第3話 血まみれ聖女、同棲を始める
◇
そして、翌朝。
台所で包丁を手に"二人分の昼食"の調理をしていたのは、天才陰陽師『
名のある刀匠に鍛え上げられた最高級の包丁で、機械のように正確に食材を刻み続ける。長年一人で暮らしていることもあって、この手の料理はとうの昔に手慣れてしまった。
…………。
ただ日々の日課として悪霊を祓い、日銭を稼いでその金で生活をする。
俺が天草茜を助けようと思ったのも、単に「大多数の為に一人が犠牲になるのが気に食わない」という個人的な感傷からだった。
元より「天草茜」という個人に対して、何の感情も持ち合わせてはいない。仮に明日交通事故で亡くなろうが、恐らく俺の感情は何も揺らがないだろう。
……ただ少し、次の日の寝覚めが悪くなるだけだ。
──そして、太陽が真上を上り始めた頃。
「ふわぁ……ここ、どこ、でしょうか……? なんだか、懐かしい匂い……」
茜は眠気まなこでそう呟くと、横になっていた体を起こして「うーん」と大きく伸びをする。まるで森の中にいるような……新品の畳の匂いが鼻腔をくすぐった。
どうやら今私がいるのは、畳敷きの和室の中のようだった。
あれ……一体、どうして私はこんなところにいるのでしょうか?
…………。
「お、思い出しました! 突然お見合いに巻き込まれて、それから『悪霊』に追い回されて……でも、最後は森の中にいた気が……なぜ私は"この和室"に戻って来ているんでしょうか?」
そして和室を出た私は、家の中の探索を始める。
今回はすんなりと障子戸が開いた。どうやらあの赤い眼をした陰陽師の方も、今度ばかりは私を閉じ込めるつもりはないようだ。
あの人には山ほど聞きたいことがある。
悪霊のこと、契約のこと、陰陽師のこと。そして──今私の薬指に嵌っている、この指輪のことも。
「こっちから人の気配がします。あれは……台所?」
そして私はこっそりと中を覗き込む。そこで私が目にしたのは、まさかの光景だった。……陰陽師だ。料理をする陰陽師だ。
作っている料理は、炊き立ての白米と、
ぐう、と私のお腹の虫が鳴った。美味しそうな料理に釣られたということもあるが、私はそれ以上に相当な空腹を感じていた。
「『
陰から覗いている私に向かって、赤目の陰陽師はお見通しだと言わんばかりに声を掛けてくるのだった。
それから少しして。
陰陽師の彼──名前は『仄宮 爻』というらしい──と私は、食卓を挟んで向かい合っていた。
そして感じる無言の威圧感。「あ……お天気、良いですね……」と話しかけてみるものの、「そうだな」と返ってくるだけでなかなか会話が進まない。そして向こうは向こうで怪訝そうな顔をしている。
ああ、駄目だ、やっぱり私は『コミュ障』だ。いざ一対一で面と向かってみると、どう話を切り出せばいいのか分からない。
いや別に複数人で会話をしていたとしても、上手く話せるわけではないんですけどね!? 複数人で話している時は大体、話に合わせて適当に笑ったりして、その場をやり過ごしているのが私だ。
だがこのまま黙り込んでいても全然埒が明かない。この「想像以上に美味な爻の手料理」が、どんどん私の胃の中に納められていくだけだ。
そこで意を決した私は、「……あ、あなたに聞きたいことがあります……!」と切り出すのだった。
──そして十分後。
「つ、つまり……今の私は『天草 茜』ではなく、『仄宮 茜』、ということですか……?」
「ああ、つまりはそういうことになるな。……だがそのお陰で、お前は憑りついていた悪霊から解放された。体も以前と比べて軽くなっているだろう?」
言葉を交わす二人の目の前の食卓には、空き皿が幾つも並んでいる。
爻が話してくれた内容も、もし昨日までだったら「荒唐無稽な作り話」だと思っていたかもしれない。だが、私はこの眼で見てしまったのだ。
ふと私は、昔のお爺ちゃんのことを思い出す。
私が小さい頃にお爺ちゃんの仕事に興味を持った時も、お爺ちゃんは私のことを遠ざけようとしていた。今思えば私のことが心配だったのだろう。お爺ちゃんが遠ざけようとした世界。今まさに私は、そこに足を踏み入れてしまった。
──陰陽師の世界へ。
…………。
それは、それとして。
「あの、その……私たち結婚した、ということは……これから一緒に暮らすのでしょうか……?」
「生憎だが、俺には興味の無いことだ。家を出るなり残るなり、お前の好きにするがいい」
恐る恐る切り出した茜の言葉に対し、爻は淡々と答える。
「『立烏帽子』との契約が続く限り、俺たちの婚姻関係はそのままになる。なんだ? 婚約相手でもいたか?」
「い、いません……『歩くグロ画像なんてお断りだ』って言われて……」
実際のところ、私は生まれてこの方男の人と付き合ったことがない。
『血まみれ聖女』とは聞こえはいいが、言い方を変えればスプラッタ連発の『歩くグロ画像』でもあるのだ。
そのせいで自分でも外面は良いと思っているのに、男の人が寄ってきた記憶がまるでない。本当にない。
「そうか、酷い話だな。いくら顔が醜いとはいえ、『グロ画像』呼ばわりは酷い……」
「そ、そっちの『グロ画像』じゃありませんっ! それに私はそんなに醜くはないですよね!? じ、自分では美人だと思ってるんですから……」
「さあ? お前のことを『グロ画像』と呼んだのは俺じゃないからな」
……どうしてでしょうか、腹が立ってきました。
私は生まれてこの方、恋愛なんてしたことがありません。なのに命を助けてもらうためとはいえ、こんな人と結婚しなければならないなんて。
確かに、料理は美味しいですけど……
「あ、あなたは……愛してもいない相手と結婚して、なんとも思わないんですかっ……?」
「興味がないな。それとも……お前が俺にその『愛』とやらを教えてくれるとでも言うのか?」
………………
…………
……
(し、信じられません……引き留めもしないなんて……!)
