Saelum 25
少し冷たくなった夜風が頬を掠めていく。空を彩る星たちと真上から降り注ぐ月明かりで、ヨンギの顔がはっきり見えた。だから、さっき言ったことは冗談でないと表情で分かる。だからこそ、どう返せばいいのか分からなかった。
「冗談で言っているように見えますか?」
もう一度聞かれ、クレナは声には出さずに首を横に振る。
「あなたと出逢えたことを運命と言ったのを覚えてますか?」
「……はい」
やっとの思いで声を出した。
「あの時は、ソユンに似たあなたと巡り会えたという意味で言いました。ソユンとは会えない代わりに、神があなたに出逢わせてくれたんじゃないかと……けど、それは僕の勘違いでした」
「勘違い?」
「ずっとソユンと重ねて、妹のように接してきたつもりだったのですが……本当はそうじゃなかったんだと気が付きました」
次々と口から出てくる台詞に戸惑い、クレナは相手から遠ざかろうと立ち上がった。しかし、直ぐ様ヨンギの手が腕を捕らえる。
「ヨンギさんっ」
「アグレアスのところへ行き掛けたあなたを見て思ったんです。あなたを誰かに渡すのは嫌だと」
「あのっ……待って」
ヨンギの手を振りほどこうとしたクレナだったが、逆に引き寄せられ、そのまま抱き締められてしまった。相手の心音が伝わってくる。
「あなたは生きるために進んでいく人だと承知はしています。僕は死んだ側の人間ですから、あなたを説得して引き止めようなんて事は考えてはいません……ただ、これだけは知っておいてほしい」
そっと体を離すと、ヨンギは優しく微笑む。さっきの笑顔とも全く違う。感情が揺さぶられるような、心奪われるような甘い笑顔。
「僕は……あなたが好きです」
なんの揺ぎもない真っ直ぐな気持ち。嬉しいとは思いつつも、どうしてか返事をすることに躊躇を感じる。
「わたしはっ……」
返答に困り果てているクレナに、ヨンギはいつも通りの笑みを向けた。
「答えはいりませんよ。もとの世界へ帰るあなたを困らせる気で言ったわけではありません……ただ、知ってほしかっただけですから」
「……はい」
「夜だから冷えますね。先に戻ってていいですよ……もう少ししたら僕も行きますから」
「わ、分かりました」
クレナは頷き、耳まで響く落ち着かない鼓動の音を聞きながら走った。
(今のは……なに?)
“好きです”という一言が頭の中をぐるぐる回っている。混乱を通り越して、錯乱してしまいそうだった。ローマンの家に行けばきっと落ち着くはずと走るスピードを上げる。だが、途中で行き先を塞がれてしまった。
「おい、走るな!」
突如、目の前に現れたアランのせいだった。
「アラン!」
出来ればアランには会いたくなかったと、クレナは視線を泳がせ、出来る限り目を合わせないようにした。
「夜で暗いのに、なに走ってるんだ? 転んだって知らないからな」
「ちょっと急いでたから……」
「そうだ、ヨンギ見てないか?」
「広場にいるよ。具合悪いみたいだったから、行ってあげて……じゃ、わたし急ぐから」
逃げるようにアランの横をすり抜けたが、そう上手くはいかなかった。
「待てって! どうしたんだ?」
右手を掴まれ、クレナは完全に歩みは止められてしまう。
「お前、なんか変だぞ……」
――そんなの自分が一番よく分かってるよ。
そう言いたいのに、言ったら駄目だと逆らう何かが心に訴えかけてくる。今、自分の感情を口にしたら、きっと余計なことまで口走ってしまいそうでクレナは怖かった。
こんなにも過剰反応してしまうのは、ヨンギから告白されたから。
それは確かにある。動揺もしてる。
――けど、理由は本当にそれだけ?
「おい、なんか言えって」
一向に振り向きもしないクレナに痺れを切らしたのか、思いっきり体を引き寄せられた。強制的にアランと向き合い、目が合う。その瞬間、心臓が信じられないぐらいに波打った。
(やっぱり、変だ。どうしちゃったんだろ、わたし……)
アランに抱き締められた時から感じてるんじゃない。あの時から、なぜかずっと心が落ち着かなかった。
“挫折したら、俺のとこに来い。お前のこと嫌いじゃないから”
あれに深い意味はないと知っている。なのに、なぜか頭にこびりついて離れない。
「クレナ……?」
「本当に、なんでもないよ」
「もしかして、ヨンギになにか言われたか?」
「え?」
アランはクレナを見るなり、何か納得した顔をして手を離した。
「分かった。もう聞かないから」
「アラン?」
普段通りの笑顔をクレナに向ける。
「何も聞かないから、もう逃げるなよ」
「……ごめん」
「ああ、そうだ。俺たちさ……明日帰るから」
「え?」
煩いぐらいに音を立てていた鼓動が静まり返り、次はぎゅっと握り潰されたような痛みが走ったのをクレナは感じた。
「アグレアスも居なくなったし、お前が狙われることもないだろう」
「そっか、そうだよね」
「お前は
咄嗟にブレスレットを服の裾で隠す。
「うん、そのつもり。まだ帰る手懸かりも分かってないから……」
アランとヨンギは赤い光の正体に気が付いていなかった。離れることが決まっているふたりに余計なことは言わない方がいい。これ以上、自分のことで迷惑をかけてはいけないとクレナは嘘をついた。
「そうだ、アラン……」
「どうした?」
「助けに来てくれて、ありがとう」
「ばーか、それはこっちの台詞だろ」
アランの手がそっと頭に乗せられた。
「助けに来たのに、結局は守られる側になったからな……ありがとな、助かった」
「アラン」
「ブレスレットのことで煮詰まったらいつでも来いよ! お茶ぐらいならご馳走してやる」
「うん」
「じゃ、俺はヨンギのとこ行ってくるから……今日はゆっくり休め」
「アランもね」
何も知らないアランは、笑顔のまま背中を向ける。そんな彼の後ろ姿をクレナは何も言わずにただ見つめた。
(ごめんね、アラン、ヨンギさん……そして、今までありがとう)
嘘を付いたことを知ったら、きっとふたりとも怒るかもしれない。けど、これ以上ふたりを見ていたら決意が鈍りそうで怖くなった。
――明日、笑顔でさよならなんて、今の自分にはできる自信もなかったから。
「さよなら、ヨンギさん……アランっ」
クレナは新たな決意を胸に、夜が深まった町の中へと静かに消えていった。
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