抹茶ケーキ
増田朋美
抹茶ケーキ
暑い日であった。それでも、杉ちゃんたちは、竹中夢路君のお母さんを探すために、調査を行っていたのであるが、全くお母さんに関わる手がかりはつかめなかった。それでも、伊達五月さんが用立ててくれた、中鉢優子さんという女性が、毎日夢路君にお菓子を持って会いに来てくれるので、夢路くんは上機嫌だった。その日も、水穂さんが弾くピアノに合わせて、夢路くんが夏はとっても素敵だな、本当に楽しいななんて歌を歌っていたところ、
「こんにちは。」
と、中鉢優子さんがやってきた。
「あ、おばちゃんこんにちは。」
夢路くんはすぐ挨拶をして、ペコンと小さくお辞儀をするのだった。
「こんにちは夢路君。今日は何を歌っていたのかな?夢路くんはいい声だね。おばちゃんのバイオリンにも合わせてくれると嬉しいな。」
と、優子さんがいうと、
「ありがとうございます。」
にこやかに夢路くんは言った。
「それなら、おばちゃんケーキ買ってきた。抹茶ケーキだけど、一緒に食べようね。それから、前々から欲しがっていたじゃない、やりたいって言ってた、将棋セット。はいどうぞ。」
優子さんは、ケーキの箱を、机の上に置き、夢路君に将棋セットの箱を渡した。
「夢路君、人からものをもらったときは何ていうんだっけ?」
水穂さんが優しくそう言うと、
「ありがとう!」
と、夢路くんはとてもうれしそうだった。
「いいえ、こちらこそ。おばちゃんも夢路くんが気に入ってくれて嬉しかった。どうもありがとうね。」
「おばちゃん、相変わらずありがとうって言うんだね。」
優子さんの言葉に夢路くんはそういった。そのありがとうの言い方が、普通の人のいうありがとうと少し違うところがあるのだ。水穂さんも、それはうすうす気づいていたが、夢路くんに知らせてしまうのは、ちょっとかわいそうだと思ったので言うことができないでいた。
「お待ちどう!イシュメイルラーメンだよ!」
と、玄関先からぱくちゃんの声がした。
「あら?誰が注文したのかしら?」
優子さんが聞くと、
「はい僕僕。せっかくだから、お昼に担々麺でも食べてもらおうと思ってね。」
と、台所から杉ちゃんが言った。
「わーい嬉しい!今日はケーキだけではなくラーメンも食べられるんだ。本当はいちごショートが欲しかったのになあ?」
夢路くんがそう言うと、水穂さんが贅沢はだめだと注意した。その間にぱくちゃんは製鉄所の食堂に入ってきて、担々麺の入った丼を、テーブルの上においた。あたしも手伝いますと言って、優子さんが、抹茶ケーキを箱から出して、お皿に盛り付けテーブルの上に置く。
「おお、うまそうな抹茶ケーキ。これどこで買ったの?」
ぱくちゃんは思わずそう聞いてしまう。
「ええ、図書館の近くにあるミミコというケーキ屋さんです。」
優子さんが答えると、
「そうなんだね。ミミコさんはね、普段はいちごショートをおいてないんだけど、雨が降ったりするとタイムセールでいちごショートとかおいてくれたりするんだ。もし、今度行くんだったら、雨の日のタイムサービスを狙ってみるといいよ。ラーメン屋のお客さんがそう言ってたよ。」
とぱくちゃんはそう説明した。さすがぱくちゃん、そういう情報はすぐ入ってくるものである。
「まあ、ありがとう。じゃあ、今度雨が降ったらミミコさんに行ってきます。」
優子さんは、そうぱくちゃんに言った。ぱくちゃんは、汗を拭きながら、ちょっと考え込む仕草をした。
「どうしたんですか?」
優子さんが聞くと、
「いや、にてるんだよ。」
とぱくちゃんは答える。
「にてるって何がだ?」
餃子を焼いていた杉ちゃんが、すぐにぱくちゃんに聞いた。こういうところには杉ちゃんと言う人は、すぐに口を挟む癖があった。それが善であれ悪であれ、杉ちゃんという人は答えを得ないと気がすまないのであった。
「いやあね、僕が幼い頃、中国で聞いていた、人が喋っている声となんとなくにてるなって思ったんだよね。でも、ウイグルの言いまわしとはまた違うような気もするんだよね。まあ、僕の思い過ごしかもしれないけど。」
それと同時に、布団から出てきた水穂さんが、ぱくちゃんに、
「やっぱりそうでしたか。ぱくさんもなにか感じ取ったんですね。」
と言った。
「僕、大学時代ちょっとだけ、音声学をかじったことがあったので、それが正確だったらの話ですが、優子さんは、一生懸命日本人になろうと努力されているようですけど、まだ不十分なところもあるようですね。」
