第3話 「今夜は寝かさぬぞ?」

 伝えるべきことは言い終わった。

 どうするかはマルクが自分で決めればいい。


 ……もっとも、彼に残された時間はもう残り少ないが。


 魔王は「強情じゃのう」と肩をすくめると、きびすを返して牢屋を出ようとする。



「待て」


 その時、彼女の背中に声を掛けられた。



「どうしたのじゃ?」


 期待を込めて振り返ると、息も絶え絶えの勇者が魔王を睨んでいた。


 彼の身体は今、魔力という空気が無限に送り込まれた風船だ。許容量は限界に近付いており、いつ破裂してしまってもおかしくはない。


 だがマルクのその目は、まだ生きることを諦めていなかった。そんな彼の表情を見た魔王アイナは、口で大きな弧を描いた。



「……俺はどうすればいい」

「うん? それはどういう意味なのじゃ?」

「俺がお前の夫になったら、何をさせられる」

「う、うん?」


 これはつまり、魔王の夫となることを了承したということだろうか。

 だが具体的に何をと言われてみると、魔王も言葉に詰まってしまった。



「……まさか、何も考えてなかったのか?」

「だ、だってわらわの城には、サキュバスしかいないのじゃぞ! ずっと女しかいない環境で暮らしてきた妾が、どんな夫婦生活を送るかなんて、分かるわけがなかろう!!」

「お前、よくそれで人に結婚しろなんて言えたな……」


 マルクもつい呆れた声が出てしまった。

 魔王は「だって……」と両手の人差し指をツンツンさせている。


 しかしどうりでこの城で男の魔族に遭遇しなかったわけだ。彼がこれまで倒してきたのは配下の魔物ばかりで、ちゃんとした魔族と対面したのは魔王戦が初めてだった。まぁ女だからといって、手加減はしなかったが。



「得られる知識といえば、恋愛小説ばかりでのぅ……あ、そうじゃ」


 魔王は恥ずかしそうにしながらマルクの耳元に口を近づける。


「じゃ、じゃあ……キスをしてみるのはどうじゃ?」

「ぶふぉっ!!!」


 思わぬ提案に、マルクはつい吹き出した。


「き、急に何を言っているんだ!?」

「だ、だって夫婦は誓いのキスをするのであろう!? ならば接吻をするのは、何もおかしくはないではないか!」


 魔王は頬っぺたを膨らまし、上目遣いでマルクを見つめている。



(うぐっ!かわいい!)


 彼女を直視できず、勇者は思わず目を逸らした。


 心の中では『目の前の魔王を今すぐ殺せ』という命令が出ている。なのに、脳では真逆のことを考えている。いったいなんなのだ、この感情は。



「い、いや、だめというわけでは……」

「ほんとか?」


 その言葉を聞いた魔王は、パァアアと花の咲いたような笑顔を見せた。

 さすがは淫魔の王。男心をくすぐるような仕草が一々あざとい。



「い、いや、やっぱりダメだ! まだ早い!」

「えー? どうしてなのじゃ!」

「どうしてもだ!」

「あ、あー! そうじゃ! 言い忘れていたが、お主の魔力を吸い取るのにキスをする必要があったのじゃ」

「……はあっ!?」


 ここにきて新たな情報を出され、取り乱す勇者。



「そ、そんな話は聞いていないぞ!?」

「今初めて言ったからのー」

「……」

「いやー、難儀な仕組みじゃのー。でもそういうことなのじゃから、仕方がないのぉー?」


 マルクの顔がますます真っ赤に染まっていく。

 だがこうしている間にも、マルクの身体はタイムリミットが刻一刻と迫っていた。



「さて、どうするのじゃ~?」


 魔王は人差し指で勇者のあごをクイッと上げると、悪戯っ子のような笑みで勇者を煽った。


(こいつ……。絶対からかって楽しんでいるな……。しかしなんだこの小悪魔的な可愛さは……俺はどうしたらいい?)



「のぅ、勇者ぁ。お願い……妾にこれ以上、恥をかかせないでおくれ?」


 魔王は甘えた声でキスをせがんでくる。もはや勇者に逃げ場など無い。



「うぅ……わ、わかったよ……」


 いくら戦闘面では優秀でも、恋愛での駆け引きではまるで敵わない。

 勇者、二度目の敗北である。



「やったのじゃ! それじゃあさっそく……」


 四肢を鎖で拘束されたまま、マルクはガックリとうなだれた。

 ムードも何もあったものではないが、二人はそんなことを気にしている余裕はなかった。


「それじゃあいくぞ……」


 魔王が顔を寄せ、目をつむった。二人の顔面はもう目と鼻の先である。


 マルクはごくりと生唾を飲み込み、覚悟を決めた。そしてゆっくりと顔を近付けていく。



 ――ちゅっ。


 二人の唇が重なる。

 だがそれで終わりではない。その瞬間、マルクの中に何かが入り込んできた。


「んっ……ふぁ……ちゅぱ……ぷはっ……」


 その異物は、マルクの口内を魔物の触手のように蹂躙していく。マルクは突然のことに驚き、目を見開いた。


(うおっ!? な、なんだ!?)


 実を言うと、サキュバスの唾液には催淫作用がある。それを知らないマルクは、今までに感じたことの無い感覚に襲われ、腰砕けになりそうになる。



「じゅる……んむぅ。はぁ、はぁ……これでもういいじゃろう……」


 ようやく口を離した魔王は頬を赤く染め、息荒く肩を上下させていた。


「ごちそうさまなのじゃ。見込んだ通り、お主の魔力は格別な美味さじゃったわ」


 魔王はマルクの魔力を吸収したことで満足げな笑みを浮かべている。一方のマルクはというと、すっかり脱力した状態で鎖にぶら下がっていた。



「はあっ…… お前、キスは初めてじゃなかったのかよ……?」

「もちろん、初めてじゃよ? しかし妾は淫魔の王、サキュバスクイーン。性技のたぐいは、ハジメテでも上手にできるのじゃ」



 魔王はそう言って、余韻を味わうかのように舌なめずりをする。


「はぁ……俺はこんな生活が続くのか……」

「まあまあ。いずれ妾が、その胸の爆弾から解放してやるのじゃ」

「……それはいつの話になるんだ? まさかそれまでずっと、お前の夫として過ごせっていうのか!?」


 マルクは声を張り上げた。しかし、魔王は意にも介さない様子で微笑んでいた。


「ふふふ、まぁ細かいことは気にするな。それよりも、めでたくもマルクは妾の夫になったのじゃ。もうこんな薄汚い牢屋になんて居させんぞ」


 魔王は指をパチンと鳴らす。するとマルクを拘束していた鎖の錠が、ガシャンと音を立てて外れた。



「さぁ、ベッドのある部屋に案内してやろう。……今夜は寝かさぬから、覚悟するのじゃぞ?」

「…………!?」


 とびっきりの笑顔で誘うサキュバスの女王。とんでもない女と契りを交わしてしまったと、マルクは早くも後悔し始めていた。



――――――――――――――

次回は明日の19時過ぎに投稿予定です。

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