1-15 忘れて、死にながら生き続けて

「茉莉花」

「はい」


 呼ばれてすぐさま返事をする。


 瑚灯と向かい合えば、何処か安心したように眉を下げて茉莉花の無事を確認した。が。


 一瞬、妙な間が生まれた。何かを注視して、ぎしりとかたまる。彼の瞳から、いつもの余裕が消えたような気がした。


 だがそれを周りに悟らせる前に、笑みで覆い隠して、ふ、と息を吐き出す。

 二秒もなく普段と変わらぬ様子に戻って、口を開いた。


「怪我してんな」

「え……あぁそういえば」


 二の腕あたり、桜色の着物が切られて赤色の一筋が走っている。かすった程度だから傷でもない、と眺めていれば瑚灯が肩をすくめて、優しく手を繋ぐと二階へ上がる。


 そうか、と茉莉花は先程の瑚灯が凝視ぎょうししていたのが何か、思い当たる。傷だ、赤い血を見て、彼は様子を変えた。


(瑚灯さまは、人が傷付くのが嫌いだから)


 嫌悪していると言ってもいいほど、人への怪我などに敏感で過保護気味だ。何故、そこまで嫌がるのかはわからないが、過去、何かしらあったのかもしれない。


 そんなことを、つらつらと考えているといつの間にか辿り着いた彼の自室へと入った。


(いつ見ても、殺風景だな)


 布団やらは押し入れに片付けられているのだろうが、他は本棚と文机程度だ。


 書類に必要な筆や墨はあっても嗜好品はない。

 

 煙管も扇子などの小物、服も全て彼を形作る衣だと誰かが教えてくれた。瑚灯は花街らしい、華やかな装いをしているだけで、彼自身の好みではないと。


 雰囲気作り、いわば仕事着らしい。


 なら彼の好きなものは、何か。

 ここにあるのだろうか。

 茉莉花には区別はつかなかった。


「ほら、手を出しな」


 押し入れから座布団を二枚取り出し、向かい合わせに敷いて誘導する。


 二人で腰を下ろすと、慣れた手つきで彼が傷の手当を始めた。用意されていた救急箱は、使い込まれている。


 テキパキと施されていく消毒、ガーゼなどを眺めながら、ふとよみがえたのは、アネモネ。紫と青。

 花言葉は確か。


「あなたを信じて待つ」


 そして青は――固い誓い。


 記憶はないのに、自然と浮かんだ花言葉。

 記憶があった私は花が好きだったのだろうか。

 ならば、今と変わらない。茉莉花は、花が特別好きだ。

 ふと、はかない恋という花言葉も思い出してしまい、彼らの未来と関係を想像しようとして、やめる。


 詮索せんさくは無用、ただ祈るだけだ。どうか二人で帰れますように、茉莉花の出来ることはそれぐらいだ。


 ガーゼを貼って、くるくる包帯を巻く。


 大袈裟だなと思うのに止める気は起きない。優しい手つきが、温かな体温が愛おしくて手放したくなくて、ずっと続いてほしくて。されるがままになる。


 呼吸がしやすい静寂。

 茉莉花が丸型の窓へ視線をうつせば、星と月が輝く夜空。下には変わらぬ、賑わう花街があった。

 人と、あやかしが言葉を交わして祭りを楽しむように騒いでいる。


 三ヶ月で慣れた、今では愛しい町を見つめながら、心に残り続けた不安を吐露した。


「帰れたでしょうか」


 瑚灯は淡々と主語を聞かないまま答える。


「帰れただろうさ」


 断言。瑚灯が言うならそうなのだろう。


「怒られませんかね」


 わざと大事な部分はぼかした会話。

 戯れに、瑚灯も同じようにくすぐるような、悪戯めいた含みを込めて返してくれる。


「さてなんのことかね、俺達はなぁんにも知らない」


 きゅ、と包帯を結んでから手袋の上から手のひらをなぞった。


 そこにあるのは古い傷跡だ。


 茉莉花が見たくないと拳を作ったままでいると、瑚灯がならばと隠す手袋をくれた。


 如何なるときも外さないのを、瑚灯は何も言わず受け入れて、理由すらも追求しない。


 優しい、あやかし。

 愛しい恩人は、小さく微笑む。

 いつもとは違う、春の日差しのような笑みだ。


「人間に致死量には至らない毒を食わせて、苦しむ姿を見て楽しむ変態を捕まえた。その間に女は消えちまった、それだけだろう? 俺達はずぅっと、んだから、怒られるいわれはないわな」

「……そうですね」


 瑚灯が根っからの正義ではないのは知っている。

 だが彼の中には、彼の譲れぬものがあって、彼の正義がある。それが何かはわからない。


 それでも茉莉花にとってじゅうぶんだ。



 ――その正義に、茉莉花は救われたのだから。



(だからこそ、私は恩を返す。そして、お母さんの元に帰るんだ)


 何度も繰り返した決意を、また心の中で呟いた。

 そうすれば記憶のない自分を奮い立たせられる。

 脳裏によぎる母の笑顔に、声に、何かが呼び起こされていく。


(そうだ、確かあのとき。おかあさんと花を、アネモネや色んな花を見て、花言葉を――くれて、それで、花が)



 花、が?



『――思い出すな。忘れちまえ』


 冷水をかける声が、一瞬にして茉莉花の自由を奪った。


 ぎ、と心臓が物理的に締められる痛みが走る。

 息がつまってあえぐが、酸素が取り込めない。

 冷や汗があふれた。額から流れ畳の上に、ぽたりと落ちる。手のひらの傷が、熱した熱を握ったかのような激痛に襲われた。


「――? っ――? ――ッ、!」


 何かを、言っているの。

 聞きたいのに、こえが、じゃまをする。


『忘れろ。何もかも。いらねぇのは全部、花が散るごとく、消し去れ』


 ぐにゃりと歪みのがわかる。


 視界だけではない、体が、全部。

 貰ったものがこぼれていく。


 また、あのに戻ってしまう。


 だめ。いやだ。お願い、お願いだから。


(呼んで)


『死にたくないならぜんぶ忘れて、死にながら生き続けろ』



「――――茉莉花ッッ!」



 望んだ声が全身を貫いた。


 あぁ、良かった。


 真っ暗な視界に引きずられるように意識が遠のく。

 倒れたはずなのに、衝撃はなかった。


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