1-14 あやかし憑き

 二人の冷戦れいせんは数秒で終わり、ふいっと少年は飽きたように大男を片手で引きずっていく。


 だが、その一瞬だった。


 大男が雄叫びを上げた。

 断末魔にも似たそれは空気をびりびりと震わせて、全員が硬直する。


 瑚灯が舌打ちをしたのと同時だ。

 

 大男が地を蹴り、一気に駆け出す。突進先にいるのは。


「てめぇだ、てめぇのせいだ!」


 茉莉花に激しい憎悪、殺意を惜しみなくぶつけてくる。

 

 縛られたまま距離を詰める。獣のごとく牙を剥き出し、唾液を垂らしながら叫び続けた。


 正気が完全に失せた焦点が定まらない瞳に、違和感を覚える。


「てめぇがいたからこうなった、しっている、おれはしっているんだ、そうだ、うってくれ、はなを、はなをくれ」

「なにを」


 花。

 彼の言っていることの半分も理解出来ない。

 誰かと間違えているのか、と訴える前に牙が鋭く光り、首筋を捉える。


「てめぇはこのまえいつでもこいって言ったろ、なぁくれよ、ねがいをかなえてくれよ、うってくれよ、なあ」



 ヨコセ。



 牙が突き立てられる、その寸前。



「――ぎゃああああぁぁ!」



「っ」


 悲鳴が飛び出した、男の口から鮮烈な朱が咲き乱れる。


 グロテスクに、されど美しい花々は男の鮮血を栄養に次々と咲いて口からこぼれていく。


 がしゃんと、おおよそ花が落ちた音ではない。ぬらぬらと血で濡れて、ぎらりと凶悪な輝きをもつ花びらは、全て刃のごとく鋭く、勝手に刃先が男へ照準が合わされる。


「で、めぇ、、がァッ⁉」


 凄惨せいさんな光景にはっとする。

 ――原因に思い当たって、茉莉花は慌てて頭の中で語りかけた。


(やめて、やりすぎ) 

『何でだよ』


 問いへの返答に抑揚はない。


 誰かを傷つけているのを何とも思っていない声に、ゾッする。


 爪先から頭まで冷気に覆われたような感覚を振り払うように、己を鼓舞こぶする。


 止めなければ命を奪うだろう、きっと花を手折るように簡単に、淡々と。

 内の声に首を振って、否定する。


(私は望んでいない)


 それに、と続ける。


 内の声の彼は、滅多めったに攻撃をしないのだ。このような攻撃も初めて見た。

 いつもなら黙っているのに、今回は何故手出ししたのか。


 何か知られて困るのがあるのか。

 もしかして、それが大男の話に繋がるのか。


 問いを重ねれば、少しの間を空けて。

 重苦しい、蔑みを含む声音で冷たく囁いた。


『――お前は、いつもそうだな』


 それを直さなきゃあ、本気で死ぬぞ。


 意味不明な言葉を最後に、ふっと刃の花は消える。

 大男も金縛りが溶けたように、その場にうずくまって咳き込んだ。


 びしゃりと血の塊を吐くのを茉莉花は、思わず背をさすろうと近づこうとした、が。


「ぐるなぁッ! バケモンがァ」

「お前がな」


 ごつん、と容赦なく大男の脳天のうてんに拳を落とした。ひぎ、とのた打ち回る大男の後ろで、眉根をよせた瑚灯が立っていた。


 茉莉花をじろりと睨んでから「そこから動くな、一歩も」と告げる。それから、くるりと少年に向き直ると、あざける響きを込めた嫌みを吐いた。


「ご自慢の力はどうした。あっけなく離す失態をおかすなんて」

「あっはは、ごめんねぇ。急だったから驚いちゃったぁ」

「そうかい。今度はしっかり握ってろよ。手を失いたくねぇだろう?」

「やだなぁ、こぉんなにかわいい男の子に物騒じゃなぁい?」

「犯人を逃がすような手、いらねぇだろ。ましてや俺の妹分を傷つけるような悪い手は」


 少年は無邪気に縄を掴み、今度こそ引きずっていく。

 死にかけの大男の騒ぎなど気にしてもいない。


「はなをくれ、たのむよぉ、はな、を」


 大男は最後まで茉莉花に懇願こんがんした。


 何故、茉莉花に、と問いただす雰囲気は、少年が潰してしまった。


 こちらを見向きもせず、少年はすれ違うハナメに愛想よく手を振りながら、出ていった。


 血の塊だけが喧騒けんそうの跡として落ちていたが、それも同じ下働きの男が掃除して消してしまう。


 だがしこりのように何かが茉莉花の中に残り、不快感が体を支配する。男の謎が泥のように心を侵食しんしょくして、黒がじわじわと広がる。


(大男さまは何を勘違いしていたのか。誰と間違えたんだ。花とは、何だ)


 花と言っても茉莉花に覚えがない。

 三ヶ月で茉莉花の行動範囲は花街と市場のみだ。


(まさか、本当に、記憶がなくなる前の知り合い?)


 確かめようにも本人はいない。

 少年を追いかけても、あの錯乱さくらん状態では、まともな答えは望めない――。


「茉莉花」

「はい」


 呼ばれて顔を上げれば、軽く額を突かれた。瑚灯の苦笑に、謝ろうとした口を閉ざした。


 お前は悪くない。そう言われるに決まっている。


 茉莉花はそれを受け入れられない。会話は堂々巡りするのが容易に想像が出来た。不毛な行為は飲み込む。


 どうにか話題を変えるため、思考を巡らせる。そして脈略もないが、船頭役をやってくれた彼の伝言を思い出した。


「そういえば報酬に怒ってました」

「あ?」

「ええっと、こういう報酬のやり方は、汚いし不愉快だ。見透かすな……的な感じ」


 だったはず。

 あまり記憶力がない茉莉花は、正しく覚えていない。

 ただ、細部は異なっても意味はあっている、はず。


 瑚灯は数回、まばたきして、ふ、と吹き出して豪快ごうかいに笑い出した。涙目になるほど面白かったらしい。


 いつもの店用の笑顔ではない、滅多に出さない素の姿だ。


「そうかそうか。アイツ、そんな勘違いしてんのか」

「え、勘違い?」

「はは、いやなに。おそらくお前に持たせて渡したのが報酬、と捉えたんだろうな」


 説明されても、よくわからない。


「まぁ飴玉を食べるときに気付くだろうさ。報酬は包装紙の方だって……あいつが欲しがっていた情報を書いてあるんだよ」


(なるほど)


 飴玉ではなく情報がメインだったわけか。


「そのまま捨てたら困りませんか?」

「捨てないさ、お前が持っていったんだからな」


 納得したのに何処かに落ちない。思考を巡らせて答えを探したが、結局辿り着けなくて首を傾げた。



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