癒やしを求めて……

夕日ゆうや

彼と私の話

 動物を飼う。

 そのことにどんな意味があるのか?

 小学生五年のとき、私は癒やしのために飼い始めた。

 犬を飼った。シェットランドシープドッグという種類だ。

 イギリスで生まれたこの犬種。シープドッグとあるように羊飼いの犬である。

 ちなみに愛称はシェルティー。

 大型犬なみに成長する個体もあれば、小型犬のように小さく収まる個体もいる。

 私が飼ったのは中型犬のサイズだった。

 いつも元気で、僕を癒やしてくれる弟のような存在だった。

 可愛く、かっこよく。

 そして少し臆病者であった。

 お風呂や病院に行くのを嫌がりもした。

 でも人が好きで、犬が好きで、よく自分から甘えに行っていた。

 僕が指を揺らすと、撫でてもらえると分かっているので、よく駆け寄ってきてくれた。

 ボールをとってくることや、トイレの場所。そういったことをすぐに覚える賢い子だった。


 だった。


 そう。


 あのときまでは。


 お爺ちゃんがやってきて、興奮したこの子は椅子に頭をぶつけてしまった。


 私は小学校にいたので知らなかったが、帰ってきてみたらお爺ちゃんが一人寂しくいた。


 私はショックだった。

 顔には出さなかった。


 帰ってきた母曰く、「生き伸びる確率は30% 生き延びても、後遺症が残る可能性が50% 安楽死を薦める」と獣医師に言われたそうだ。

 私はどうしていいのか分からず、判断をすることができなかった。

 結局、母に判断を委ね、この子は生かす可能性に賭けることになった。

 生き延びたこの子、後遺症が残った。


 てんかん。


 ときおり痙攣を起こすようになった。

 自分の頭を床にぶつけるので、できるだけこの子のそばにいてやりたいと思うようになった。


 私は彼を助けるために必死だった。

 発症したとき、柔らかなもので衝撃をさけたり、よだれを拭いてあげたりした。


 ただ、その頃から他の要因で私は精神が病んでいた。


 もっと彼の様子を見てあげられたら良かったのに……。


 ずっとそばにいてやりたかった。

 学校も何もかも犠牲にして。


 学校に行っている間も彼が発症していないか、心配だった。


 私は何を犠牲にすれば、彼を助けることができたのだろう?


 意味のないことと知りつつ、私は考える。

 救いとは何か?


 願ったものが全て叶うことか。

 それともこんなはずじゃなかったと祈りが届くことか。


 誰もが、誰かの犠牲になっている――。


 私はまた誰かを犠牲にしているのだろうか?

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癒やしを求めて…… 夕日ゆうや @PT03wing

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