第3章【桎梏の瞳】

Saelum 26

 “もしかして、ヨンギになにか言われたか?”


 そう言った時のクレナの表情が頭の中で幾度となく繰り返される。


 動揺した表情。困惑に染まる瞳。

 聞かなきゃ良かったとアランは後悔した。


 これまで誰かを特別だと思ったことが無かったから、こんなことぐらいで焦るなんて思ってもみなかった。正直、今の自分が抱くこの感情の意味すらアランは分かっていなかった。


“挫折したら、俺のとこに来い。お前のこと嫌いじゃないから”


 あれも、何も考えずに自然と口から出ていた。もしも、あの時誰とも会うことがなかったら、クレナはなんと答えてくれたのか。その答えを聞いていたら、何か変わっていたんだろうか。


 ――いや、変わらない。


 クレナは生き抜く意思を貫くだろう。


(それに、あいつが特別だと思うのはきっと俺なんかじゃない)


 聞いたところで、きっと虚しくなるだけだ。この感情の意味を知ったところで何も変わらない。それなのに、気分は沈んでゆく一方で、よく分からない苛立ちが体を支配していく。アランは沸き上がってくる感情に頭を掻き毟った。


「なんなんだよ……」


 一度歩みを止め、深く息を吐く。


「アラン?」


 前方から掛けられる聞きなれた声に、アランは下を向いた視線を上げた。そこには、少しふらつきながら歩くヨンギの姿があった。


「具合どうだ?」


「まあまあです」


 普段と変わらないヨンギだが、少し雰囲気がいつもと違って映る。


「力を使うと、体力を消耗しちゃうから面倒ですね」


 ヨンギに力があるのは知っていた。力を使うのは決まって、俺がヨンギを怒らせた時だけ。けど、そのあとは体を動かせなくなるぐらい体力を奪われ、回復するまでに時間が掛かってしまう。その時は決まって言う台詞があった。


 “こんな力があっても無駄なのに……”


 けど、それは力を使った時のことを言っている訳ではない。アランが知らない過去への後悔を思い出して言っていたことだと気付いてた。しかし、今日のヨンギは後悔を口にしなかった。表情もどこか柔らかくなったように見受けられる。いつも笑っているけど、どこか影があり、悲しみに耐えている顔ばかりを見てきた。だが、クレナが来てからのヨンギは、徐々に変わっていったように感じる。


「クレナさんから聞きましたか?」


「さっきな。お前が具合悪いみたいだって……さっさとジュンホンたちの家行って休め。明日には出発するんだからな」


「その事じゃありませんよ」


 そう言ったヨンギの顔からは、笑顔が消えていた。真剣な眼差しをこちらへと注ぐ。


「何も……帰るぞ」


 ヨンギが言おうとしていることを聞きたくなくて、アランは来た道に体を向けた。


「聞きましたよね? クレナさんが好きなのかと……答えなくていいんですか?」


「あれはもういい」


 あんなこと口走るんじゃなかったと後悔するアランに、ヨンギは容赦なく告げる。


「好きです……クレナさんが好きですよ」


「だから、言わなくていいって!」


「彼女に気持ちも伝えました」


「しつこいぞ、ヨンギ!!」


 背を向けたが、またアランはヨンギに向き直った。


「そうやって僕に苛立つのは……アランも彼女が好きだからですよね?」


 悪戯っぽく笑うヨンギに、思わず溜め息を零す。こういう顔の時は何を言っても受け流されるからだ。


「そう思ってろ! どうせクレナとは明日で最後だからな」


 そう、もう会うことはないかもしれない。自分で言ってしまった言葉に、アランの表情は曇っていく。


「アラン……別れある出逢いでも、惹かれた瞬間から衝動というものには逆らえない。それが運命であり、人の性ですよ」


「だから、俺は……」


「それにアランはまだ……」


「ヨンギさん! アランさん!」


 ヨンギが何かを言い掛けた時、後ろからリリーが手を振って走ってきた。


「リリーさん。どうかなさったんですか?」


「クレナさんは一緒じゃないんですか? 待っててもなかなか来ないから、迎えに来たんですけど」


「いや、さっき戻っていったけど……」


 アランはそう言いかけながら、先程のことを思い浮かべる。ヨンギとのことで様子が変だとばかり思っていた。だけど、明日帰ると伝えた時のクレナの行動が思い出される。手首を隠すように、袖を引っ張る仕草。


 ――左手首を見せたくなかった?


「ブレスレットか……」


 アランの呟きに、リリーが反応を示す。


「もしかして黙ったまま行っちゃったんですか!?」


「それはなんのことですか?」


「お父さんが教えたんです。昔、クレナさんと同じブレスレットを持った人が光の庭ルックス・ホルトゥスへ向かったって」


 ヨンギとアランの顔が一気に緊迫の色に染まった。


光の庭ルックス・ホルトゥスへ向かったんですか?」


「あのバカ……なんも知らないくせに」


「何かあるんですか?」


 ふたりの様子から、リリーは心配した眼差しを向ける。すると、ヨンギは何事もなかったように笑顔した。


「いえ、心配ないでしょう。リリーさんはもう家へ戻ってください……もう夜遅いですから」


「けどっ」


「クレナさんのことは僕たちに任せてください。ねっ? アラン……」


「え、ああ……大丈夫だ」


「分かりました。なら、よろしくお願いします」


 リリーは不安ながらも、自分の家へと向かって行った。それを見届けると、ふたりはまた暗い表情になる。


「アグレアスの剣を防いだ赤い光は……ブレスレットの光だったのかもしれませんね」


「二つ目が現れてたのに、なんで隠したんだ? しかも、ひとりで行くとかバカだろ!」


「きっとクレナさんの事です……僕たちに心配をかけたくなかったんじゃありませんか? 若しくは、僕が原因ですかね」


 そう切なく笑ったヨンギ。


 ――好きだから、別れが辛かった。

 不意に浮かんだ言葉にアランは苛立ちを感じ、小さく舌打ちした。


「アラン……あなたはどうしたいですか?」


「俺?」


 急に問われ、アランは悩みながら目線を別の場所に移した。クレナが向かって行ったであろう方向をじっと眺める。様々な想いが混ざり合って、心の中はぐちゃぐちゃだ。勝手に別れも言わずに行ってしまったクレナが気に食わない。ヨンギに告白されて動揺してたことも気に入らない。


 なのに、心配で堪らない。


「行こう」


「どこへ?」


「バカを叱りにだよ!」


 アランは仏頂面で言い放つ。


「一言文句を言わないと気が済まない」


「全くアランは素直じゃないですね」


 歩き出したアランの背中を見つめながら、ヨンギは苦笑いを浮かべた。

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