ボクらの鎮魂譚

紅粉 藍

序章:パンチラハンターの名は伊達ではない。

「春のうららの澄んだパンツ」

 

 うん、風流だ。実に風流。

 自分のつぶやきに満足げにうなずく少年、阿僧祇央一あそうぎ よういち

 高校一年生。今年の四月に入学してきたばかりにも関わらず、制服の着方は既に崩れている。

 

 紙パックの黒ゴマ牛乳をじゅじゅじゅこ~っと吸い上げ、


「っぐっふぉ、ぉ、ごほっごほっ……」


 寝転がっているのだから無理もない。むせた。

 そして何故央一が寝転がっているのかと言うと、


「うん、良いパンじりだ! 健康的な、……こほっ」


 彼の趣味である【パンチラ鑑賞】というフィールドワークの真最中だからだ。


 ここは運動場用具室。体育の授業のためのボール、ハンドボール用ゴールや、タイマーやらホイッスル、石灰などなど、大も小もごたごたにしまわれている小さな部屋。

 そんな中、一生懸命手で砂を払った棒高跳び用マットに自分の腕を枕にして、ごろんと寝転がっているのが阿僧祇央一という男だ。半地下のような場所にある部屋の壁上方にある小窓から、外を通りすがる女子生徒のスカートの中を拝見することが出来るというたくらみのもとに。

 入学早々に勘が働いたのだ。パンチラハンターの名は伊達ではない。


 普通なら、こういった場所に生徒は自由に入れないようになっているものだ。

 しかしそこは田舎の学校、とでもいえばいいのだろうか。錠はされておらず、無防備なこの男の隠れ家に央一は昼休み毎お邪魔している。防犯意識の低さを、央一はついでに憂いておく。


 そうして今日も、ひっそりと静かなこの部屋の前をなーんにも知らないミニスカ女子生徒が楽しそうにおしゃべりしながら歩いて行くのだった。


(楽しそうだねェ、ボクも楽しいよォ!)


 はっきりと申し上げよう――この男、変態である。


 けれども央一は女の子のパンチラ鑑賞を生き甲斐がいにするという行為以外は何の変哲もない、極めてフツーな男子高校生であった。

 自分の癒しの為にちょっくらパンツを拝見させてもらうだけ。それ以外、それ以上の行為はいたさない。それが彼のポリシーでもあった。


 そこへまた、二人連れの女子高生が楽しそうにじゃれながら歩いていくのが窓越しに見える。


「……オイオイオイオイオイ中に短パン穿いてくれるなよォ~……」


 実に様々な女の子がいるものだ。年頃の女の子一人一人の趣味嗜好しこう、関心、性格が一目で分かってしまう。それが恐ろしいパンチラ道の極意! というのが央一の持論。


 つまり今しがた通り過ぎて行った短パンの彼女は、央一に言わせれば、「サムイから穿いてるだけだモン」とかカマトトぶっときながら実のところ女の子から女性に変化していく身体的成長に精神的なところがついていってはおらず、男子からの扱いも変わって来ていることを知りながら女性という自分の性を隠したがる『未成熟ゆえにひねている』、そういった心情がうかがえる短パン! スカートを短く折ったり切ったりする女子生徒が圧倒的多数な中で、長めの丈を保ち、尚且なおかつ、短パンもしっかり装備しているあたりからこれは確実! といったところになる。


「素直に生きなきゃダメよォ、素直にサ」


 空っぽになった黒ゴマ牛乳をぽいと宙に放る。四角柱のパックはくるりくるりと一定の回転をしながら弧を描き、地球の引力に吸い寄せられて真下へ真下へ。


 パンッ!