水穂さんがそういったため、食堂の空気がなにか変わった。紙をビリっと破ったみたいに、空気が変わってしまった。
「いえ、優子さんがそうならなくてはならない事情があるんだろうなと思うので、あまり深く追求はしないんですけど、あなた、日本人になりすましているけど、本当は違うのでは?僕は、あなたの喋り方や発音から、なんとなくですけどパミール系の喋り方があるような気がしてしまいました。違いますか?」
「どうして、わかるんですか?」
優子さんはそういった。その顔は、これほどごまかしているのに、どうしてわかってしまうのと言いたげな顔だった。
「ええ、目もカラーコンタクトですし、髪もところどころに黄色い髪が見えますし、、、。僕は初めてお会いしたときから日本人では無いなと薄々気づいてました。」
水穂さんは、そういうのであった。優子さんは、バレたかと言う顔をしたが水穂さんはすぐに、
「でも、そうしなければならなかったんだと思うので、あえて、それ以上は追求しないことにしますよ。帰化前の本名もあるんだと思うけど、それは言わなくて結構です。一生懸命、竹中優子さんになりたくて、そうしていらっしゃることはちゃんとわかりますから。それに、現地でもパミール人は、ひどい人種差別を受けていると聞きますし。」
と優しく言ったのであった。それと同時に、夢路くんが、
「僕、おばちゃんのこと大好きだよ!」
そう言ったので、優子さんは涙をこぼした。
「まあいいか。じゃあ、みんなでラーメンと餃子を食べよう。今日は、優子さんが買ってきてくれた抹茶ケーキもある。ごちそうだ!ほんじゃあいただきまあす!」
杉ちゃんが、伸びてしまった担々麺を食べ始めたので、みんなその通りに、食べ始めたのであるが、なんだか変なものであった。優子さんの正体が露見してしまったのは、また違う展開が待っているんだろうから。
「お前さんどうして日本に来たの?」
不意に杉ちゃんが、担々麺を食べながら言った。
「いえ、伊達五月さんと一緒に来ただけですよ。」
優子さんがそう答えたが、
「はあ、じゃあご家族とかそういう人は?」
杉ちゃんはすぐ聞いた。
「みんないなくなりました。あたしたちが住んでいるところは、ずいぶん長い間戦争をやっていて、その後も政府は、あたしたちのことを、追い出そうとしているものですから、あたしは身寄りがないので、伊達五月さんと一緒に日本に来ました。」
「そうなんだねえ。まあ、そういうことか。戦争はいつの時代も人間をシアワセにしないな。」
「ええ。不思議なことに、あたしたちは普段から使っている言葉を、正式に使ってはいけないことになっているんですよ。それに、街の標識やポスターなんかもみんな違う言葉で書いてあるんです。」
「はあ、そういうことなら、どこの国でも人種差別はあるんだねえ。」
杉ちゃんと、優子さんがそう言っている間、他の人達は、なんだかおかしなことが起きているという顔をしていたが、水穂さんが一言、
「どこか、銘仙の着物しか着られないのとにてますね。」
と言った。
「まあいい。なんでもそうだけど、僕らは優子さんが日本人になりすまそうとして苦労しているってことは知ったから、もうそれ以上は追求しないことにするよ。きっと戦争で大変だったんだろうからね。それは日本でも太平洋戦争のあとは同じだったと思うしね。まあ、そういうことにしようぜ!」
と、杉ちゃんがそういったため、みんなそれ以上は言わなかった。せめてどこの国から来たのかあたり聞きたかったのであるが、杉ちゃんの一言で、それ以上言えなかった。
みんながラーメンを食べ終わって、食後に抹茶ケーキを食べ終わった後で、夢路くんが優子さんに対する態度が変わってしまうのではないかと、杉ちゃんも水穂さんも心配したが、意外にもそれはなかった。夢路くんは食べ終わった後でも、優子さんと一緒におはじきをして遊んでいた。食べる前と変わらずに、この優しいおばさんと一緒に、楽しそうに遊んでいるのだった。
でも、おはじきをしながら、夢路くんはこんなことを聞いた。
「おばちゃんの住んでたところってどんなところ?やっぱり、四角い建物があって、忙しいところなの?」
「ううん。」
優子さんは答えた。
「ずっとずっと貧しくて、お家はボロボロ、道路はまだ水たまりがたくさんあるところよ。」
「そうなんだ。学校にもいかなくていいの?」
夢路くんが聞くと、
「学校は、本当に憧れの高嶺の花。行ける子は、あたしを含めてたった6人。だから夢路くんは、学校に行けてシアワセなのよ。あたしたちからみたら、羨ましい限りよ。」