それから1時間後、私はバスに乗っていた。
売り言葉に買い言葉。家を飛び出した私は、驚くほどすんなり『丑三日月郷』の外に出られてしまった。
このままバスと電車を乗り継いでアパートのある御浦の町まで戻れば、これまで通りの日常へと元通りだ。
バスの中に『暗い闇』が蠢いているのに気づき、私は思わず目で追う。『立烏帽子』と契約したことで、私は野良の悪霊を知覚できるようになった。
『これから先、外で悪霊を見かける機会があるはずだ。だが悪霊を見かけても、無視さえすれば決して向こうから襲ってくることはない。悪霊に余計な手出しをするな。いいか、無視しろ』
家を出る直前、爻から言われた言葉だ。
彼によるとこのバスにいるような「低位の悪霊」はそう珍しくないのだそうだ。健康な人間がその悪霊から影響を受けることも、ほぼない。
ただし悪霊を刺激して怒らせたのなら別であるが。
私は言われた通り悪霊の存在を無視することにした。
やがてバスが停車し、一人のお婆ちゃんがゆっくりとバスの昇降口へと向かう。
──その時だった。
バスの中で蠢いていた悪霊が、スーッとそのお婆ちゃんの背後に張り付いたかと思うと、一緒にバスを降りたのである。
無視をすれば、私は襲われない。
……でも私が無視したら、あの人はどうなるんだろう。
そう思った時には、すでに私の体は動いていた。
「はぁ、はぁ……!」
……そして私は今、悪霊に追われている。
おばあちゃんから引き剥がすために悪霊の顔面を引っぱたき見事悪霊を怒らせた私は、走って路地裏に逃げ込んだのだ。
悪霊が人間を殺す方法は大きく分けて二つある。
ゆっくりと生気を吸い取って衰弱死させる方法、そして──残虐に痛めつけて殺す方法だ。
さっきまで『暗い闇』でしかなかったそれは、実体化して長い
(わ、私……ここで死んじゃうんですね……あはは、やっぱり。馬鹿ですねー私って。見ず知らずの人の為に体を張って……こんな風に死んじゃうなんて……うう、死にたくないなぁ……どうせなら死ぬ前に、友達が欲しかった……)
……私はふと思い出す。
以前誰かに「人のために生きるなんて、そんなの自分を殺しているようなものじゃないか」と言われた時のことを。
でも私はそうは思わない。なぜなら私が人を助けるのは、自分自身を肯定したいからだ。
『──何か一つだけでいい、大事な事を信じ抜くんだ』
私が助けたお婆ちゃんも、きっと誰かに助けられたことすら知らないのだろう。でも……それでいいんだ。
私がなりたい『本当の自分』は、こんな時に絶対に人を見捨てたりしない。誰かのために助けたんじゃない、他でもない私のために助けたんだ。
だから私は……自分が死ぬのを後悔はしても、人を助けたことを後悔はしたくない。
──そして、その瞬間。
「……俺は無視しろと言ったはずだ。どうして手を出そうとした?」
私を殺そうとしたその悪霊が、瞬く間に祓われる。彼の強大な霊力に触れた瞬間、悪霊が雲散霧消したのだ。
さっきまで悪霊がいた場所、そこには陰陽師『仄宮 爻』が立っていた。彼の紅の瞳がジッと私のことを見据える。
私のことが気に食わない、そんな表情をしていた。
「どうして、って……そんなの、理由がいるんですか? 助けたかったから助けただけです。……助けられるかもしれないのに見殺しにするなんて、そんなの自分が殺したようなものじゃないですか!」
私はそう言い切って、真っすぐに彼の瞳を見つめ返す。
きっと理解なんてされないだろう。人から笑われることだってあるだろう。でも、絶対に曲げるつもりはなかった。これまでも、これからも。
だって、これが私の決めた生き方だから。
そして、爻がふっと笑う。
「……何がおかしいんですか?」
「いや、生まれて初めて見たと思ってな。俺以外に、陰陽師にこれだけ向いていない人間を。……気が変わった。お前のことは連れて帰る」
そう言って爻は、足元がフラフラな茜を抱き寄せる。
……え?
それは二度目の「お姫様抱っこ」だった。
「なっ……何をするんですかっ」
「無理をするな。低位の悪霊とはいえ、あの『立烏帽子』との契約から相次いで相手にする無茶をしたんだ。足元がふらつくのも当然だろう」
今回ばかりは洒落にならない。なにしろ公衆の面前である。私たち二人に通行人の視線が集まる。
しかしこの陰陽師は気にも留めない様子だった。
いやいや、あなたが気に留めなくても、私は気に留めるんですっ!
「っ……! お、降ろしてくださいっ……!」
「お前はこのまま俺の家に連れて行く。仮にこのままお前を返したとして、そのうち勝手に悪霊に向かって行ってそのまま殺されるのが落ちだろう。そうならないように、俺が陰陽術の稽古をつけてやる」
「そういう話じゃなくて、ですね……!」
そう言って私は何とか降ろしてもらおうと奮闘したのだが、思うように力が入らず、なすがままにされてしまう。
………………
…………
……
──そしてこの日から。
私こと『仄宮 茜』の、この非常識な天才陰陽師『仄宮 爻』との奇妙な同棲生活が始まったのだった……。
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