1-12 アネモネ

 やわいのに解せぬ。伸ばし続けていれば女性がくすくすと笑う。どうやら少しは彼女を元気づけるのに成功したようだ。


「……貴女は帰れます。もう自由ですよ、私のことは気にしないでいいんです。瑚灯さまのおかげで、やっていけてますから」

「でも」

「それに、お迎え、来ましたよ」


 女性が茉莉花の視線を追い――目をみはる。


 いたのは、ふわりと揺れる青の光。

 店で去るときより小さくなって、蛍のような儚さが女性に擦り寄る。弱々しさが明滅めいめつして女性は守るように両の手で包み込む。


『あぁこいつ、夕方に彷徨さまよってたやつか』


 内の奴の、何処か納得したような口振りに、茉莉花も思い出した。

 うつろな何か、その中で青い光を持っていたのと、買い出しの帰り道に、すれ違った。あのときは辛うじて姿を保てていたが。


(店に来たときには、もう限界だったんだ)


 ふわりと去った光が、今のと重なる。


 茉莉花はすぃっと指を動かして、瑚灯からの預かった炎を女性へ贈る。


 赤髪の案内があるとはいえ、瑚灯の道標みちしるべ――灯火が付き添った方が安全だ。


 そのために瑚灯は茉莉花に託したのだから。


「青い光の人、ずっと貴方を探していたらしいです。瑚灯さまが保護してくださったみたいですが……生死不明でもなければ肉体もない、幽体離脱みたいな状態では、この不安定な場では長く持たないそうです」


 だから共に帰ってください。


 茉莉花の眼差しに、光は震えて最後の力を振り絞るように形を変えた。


 美しく青い花――女性が身に着けた根付けの色違いで、どこか見た覚えがある。


「アネモネ……」


 女性は囁いて、肩を震わせると花を抱きしめた。

 愛おしくてたまらないと泣きじゃくる。花が慰めるように女性の頬へ、花弁を触れさせていた。


「わたくし、帰ってもいいのかしら、こんなからだで」

「少なくとも、その青の花は帰ってきてほしくて。どうしても諦められなくて危険を犯してまで来てくれました」


 それに報いるかは、女性次第だ。

 茉莉花は女性の様子に迷う必要はないのだろうと判断して、そっと導く

「さぁ。お二人でお帰りください、この狐火……いえ灯火と、彼がいれば迷わずに元の場所へ行けますから」


 赤髪が気だるそうに手を挙げる。それから目をらしたまま、茉莉花へ瑚灯の苦情を告げた。


「こういう報酬のやり方は、汚ねぇし不愉快ふゆかいだ。何でもかんでも見透かしてんじゃねーですよって言っといて」


 どうやら飴玉はかなりの怒りを買ったようだ。

 確かに見合っていなさそうなので、素直に頷く。


 二人のやり取りを見届けると、女性は花を抱きしめながら、はにかんだ。


「……ありがとうごさいます」


 女性は泣き顔を隠さず、茉莉花の瞳を見つめ返した。


 己を見失うことなく、心からの微笑みを浮かべる彼女に茉莉花は、ようやく緊張から解き放たれた気分だった。


 彼女が壊れてしまったら、自我を忘れてしまったら。

 そんな不安がなくなった。無理難題むりなんだいを投げてこない瑚灯が、茉莉花に任せたのだから、平気だとは思っていたが。


「どうか、あなたも、思い出せますように」


 女性が頭を下げて船に乗る。狐火が暗い川を照らし、道筋を教えるのを赤髪が漕いで沿っていく。


 ゆらりゆらり、流れていく。

 帰るまで危険はあるが、狐火と赤髪がいたら問題はないだろう。


 去っていく姿が、見えなくなるまで留まった。


 茉莉花は目を閉じる。

 闇に咲いたのは青のアネモネと紫のアネモネ。


 次に瞼を上げれば、見慣れた狐火が寄り添っていた。どうやら瑚灯が迎えをよこしたらしい。

 

 心配性この上ない、花街の中ならば瑚灯の目が届かない場所などないのに。

 揺れた狐火に、ふと、浮かぶ疑問。


(――瑚灯さまは、何処までご存知なのだろう)


 青の光が、女性と関係していて引き止めていたあたり、茉莉花のつたない推理など必要ない気がしてならない。


 逡巡しゅんじゅんののち、ふ、と息をついてきびすを返す。瑚灯のことだ、のらりくらりとかわすに違いない。


 茉莉花は黙って彼の役に立つ。それだけでいい。


 すっきりしない心を押し込めて、帰り道を急いだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る