


 (……何だ、コレ……?)


 渡り廊下の女子生徒には、何とも変わりがない。それどころか、


「ゥああーッ、見逃しちまったァーッ!!」


 ショック! カチューシャロングの女子生徒は定点をとっくに歩き去ってしまっていた!

 央一は自分の修業不足を呪った。「世界でたった一度! 一瞬の出会いを!」と。たかが自分の気のせいかもしれない悪寒なんかで取りこぼしてしまったことに、木星よりデカい嫌悪を抱く。ガッデム、屈辱である。


「は~……」


 ところが。

 日本海の厳しい波に向かって叫んでいる脳内フィクションと、決して動揺することのない屈強な精神を鍛えに荒行でも始めかねないほどの悔恨に溺れていた、矢先だった。


「あ」


 信じられない、まるで回転ずし。注文通さずとも次の良いネタがやって来た。

 スカートはほどよい規定値ギリギリ。これは素晴らしい采配だ。


(まだ見ぬ天の神様ありがとう! 天国行けたらあめちゃんあげるぜ……このチャンス、必ずいただくッッ!)


 央一が力んだところで特に何かが起きるわけではないのだが、たぎる男力を抑える術はこの世に存在しない。

 同じく第一校舎から第二校舎へ渡る途中らしいこの新鮮なネタ系女子生徒は、長い黒髪が清楚せいそ感を醸し出している。果たしてどんな下着なのか。


(王道の白か……はたまた実はハデめなのか……)


 しかもその黒髪ロングの彼女の脚がCGの美少女か美少女フィギュアか、とにかく美少女的なオーラをまとったファンタスティック美脚なのだった。

 妄想が捗る。その場でスキップとかして、この気分をランララランと外に放出したいところだが、今は張り込み刑事の心で我慢、我慢。


(……!)


 ゾクッ、ときた。


 さっきと似た、いや、まったく同じ質の気持ち悪い感じ。ぬるっとした空気の塊が肌の細胞の先から入り込んでくる。


(フヌッ、何のれしきッ! 見えるッ! 見えるぞォッ!!)


 負けるものか、と悪寒を弾き飛ばす。


「……ン?」


 即座に立て直したメンタルを身体の奥底から突き上げるままに、再び渡り廊下へ視線を投じたが……黒髪女子生徒の様子がなんだかおかしい。

 彼女は定点の位置から少し手前で立ち止まっていた。誰かを探すように、きょろきょろと辺りを見回すような仕種を繰り返している。


『背後に気を付けろ!』


 央一は咄嗟とっさに叫ぼうと思った。

 でも、それは何だか違う気がして、結局喉から声は出なかった。


(まさか、ネ……)


 要らんことを思い出してしまったのだ。不気味な鬱血痕うっけつこん……――もしかするとこの娘も今、危険にさらされているのではないか――腹の奥が冷たい墨汁にじわじわ浸されていく気分だ。


「ッぁ、えェーッ!?」


 そんなことを考えているうちに、黒髪の女子生徒が突然走り出した。


「どどどどどーしたンッと見えたァッ!」


 少し目を離した隙のことで瞠目どうもくしたが、走ったことでスカートが大きく揺れてくれるという嬉しいハプニングが起きた。ラッキー!


 黒髪の彼女の脚が美しいということは紹介済みだが、パンチラ姿も頭一つ分抜きん出た美しさであった。

 とにかく腰以下のフォルムが完成されている。言うなれば、パンツを穿いている尻、ではなく、パンツが乗っている尻。彼女のスカートの中はまさに、パンツがメイン、ではなく、尻がメインディッシュなのであった。今まで鑑賞してきた中では稀有けうである。

 この年頃の女の子たちは身を飾ることに心を砕きがちだが、ここまでパンツと尻が調和しているスカート中と言うのは初めてなのだった。


(なあンて言ってる場合じゃあねェッ!)


 央一もちらっと視界の端に捉えていた。黒髪のパンツと尻共存娘が走った理由を目撃できた。


(狙いはカチューシャのあの娘か――!?)


 遅れて第二校舎へ走り出した。

 早く行かねば、また被害者が出る!


 一階の渡り廊下口から外履きのまま侵入し、そこからまっすぐ突き当りにある階段を目指して走り抜けた。またしても土足になるが急を要するのだ。


 走りながら第二校舎二階の廊下を窓越しに目を移すと、先に歩き去って行ったカチューシャの女子生徒が何事もなく歩き続けているように見えた。

 その光景は央一にはスローモーションのようで、髪の一束一束が跳ねるその隙間に、差し込まれるあの鬱血痕の主を探していた。


(男の俺が行ってやらんと……どんなヤバいやつが学校にいるかわかんねェんだぞ!)


 異様な事態を察して駆けつけようとしているのだろう黒髪のあの娘も、あるいはターゲットになるだろう。

 運動部でもない央一が駆け抜ける廊下はまだ日も暮れていないのにじっとりと薄暗く、全速力だというのに廊下は長い。


(速く、速く! 急げ――ッ)

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