第2話 開智探偵事務所

 この話をすると長くなりますが――


 数年ほど前、東京の地震の混乱に紛れて、起きた連続殺人事件。『いろはかるた』のように人が殺された事件を解決に導いたのは、本当はわたくしですわ。


 当時、女学生だったわたくしは、素人探偵『開智あけち幸助こうすけ』を作り上げ、解決に導いたのです。

 それは家の不名誉に関わることでした。犯人がわたくしの叔父様であったのですから。

 お父様の弟である叔父様が、命を奪ったことに大変ショックを受けました。自分の私利私欲のために、かるたの読み札にあわせた連続殺人を行うなんて。しかも、たったひとりの命を奪うために、見ず知らずの命まで――

 それを気が付いたわたくしの言葉に、大人の方々は戯れ言と扱われてしまいました。


 少女の言葉などに耳を貸さないだろうと――。


 わたくしは当時、雑誌で知り合った文通相手にも相談し、産まれたのがこの名探偵『開智幸助』です。

 彼の役目は、わたくしに変わって事件を公にすること。


 実在の少女の言葉よりも、架空の紳士の方が世間では耳を傾けてくれます。


 作り上げた名探偵は、わたくしの望み通りの活躍をしてくれたのです。

 ですが、くだんの事件もあり、わたくしの家系は『犯罪者の家族』として肩身の狭い思いをしました。それは、わたくしの婚約にまでもおよびました。


(この先どうやって生きていこうか……)


 色々と悩んだこともありました。しかし、海外、特に亜米利加あめりかなどは、女性でも自律し生活を送っていると聞くではありませんか。


(では、この日本でも出来ないか? 職業婦人のように雇われるのはイヤ――)


 わたくしはお父様に無理を言って、ひとり働きに出ました。まあお父様が心配なさって、家のお付きの者がひとり付くことになりましたが、名古屋に探偵事務所を開いたのです。

 もちろん、女性の名前ではご依頼者など現れるはずがありません。なので、わたくしは文通相手と作り上げた『開智幸助』を、また借りることとしました。わたくしはその助手……仕方がないことです。

 実在の女性よりも、架空の紳士のほうが頼られる世界ですから。

 架空の人物がいることを見せるのは、中々大変なのですよ。あれこれ手を尽くして、存在しない人物を作り上げる。時には、「本人に直接、会わせろ」などと言われるご依頼者もいたのですから。


 ですが、少々の快感を覚えております。


 さて、わたくしの企みが順調に進んだ頃、今回の事件が発生したのです。

 巷を騒がし始めた『怪盗8面相』なる人物。仏蘭西ふらんすの小説に触発されたのでしょうか? 予告し盗みを働き、鮮やかに警察の手を逃れる姿に、新聞では話題となっておりました。


 そして今回、資産家の小林氏の開催する美術品競売のものを盗む、と予告したのです。


(すべての競売品? それともその中にひとつ?)


 そのところハッキリしていません。ハッキリさせないのが、警備を混乱させる為の策なのでしょう。


(すべて盗んだ方が世間的にいいでしょうけど――)


 競売の出展物の中には、なんでも元露西亜ロシア貴族の家宝だったダイヤモンドもあるそうです。ご依頼者の小林氏が今、お持ちだと言うではありませんか。

 わたくしは大変困りました。そういった警護の仕事は、初めてだったのですから。ましてや、怪盗など物騒な暴力沙汰になるとなれば、わたくしには太刀打ちできません。

 お断りしようとしたのですが、小林氏はどうしてもと言うものですから……今回だけはと、承ったのです。

 場所は、氏が経営するホテル。その会場で競売が開かれること。何を盗るのか、予告されているものが不明で一大事と、警察は競売の中止を申し出たそうですが……どうも聞き入れてもらえなかったようです。



