1-2 枯れかけた花

 それにしても、いつの間に店の中へ入ってきたのか。神出鬼没しんしゅつきぼつなお方である。

 ちらりと見ればやはり顔には、まるで誘うかのような笑みが張り付いていた。


 いつもと違うのは、目が、一切の感情を断ち切っている。鋭利えいりな刃物のような眼光、切先が迷いなく大男へと突きつけていた。

 それは抜き身の刀を首筋に当てているような、緊迫感に息すら制限される。


「旦那。うちの大事な従業員に何するつもりだった? あやかしだからって人間相手に好き勝手に出来ると思われちゃあ、かなわねぇな」

「な、あッ! あ、なたさまは、なぜ、こんな下働きを庇って……ッ」


 瑚灯を知っているのだろう。瑚灯を知らぬものなど、花送町にはいない。

 途端とたん狼狽うろたえ始めた大男に、瑚灯が鼻で笑った。いつの間にか持っていた扇子をくるりと回し、とんとんと肩を叩いた。


「ここでの遊び方も、学び方も知らねぇ野暮なやつはお断りだ。恥かきたくなきゃ、とっとと帰んな」


 丸太以上の腕を軽く振り払うと、啖呵たんかを切るように、よく通る声が響いた。

 女のような見目からは、想像できぬ物言いだ。

 羨望せんぼうと、かすかな熱を孕んだ瞳がいくつも周りから向けられる。いつものことながら、老若男女全て魅了していく。あっぱれである。


(また、迷惑をかけてしまったな)


 拾われた恩義おんぎ。必ずお役に立つと心を決めたが、どうにもうまくいかない。

 庇われたまま、沈黙が落ちた。


 おそらく瑚灯の気迫に押されてしまったのだろう。

 逆上しないのは正しい判断だ、案外悪い客ではないのかもしれない。


 しばらくして大男は、ぼそりと「すんません」と謝った。

 次いで媚びるように下手に出て、へへ、と笑う声。


「すいやせん、本当に。待ち遠しさあまりに我を忘れて、悪気はなくて」

「悪気なく、女を殴ろうってか?」

「いえいえ滅相もないっ! そんな、ほんと、いえね、実はですね、急いでいたのは理由があるんですよ」


 瑚灯が紫水晶の瞳で見定めるように、大男を眺めた。感情を排除した無機質な冷たさ。しばらくして、ついっと茉莉花に視線を移す。


 茉莉花は瑚灯の求めに答えるため、己自身で情報を整理する。


 大男は短気なあやかしだ。

 ハナメへの危害の可能性から入店は拒否するべきかもしれない。


 が、その男の陰に隠れるように、ひっそり佇む女性が気になった。


 青白い肌に、こけた頬。


 豪華な着物に懐剣かいけんや耳飾りなどで装飾された女性。不健康そうかつ病的に細いせいか、重たい着物が浮いて見える。


 落ち着かないのか空いた手で帯にある紫色の花の根付けをいじっていた。

 きょろきょろ、と忙しなく目線を彷徨わせて、呼吸も安定していない。僅かに体が震えているのは寒さからではないだろう。


 ――どうにもここで出禁、という訳にはいかないようだ。


 嫌な予感が消えてくれない。

 瑚灯は茉莉花と同意見なのか、無言でも伝わり静かに身を引いた。


 それから「うちの従業員を傷つけないなら、構いやしないさ」と釘を刺した。

 ならば茉莉花も、いつも通りに仕事をするだけだ。一呼吸置いて、緊張を悟られぬように努めながら口を開いた。


「それではお客様、お食事についてですが」

「お、おおっそうだそうだ。食事だ! ここのがうまいと聞いてな! 祝いなら是非ここがいいって勧められてなぁ!」


 無理矢理に話を戻すと、大男は大仰に柏手かしわでを打って喜びを表す。

 大男は、ちらちらと瑚灯の様子を確認するが、瑚灯はどこ吹く風で周りの視線も声も無視し、柱に撓垂れ掛かる。

 肩からこぼれた髪が、無駄に艶やかさを醸し出している。

 

 今は客寄せも必要ないから、しまってほしい。


「何か特別な品をご所望でしたら、教えていただけると」

「今日は祝いなんだ! 折角だからコレの好物をね、食べさせてあげようと思ってな」


 大男がぐいっとひっぱり、隣の不健康そうな女性を前に出した。


 コレ、という発言に瑚灯がピクリと眉を動かした。人間を乱雑に扱われるのを嫌う彼からすれば、今の発言と強引な手の引き方に思うところがあるのだろう。

 何か言いたげだったが、特に言及しないで、ただ流し目で店の入り口を見る。


 つられて茉莉花も向ければ、ふわりと何かが風に乗って外へとさらわれていく。


「聞いているのかね」

「……はい。かしこまりました」


 茉莉花は意識を、大男に戻す。客が望んだのは団子であった。

 この町の縁起物である。何処でも手に入るが、わざわざ高級店である狐花を選んだのが、こだわりを感じる。何かしらのお祝いなのかもしれない。

 しっかり味についても聞いてから、他の要望も確認する。


「ご指名のハナメはいますか」

「構わん。誰でもいい」


 本気で食事目当てなのかもしれない。ハナメは空いていて、慣れたものを呼ぶか。


「あの、も、申し訳ございません。わたくし、お手洗いに」


 か細い声を拾い、茉莉花はハナメ選びを中断する。

 不健康そうな女性は、間違いなく人間で大男の機嫌を損なわぬよう、大人しくしており、おどおどしている。

 目は合わない。挙動不審である。


「おいおい、そんなもの我慢しなさい。ソイツも忙しいだろう」

「いえお気になさらず。こちらへ」


 目配せで別の子を大男の案内を任せると、女性に軽く会釈えしゃくをする。

 すると明らかにほっと安堵あんどした表情を浮かべた。


 大男は思い通りにならなかったのが気に食わないのか、不服そうに顔をしかめていたが、瑚灯の前だからか大人しく座敷へと消えていった。


(ずいぶん、よろしくない態度で)


 茉莉花は口には出さないものの、大男の言動に、いささか困ってしまった。人間に対して、ああいう態度のあやかしは、花送町で、あまりいないのだが。


 今のところただの客で問題は……あったが、大事にするほどでもない。女性についても、こちらが介入する隙はない。

 あくまで客と従業員。茉莉花の予感は、想像の域を出ないので、変に刺激を与えたり動いたりするのはご法度である。


 気にしてても仕方ない。切り替えるようにゆっくり瞬きしてから、女性へと向き直った。


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