 一瞬にしてパックは立体から平面にされる。真下の央一が勢いよく両手を打ち合わせたからだ。盛夏の煩わしい雌の蚊をつぶすかのように躊躇ちゅうちょなく。


「フッフフーン。さあて……」


 そろそろ午後の授業開始の時刻になるだろう。


 央一はいよっと上体を起こした。手には、潰した三百五十ミリリットル紙パックと、完食の弁当箱の入った巾着がある。

 その背中は彼の軽薄そうな印象からすると思いの外広い。ただし、猫背だ。


 その猫背をさらに縮こまらせて部屋の小窓からそろりそろりと離れる。外の通行人の誰かサンにうっかりでも見つかってしまっては阿僧祇央一という思春期真っ盛り高校一年生のこれからの楽シイ楽シイ三年間が台無しになってしまう。慎重に動かねばならない。


 予鈴が鳴っている。この運動場用具室にはスピーカーが無いので、外で鳴り響いているのを拾う形になるがちゃんと聞こえてくる。


「おっ、今日のラストパンチラ! ステキ発見!」


 予鈴を聞いて慌てているのだろう。走って行く女子生徒のノーガードパンチラを拝むことに思いがけず成功した。

 成長期特有のふっくらとしたほどよい肉付きの太ももが、淡いピンクの下着から伸びている。大股に走る脚の動きにつれてちょっとだけ入りきれなかった尻の肉がパンツのゴムと太ももの筋肉との間に挟まれてぷよんぷよんと余る。


「あ~いいわ……」


 今日も神様に生きていることを感謝したい。自分がこうして生きていることと、彼女のような女神たちが元気よく健康的にスカートを穿いていることを感謝したい。


 あっと言う間に走り去って行ってしまった尻肉の女子生徒だったが、央一としては今日のMVPを授与したい気分になっていた。Most Valuable Pant-chiraを差し上げたい。


「俺も急がないとな、四階まで登ンのかァ……」


 本鈴まで五分はある。しかし央一のクラスである一年B組教室がある四階まで登るのは、間に合うとしてもやはり億劫おっくうだ。しかも央一の名字は『あそうぎ』なので、出欠確認は最初に呼ばれる。


 「はあ~~~~~」とため息を吐きながら、例の小窓から外に人がいないか窺う。耳もすませて遠くから近づいて来る足音が無いか確認する。

 ……ヨシ。三段だけあるコンクリート階段の上にある戸を開けた。蝶番ちょうつがいきしむ音。ビークワイエット、プリーズ。


 この部屋を出ただけでは、まだ地上ではない。運動場に面した用具室入り口だが、同じような階段がまた少しだけあり、それを上りきるとやっと砂っぽい運動場に上陸できる。


 午後は体育の授業が必ずない。生徒思いの学校だ。央一はやはり人気のなくなっていた運動場を揚々と見回し、気持ち急ぎ足に用具室沿いを大股で行った。

 左に進めば一年生教室がひしめき合う第一校舎の昇降口がある。そこのロッカーで上履きに履き替えて階段を二段飛ばしにダッシュする、というのが最近の日課になっていた。我ながら健気に一途いちずに一生懸命、自分の趣味を全うしていると思う。誰か褒めてくれないものか。


 ところが、ロッカー前。


「……えェッ? ちょ、ちょっとォ!?」


 倒れている。


 倒れているのは、先ほど走り去って行ったばかりのあの女子生徒だ。


 あまり大きな声では言えないが意識を失っているらしいがために、丸出しになっているこの有難い淡いピンクの下着、所謂いわゆるパンモロ。これは運動場用具室で最後に見たパンツだ。ほんの数分前のことでもあるし、あとはまあ、いろいろな要因があって覚えがあるこのお尻。


 間違いない。

 間違いないのだが。

 とにかく、女子生徒は左半身を下に、横倒しの格好で倒れている。パンモロで。


(何で――?)