「よくこれでという状況が、疑われなかったねぇ」


 わたくしが『開智あけち幸助こうすけ』の為に用意された部屋に、かの謎の紳士を連れてくると、第一声がこれでした。

 彼の着替えや持ち物は用意されていますが……当然、架空の人物です。


 どこか出張の時はこうして、もう一部屋用意していました。「所長は神出鬼没」と、風のように現れ、風のように去っていく探偵。いつでも現れたときに使っていただくという……それを演出するために、こうしてますが、


「ベッドに寝た形跡もなし。タバコの臭いもしない。これではまるで誰もいない、と言っているのと同じじゃないか」


 確かに……空っぽの客室は、わたくしの考えが及ばなかった証しです。しかし、見ず知らずの殿方がこのようなマネをするのは許せません。勝手にわたくしの探偵を名乗り、部屋に入り込み、ベッドに大の字で横になっている彼は――


「あなた一体何者ですか?」

「開智幸助、探偵だよ」


 私の質問に起き上がると口角を上げて、好青年は答えました。懐から煙草を出すと、口にくわえます。


 そして――


「何をなさるつもり!?」


 空いた左手には、小さな自動拳銃が握られていたのです。


「わたくしを脅迫したところで、何も出てきませんわ!」

「……」

「もっ、もし本当にあなたが実在し、名前を語っていたことは謝ります! どうか命だけは――」


 拳銃の銃口を向けられる体験など、ほとんどの人が初めてでしょう。


 これでわたくしの人生も終わってしまう――そう思うと、恐ろしくて堪りません。

 かの好青年の怒りは、わたくしが『開智幸助』の名を使ったことでしょうか?

 偶然の一致……ならば、本当にそのような人物が存在していたのは驚くばかりのことです。わたくしの……そして文通相手と手紙で交わしあって作り出した理想の男性像が、目の前にいるなんて――


 そして、引き金を引いた。するとどうでしょう、

「まあまあ、ソノ子さん。落ちついて。冗談ですよ」


 銃口からマッチのような音がして、小さな火が立ち上ると、それを煙草に点けたのです。


「アメリカ製のオモチャです」

「冗談にも程があります!」  


(なんと下品な代物でしょうか!)


 わたくしの考え出した紳士的な探偵、開智が取るような行動ではありません。それは一種の着火器ライターだったのです。


「お気に召さなかったかな。ソノ子さん?」

「勝手にわたくしの名前を呼ばないでくださいまし……一体どこから、わたくしの名前を知ったのですか?」


 そうです。世間の新聞では、名探偵『開智幸助』の名前は出しますが、助手であるわたくしの名前は載ることはなかったのです。


(でしたら、どこから? お父様が心配してそれらしい人物を送り込んできた?)


 だとしたら、辻褄は合いそうですが、どうしてこの時期なのでしょう。


(合致する人が見つからなかったから?)


 素性が判らぬ男を娘の探偵業の護衛に付けるため、それなりの人物でなければいけないことは判ります。


 ですが――


「お父様の差し向けですか? でしたらお帰りください。そして、お伝えください。ソノ子はひとりでやっていけますと!」


 一人娘が自分の手から離れたのことを心配するのは、親として当たり前でしよう。探偵事務所を開いてもらった資金援助も感謝しています。ですが、わたくしに手紙ひとつ寄越さず、このような仕打ちは気に入りません。


「僕は……八百津社長とは関係ないよ」

「なんですって!? では、あなたは一体――」


 そうです。そもそも『開智幸助』が架空の人物であることは、ごく一部の人間しか知らない話です。お父様は、探偵事務所開業の時に打ち明けました。わたくしに付けられたお付きの方達も知っています。それ以外に知っている人は――


「あなたもしかして――」


 その時、わたくしの頭の中に浮かんだもうひとり。それは、決別したはずなのに――


「開智先生。そろそろ競売のお時間です」


 呼びに来た警察官の声で、わたくしの思考は一時中断してしまいました。

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