第一章 泡沫の花

第一夜『花一華』

1-1 招かざる客

「花街一、美しい『狐花きつねばな』へ。ようこそ、いらっしゃいました。どうぞ今宵も、お楽しみくださいませ」


 茉莉花の決まり文句に、控えていた同僚が客を連れ行くのを見送った。


 支度を終えて店番を引き継ぎ、客をさばいていく。

 足は途絶えなく、空き部屋も少なくなってきた。料理長が真顔で「まだ来るの……?」と呟くほど忙しい。

 これも店前に瑚灯さまがいるおかげ。


(いや、いるせいでだな)


 これ以上は料理長が過労死する。ただでさえ調理場は人手不足かつ忙しさで、誰も担当したくないところなのに。


 茉莉花は人に出せる料理は作れないので、他に手が空いてる者に頼むしかない。

 誰か厨房に応援を頼めないか、と目配せしようとして。


「おいッ、いつまで待たせる気だ!」


 ばんっ。


 人ではあり得ぬほど大きい浅黒い手が、カウンターを叩いた。暴力的な音に驚く暇もなく、それは立て続けに鳴らされる。


 自分の番が遅すぎて苛立っているらしい相手に、急ぎ頭を下げた。身体は勝手に怒鳴り声と大きな音に反応して、びくりとゆれる。


 反射的に身構えてしまうが、こういう客に毅然きぜんとした態度で立ち向かわないと、痛い目に合う。バレていないといいのだが。いや、顔と声共に変化しないので、滅多に見抜かれないので、いらぬ心配かもしれない。


「お待たせして申し訳ございません」

「ここが一番うまい店だと聞いたから足を運んだというのに、何でこんなに待たされなきゃならんのだ!」

「失礼いたしました。おこしいただき」

「ああそうだ! このわしが来たんだぞ!」

「はい、ありがとうございます。当店は初めてで」

「そうだ、来たことはない。だが飯が素晴らしい、ハナメも美人揃いと聞いたのに期待外れだったらどう責任をとってくれる!」

「ご期待に添えるよう、一同頑張ります。そのためにも、お食事について何を」

「決まっているだろう!」


(このあやかしさん、話を遮るのが趣味なのか)


 通じているため今のところ困らないが、威圧的なのは少々問題だ。


 他の客もひそひそと話しており空気が悪くなっている。あまり玄関で騒ぎを起こしたくない、早々に座敷に放り込むか。


「それとも貴様が相手をやるのか?」

「いえ、私ではハナメにはなれませんので」


 大男の不躾ぶしつけな視線が舐めるように、全身を検分する。品定めして下卑げびた笑いで茉莉花を見下した。


「そりゃそうだ。貴様がハナメなんぞ、この店の程度がしれる」


 ハナメ――。

 茉莉花のような下働きではなく、来店客を相手する表舞台の主役の役職名だ。


 とんでもない美女美男、教養もあり芸も達者な優秀なモノだけがなれる花形。

 茉莉花のような平凡以下では務まらない。


(私なら客との会話一分保たないぞ)


 自慢ではないが己の顔は鉄で出来ているのか、一切表情が動かない。

 笑っているつもりだったが、同僚に「茉莉花、お前、無表情で何考えてるかわかんないし不気味なんだけど」と冷たい目で頬を抓まれた。失礼な、腹抱えるレベルですって伝えるとついには哀れみの目になった。


「……ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。もしよければ」

「いいや、お前だ。粗相をした本人が責任を取れ」


(してない)


 いや粗相だったのか。自信がしぼんでいく、ここまで強気に出られると、何が正しいのか曖昧になる。


(いやいや、弱気になるな)


 落ち着け。いくら不器用で、することなすこと失敗に終わる自分でも、今はまだ大きなミスはない。


「申し訳ごさいません。ただの下働きがハナメの役につくことは」

「さっさと来いッそこで」


 ばっと振り上げられる手に、小さな悲鳴が聞こえた。

 

 本当に話を遮ってばかりだな。


(だけど、まぁこれは良い流れかもしれない。この客を入れたらハナメが大変な目に会うかもしれないから)


 殴られたら出禁コースに入りやすい。

 歯を食いしばり、じっと迎え撃つように見据える。


 が。


「――おいおい、花街での暴力は一切禁じられてるんだがな」


 ぱしん、と茉莉花の胴ほどある腕を軽々と受け止める影。

 呆れたように、だが何処までも余裕と艶やかさだけは失わない姿。ふわりと揺れた髪に、着物に焚きしめられた香りが、茉莉花を守った。


 まるで見ていたかのような、ナイスタイミングってやつだ。彼はいつだって、ここぞというときに頼りになり、必ず来てくれる。彼が来た以上、万事上手くいく。艶やかに、たおやかに、まるで舞いでもするかのような優雅さで圧倒するだろう。


 彼の背に庇われた茉莉花は、客に気取られないよう、ひっそりと息をついた。






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