 体調不良ではないだろう。さっきまで走っていたことだし。突然の心筋梗塞なんて歳でもないだろう。何かに蹴躓いて倒れてしまい、当たり処が悪く失神もしくは脳震盪……の線でもなさそうだ。それならそれなりの派手な音がしそうなものである。出血も見えない。

 

 ふと、央一は誘われるように少女の首筋に手を伸ばした。長い髪をかき上げて、うなじを露にさせる。


(なんだこりゃ、青痣、いや鬱血痕うっけつこん……? 首元をぐるっと覆うように……)

 

 ドメスティックバイオレンスだろうか。自傷だろうか。だとしてもこんなにも目立つ痣姿で学校に通うだろうか。普通の感覚なら年頃の女の子はこんなもの隠したいように央一は思う。


(とにかくこの状態を何とかしよう、そうしよう。誰かにこの説明しづらい場面を目撃される前に、だ)


 央一は不審な倒れ方をしている女子生徒に関わることを腹に決め、とりあえずスカートの裾の位置を直してやることにした。そォ~っとつまんで、お帰りいただくパンツ様。


「もしもォ~し? 生きてますゥ~?」


 反応は無い。

 コレ、起きなかったらどうすればイイのん? ちょっと不安になる。


「ヘイ、ハゥアーユーガール?」


 そこへ本鈴が降る。

 もうしょうがない、保健室に連れてっちゃおう。ということで、世に言うところのお姫様抱っこというヤツで保健室へ向かうことにする。


「我ながら素晴らしいホスピタリティの持ち主よ、末恐ろしいわァ~」


 そんな軽~い食感の独り言は誰も聞いていない。

 けれども目の前にある女子生徒の首元の鬱血痕が、ここに第三者がいることを示しているように思えて、心臓がぎゅっとなってしまう。

 

「んぅ……」

「あ、あれ。起きました? お姫さん」

「え……きゃ、な、なんで!?」


 保健室手前くらいで、眠り姫の起床。


「……?」


 そこで央一は見てしまった。意識を取り戻した央一の腕の中で、彼女の首筋の鬱血痕は跡形も無く消えていった瞬間を。

 まぶたを開けたナ、と思った瞬間にすぅっと、何かの冗談のように消えていってしまったのだ。


「な、なに?」

「え、あ、いや。目覚ましてヨカッタナってね」

「……あ、ありがとう」


 保健室の先生は央一の急患に関する状況説明を聞いて、すべて信じてくれた。そして手早く彼女に外傷がないか調べてくれた。軽いコブが頭に出来ていた程度で、将来に関わる大ケガなんてのは発見されなかった。ヤレヤレこれでお役御免だ。


 しかし、あれは言えなかった。当人であるその女子生徒にも、保健室の先生にも。


 不思議と消えてしまったあれは、おそらく首を絞めたであろう犯人の唯一の手掛かりだ。


 とはいえ、理屈がわからない以上、説明のしようがない。

 できたとしても、きっと分かってもらえないだろう。


 そしてもう一つ不思議なことがあった。突然ロッカー先で倒れた原因を、女子生徒は心当たりがないという。

 央一が見た首元の鬱血痕が夢幻でないならば、原因は首を絞められたことによる一時的な酸欠。それは間違いないだろう。だが、証拠は目の前で消えてしまったのだ。


 現在、女子生徒は体調不良を訴えることもなく意識もしっかりしてた。保健室の先生の勧めで既に始まっている五限の授業は休むようではあるが、一切の健康体であった。

 

(何事も無かった。それはとてもイイことだ。でもなあ、なんかキモチワリィ……)


 保健室の扉を後ろ手に閉めた。廊下の空気がやけにひんやり感じる。

 校舎の一階というのは立地上、何となく薄暗くてじめっとした空気がある。央一は急ぐわけもないのに階段をダッシュで駆け上がった。


「阿僧祇、遅刻の上にその靴……!」

「あ、アレェッ!?」

「履き替えたら廊下に立ってろッ!!」

 

 そして上履きの存在を思い出すのであった。先生から職権乱用をらい、とほほの央一である。

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