Saelum 24

 こんなにも天界の庭ここは美しいのに、どこか残酷さを残す世界。それでも、この場所に留まろうとするのは“忘れたくない想い”があるからなのだろうか。


「僕の後悔はただひとつ……妹を守ってあげられなかったことです」


 クレナは空からヨンギへと視線を戻す。


「きっとソユンだってもっと生きたかったと後悔しているはずだから、この世界へ来て直ぐソユンを探し歩きました」


「会えたんですか?」


 ヨンギは返事の代わりに、首を横に振った。


「一年探し回りましたが、ソユンは見付かりませんでした。すぐ更生しちゃったんでしょうね。後悔もなく逝けたのなら、それはそれで良かったと思うべきなのに……僕はどうしても逝けなかった」


「もしかしてヨンギさんが護衛隊カンボーイに志願したのってソユンさんのため?」


「はい。いつか生まれ変わったソユンがここへ来る日が訪れるかもしれないと思って……相手が僕を覚えてない可能性もある。その前に僕が気付かないかもしれないのに八十年待ち続けました」


 力なく笑うヨンギに対して、何も言えない自分が悔しかった。


「あの日、ソユンを守ってあげられなかった事を直接謝りたかった……来るかも分からないのに、バカな兄貴ですよね」


 励ましとか、慰めとか、簡単な言葉なんていくらでも言える。だから、彼に今必要なものはなんなのか必死に考えた。けれど、ヨンギの背負ってきた後悔と辛さは他人のクレナに到底分かるはずもない。


 ――相手の傷は、決して目に見えない。


「ヨンギさん」


 迷いながら、クレナはヨンギを見つめた。


 ――なら、自分が出来るのは彼を受け止めること。

 それしかなかった。


「わたし、何も役には立ってあげられないけど」


 クレナは咄嗟にヨンギの手を両手で包み込むように握り締めた。


「この世界に来て、不安だったわたしに寄り添って励ましてくれて、こうして今日も守ってくれました。こんなに頼りになる“お兄ちゃん”に守られたソユンさんは幸せだったと思います! だから謝ってなんかほしくないです!」


「……クレナさん」


「ヨンギさん! 妹さんの代わりになれないかもしれないですけど、わたしとソユンさん合わせてふたり分の感謝を言わせてもらっていいですか?」


「え? えっと……はい」


 勢い負けしたヨンギは訳も分からず頷く。それを見届け、一呼吸おいた後にクレナは思いっきりヨンギを抱き締めた。


「クレナさんっ!?」


 驚いてあたふたするヨンギの頭を優しく撫でる。


「ありがとう」


 耳元で響くクレナの言葉で、ヨンギの動きがぴたりと止まった。


「助けに来てくれてありがとう。だから、もう苦しまなくていいよ。自分のこと憎まなくていいんだよ……これはソユンさんの分です」


「そう、思ってくれてるでしょうか?」


「もちろんです。私が思うくらいなんですから……妹がお兄ちゃんに感謝しないはずありません」


 80年間、この世界で生き続けたヨンギは大人のように見えるかもしれない。しかし、彼の中の記憶は10歳の子供のまま止まっている。ひとりでソユンを探しながら泣いているヨンギの姿を思い浮かべた。彼の背中をあやすように擦る。


「そして、これはわたしの分です……言っていいですか?」


 少しだけ肩を震わせながら、微かに頭を動かした。


「ヨンギさんが優しくしてくれたから、わたしはこの世界へ来ても落ち込まずにここまでこられました……そして、わたしのために力を使って助けてくれました」


 もしもヨンギやアランに出逢うことがなかったら、クレナ自身、試練を断念した中のひとりになっていたかもしれない。この世界へ来ることがなかったら、クレナは自分の後悔から目を背けたまま、逃げてばかりの人生をおくっていたかもしれない。


「ヨンギさんのおかげで、わたしは前へ進む覚悟ができたんです……ありがとうございました」


 返事は無かった。それでも、彼には伝わったと分かる。背負った傷を癒すことが出来なかったとしても、少しだけでも笑顔になれる時間が増えることを願う。

 また空を見上げ、クレナは祈る。



 ――もう少しだけ、美しくも残酷なこの世界が優しさで満ちますようにと。




   ◇◇◇ ◇◇◇




 なにも会話がなくなり、ふたりに静寂さが漂う。


(どうしよう……)


 ヨンギのことを考えるのに精一杯で、つい抱き締めるという行為に走ってしまった。しかし、その後の事まで深く考えなかった自分を恨めしく思う。


(この状況は流石にマズイ!)


 さっきから自分の肩に凭れ掛かった状態のヨンギに、クレナはどんな言葉を掛ければいいのかさえ分からなかった。


(離してみる? でも、まだ落ち着いてないかもしれないし……このままでいた方がいいのかな?)


 背中に回した手を離したり戻したりを繰り返す。そんな最中、次第に早くなる鼓動の音と、込み上げてくる恥ずかしさ。なんて事をしてしまったのかと思い悩む。そんなクレナの耳にようやく聞こえてきたのは、笑いを押し殺した声だった。そこでクレナはハッとする。


「ヨンギさん? もしかして……笑ってますよね? というか面白がってませんか?」


 そう呟くと、やっとヨンギの体が離された。


「すみません……クレナさんが焦ってる様子が面白くて」


「そんな、ひどいですよ! からかうなんてっ」


「違いますよ」


 ヨンギが笑顔を向ける。その笑顔はいつもとどこか違っていた。


「からかってるわけでも、ふざけたわけでもないですよ」


 ちょっとだけ表情が柔らかくなったような些細な変化。


「けどっ……面白がってやったなら一緒です!」


「それもそうですね。面白いって表現は合ってませんでした」


「じゃあ、何ですか?」


 軽い気持ちで聞き返す。しかし、返ってきた言葉は予想に反するものだった。


「可愛かったから……クレナさんが焦ってるとこがすごく可愛くて、本当は顔を上げたくなかった」


「え?」


 いや、表情だけじゃない。言葉にも別の変化を感じる。


「またっ……冗談言わないでください」


「そう見えますか?」


 そう言ったヨンギの瞳があまりにも真剣で、呼吸が止まったような感覚に陥った。

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