優子さんは正直に答えた。
「そうなんだね。」
夢路くんはちょっと考え込んだ顔をした。
「学校に行けるのは憧れなんだね。高値の花なんだね。」
「そうよ。学校に行けるのはウルトラマンみたいなものなのよ。皆尊敬されて、頑張ってって、周りの人から言われるの。だから夢路くんもあたしから見たらウルトラマン。それを、忘れないでほしいな。」
夢路くんは、おばちゃんの話に、ハイと小さく頷いたのであった。それからまたおはじきを続けたが、なにか夢路君には大きな転機になったに違いない。
その次の日。優子さんと一緒に夢路くんが買い物に出かけている間、伊達五月さんが、製鉄所を訪ねてきた。その日は水穂さんから、優子さんの正体がわかってしまったと聞かされたジョチさんが、伊達五月さんの相手をすることになった。ジョチさんが、優子さんが、日本人になりすましているパミール人なのではないかというと、伊達五月さんはあっさりと肯定した。
「まあ、それはすぐわかっちゃうのね。さすが水穂さんだわ。そうなのよ。彼女は私がパミール高原を訪問したとき、バイオリンを弾いて私にお金をせびってきたから、それで連れてきたのよ。」
「そうですか。それにしてもよくそんな人を、夢路くんにあわせたものですな。ある意味ではもっと、危ないところもあったのではないでしょうか?」
ジョチさんが思わずそう言うと、
「でも、夢路くんのことを心からお世話できる人は彼女でなければできないと思ったのよ。」
と伊達五月さんは言った。
「それはどういうことですかね?日本人の保育士とか、臨床心理士を連れてきたほうが良かったのではありませんか?」
ジョチさんがいうと、
「そうかしら?彼女のほうが、内戦の苦労もしてるし、貧しかったことを思い出して、彼のことを愛情を持って接してくれると思うわ。だって、日本人ではできないでしょう?彼のお母さんだってそうでしょう。だったら、そういうことだったら、日本人ではない人にやってもらったほうが、彼の心の傷だって早く治るのではないかしら?」
と、伊達五月さんは、政治家らしく言った。
「そうかも知れないですけどね、、、。確かにそれもまた事実かもしれません。今の日本社会では豊かであっても幸せになれないことは証明されています。それなら、優子さんのような、他の国家から来た人のほうが愛情というものは知っていらっしゃるかもしれませんね。」
ジョチさんは、伊達五月さんの言い方に考え込みながら言った。
「そうでしょう。だから私は、これからの政策でそれを打ち出していこうと思っているの。そういう貧しい国家から来た人は、愛情ってどれだけすごいかちゃんと知ってるでしょ。それを日本の若い人は、知る機会がなかなかないの。だから虐待とか、そういうことが起こってると思うのよね。それに、日本人というのは大和民族だけがすべてというわけじゃないっていう考え方も定着してきているし、だったら、そういう人たちに、子供にまつわる仕事についてもらって、愛情を持って子供の世話をさせる制度を作ってもいいと思うのよね。」
「つまり外国人の保育士ですか。」
伊達五月さんの言い方にジョチさんはそういった。
「そうなのよ。日本人のなり手が少ない職業も色々あるけど、需要はどんどん増えてるんだから、国会議員として対策をとらなくちゃ。すでに、海外では、外国人がメイドになるとかするのは当たり前の国もあるわ。それで、子供がおかしくなるケースはあまり聞いたことがないし。だったら、日本でも真似すればいいと思うのよね。」
「ははあ。なるほど。まあ、議員さんらしいやり方です。ですが、机の上で考えているだけでは、何も効果がありません。子供さんを外国人に世話させるのはいいのかもしれないんですけど、必ずどこかで弊害が出てしまうのは、ちゃんと考えてくださいね。確かに伊達さんの取り組みは、発想が面白いなと思うんですけど、ちょっと大胆すぎて困ってしまうことも必ずあるでしょうから。」
ジョチさんは、そう伊達五月さんにいうと、
「わかってるわよ。だからこそ、彼女に色々させてるんじゃないの。紹介するときは、おべっか使うときもあるけれど、それは建前。ちゃんと私も考えてやってるんだから。」
と、伊達五月さんはにこやかに笑った。
「しかし、本当に、夢路くんを、中鉢優子さんの家庭に入らせるおつもりですか?いや、中鉢優子さんと言う名前では無いのかもしれませんね。もしかしたら、現地語で名前があるのかもしれませんが。」
ジョチさんがもう一度聞くと、
「ええそのつもりですよ。私は、夢路君のような子は、優子さんのような愛情を捧げる大人でないと救ってもらえないと思っています。それに、今の日本人にはそういうことができない大人が多すぎるのよ。だから、優子さんにやってもらう。それはもう決めたわ。」
伊達五月さんは即答した。
「それに彼女には日本式の名前もあるし、ちゃんとバイオリンを弾いて、教えることだってしています。だから、経済的には何も困りません。愛情だって経験だってたっぷりある。だから、ネグレクトをする日本人の母親以上に愛情を持ってくれる。」
「そうですけどねえ。」
ジョチさんは伊達五月さんに言った。
「でも、やっぱり実のお母さんというのは、子供さんを手放せないのではないかなと思いますけど、、、。」
「いいえ、私は、それは無いと思います!」
伊達五月さんは、きっぱり言った。
「だってそうじゃありませんか。この間も、凄惨な死に方をして子供が亡くなった事件があったばかりだし。曾我さんは新聞を見ないのですか?トップ生地で報道されていましたよ。子供に向精神薬でしたかしら、それを飲ませて殺害したとか。」
「そうですけどね。日本人のすべてがそうなったわけでは無いでしょう?」
ジョチさんがいうと、
「いいえ!氷山の一角という言葉があります。一件事件が発覚すれば、その後で同じような事件が何十件も続いて起きてしまうのが常でしょう。だからそれから子どもたちを守るためにも、私達が対策をとらなくちゃいけないのよ。もう日本の時代は変わったわ。きっとすべての日本人が子供に愛情を持ってどうのと言う時代は終わってしまったんでしょうね。それができる日本人がだんだん減っていく時代が来ると思うの。その対策として、そういう愛情を知っている国家から来てもらって代わりに子供を育ててもらうのよ。」
と伊達五月さんは言った。なんだか、ある意味では代理出産とかそういうのと同じような発想なのかもしれなかった。だけど、人間だから機械のようにゼンマイを回してその通りに動いてくれるというものでは無いとジョチさんは思ってしまった。
「そうですねえ。代理人に何でもしてもらうというのは、ちょっと、また意味が違ってくると思いますよ。現に親が子供を育てながら成長していくことだってある話ですからね。それを奪ってしまうということにもなりませんか?」
ジョチさんがそう言うと、
「でもね、曾我さん。私達もそうだったんだけど、たとえ親が失敗から学んだとしても、そこから再び愛情を取り戻して、平穏な生活を取り戻せるかと言う例は、本当に少ないでしょう?こちらの施設に来る人だってそうじゃありませんか。他人から見たらとっくに解決してもいい悩みに苦しんだり、親のことを責め続けて恨み続けるのをやめなかったり。それを修復することは今の社会や法律で可能なのかしら?その答えは曾我さんだってわかっているんじゃありませんの?それのせいで、国力が弱くなっていることもまた確かですよね。私は、それをなんとか回復させて、日本の労働力をより強化するために、愛情をきちんと注げる人に代理で育ててもらうというのも必要なのではないかと思うのよね。」
と伊達五月さんは言った。ジョチさんは、伊達さんがそういう制度を作りたがるのは、彼女自身の娘さんで、精神疾患にかかってしまった伊達メイ子さんのこともあるのかなと思いながら、その話を聞いていた。確かに製鉄所の利用者にもそういう人はいた。そういう人たちには、許すという勇気を持てと言い聞かせている。瀬戸物と瀬戸物とぶつかりっこするとすぐ壊れちゃう、どっちかが柔らかければ大丈夫という相田みつをさんの言葉を参考にさせることもある。大体の利用者は瀬戸物であって、頑張って柔らかい心を持とうとしてくれているのであるが、確かにそれを獲得するのが難しかった利用者がいないわけではない。
「だから、夢路くんは、必ず中鉢優子さんのところで育てさせます。彼女は、愛情というものが、どんなものなのかちゃんと知ってるし、貧しい国家に生まれて苦労もしてます。だから、彼女のほうが、夢路くんのお母さんよりも優れていると思います。」
と伊達五月さんは改めて主張した。ジョチさんは、返事のしようがなくて、少し迷ったまま
「そうですね。」
と答えた。
抹茶ケーキ 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます