Saelum 19

 クレナは上半身を起こし、ローマンを睨み付ける。


「リリーちゃんとイザベラさんは無事なの!?」


「人の心配してる場合か?」


「答えてよ!!」


 我慢しきれず怒鳴ると、ローマンは面倒臭そうな顔をし、クレナの横にしゃがみ込む。


「無事だよ……今のところはな。あの護衛隊カンボーイふたりは知らないが」


「こんな事して、どうするつもりなの!? 早くみんなを」


「黙れ!!」


 いきなりの怒鳴り声に、クレナは身を強張らせた。次の瞬間、すごい勢いで冷たい床へと頭を押し付けられてしまう。頭に走る痛みにクレナの顔が歪む。自然と涙が込み上げた。見ていたジュンホンと瞬矢は、なんとかロープを外そうと必死に藻搔きながら叫ぶ。


「彼女に乱暴しないでください!」


「くそっ……お前ら、何が目的なんだ!!」


「……目的? 目的はこいつだよ」


 ローマンは躊躇うことなくクレナの髪を掴み、ふたりに見せ付けるように引っ張り上げた。


「うっ……わ、わたし?」


はじまりの地イニティウム・テッラから護衛隊カンボーイのお供付きなんて、どんだけ特別な人間なのかうちのリーダーが興味津々なんだ。けど、あのふたりに守られてたら俺たちの力じゃ太刀打ち出来ないだろ? リーダーにお前を会わすために邪魔者は追っ払わないとな」


「まさか……この娘を一人にするためだけに、この町を?」


 ジュンホンが悟ったように呟く。


「そうだ……町を占領し、お前たちを襲わせ、武器を奪う。そしてお供のふたり組に消えてもらえば俺たちの任務は完了だ」


 ヨンギとアランはどうなってしまったんだろうか。そんな不安が溢れ出し、涙となって込み上げてくる。


「ふたりに何かあったら許さないから!!」


「いいことを教えてやろう」


 ローマンの顔が近付き、耳元で冷たい声が響いた。


漆黒の森ニーグルにいる仲間に、こいつ等から奪った武器をひとつ持たせてやったんだ。それがお供のふたりの体に触れればダメージを受ける……そして致命傷を与えれば即刻更生あの世行きだ」


「嘘っ……」


「しかも悪しき人マームを集結させておいたからな……漆黒の森ニーグルのガキどもが出てきたとしても無傷じゃ済まないだろうよ」


 ショックでギリギリまで堪えていた涙が零れ、次々と頬を伝っていく。髪の毛を掴む手が離されると、力なく頭を床につけた。


「彼女をどうするつもりなのですか?」


 ジュンホンの問いに、ローマンはにやりと笑う。


「時が来れば分かるさ」


 どうしたらいいのかと、誰かに呼び掛ける。当然、答えが返ってくるはずはない。だが、答えとは別のものが返ってきたことにクレナは気が付いた。


「さて、女を運ぶか……お前たちにも来てもらおう」


 クレナにローマンの手が迫る。触れる寸前で転がりかわすと、一気に起き上がった。


「無駄なことをっ」


 ローマンが伸ばす手をすり抜けたクレナだったが、よろめきながらジュンホンと瞬矢に被さるように倒れ込んだ。ふたりは目を見開き、クレナを見つめる。


「髪を切った上に、また変なこと考えてるのか!?」


 また髪の毛を掴まれ、ふたりから即座に引き離された。


「もう抵抗しても無駄だ……おい! このふたりも運び出せ!!」


 扉の側で待機していた数名の男たちが部屋に入ってくると、ジュンホンと瞬矢も無理矢理立ち上がらせられ、部屋から連れ出されていく。


「さぁ、行こうか」


 その囁きに、クレナは何も言わず目を逸らした。

 ローマンに連れられ外へ出ると、大勢の悪しき人マームたちが集結していた。夕日は沈みかけ、辺りは暗くなり始めている。周りの家々の窓からは、心配そうにカーテン越しから覗く住人たちが見えた。


「よし、いよいよだな」


 ジュンホンたちは家の前に投げ飛ばされ、見張りの男たちに剣を向けられてしまう。その近くには、リリーとイザベラの姿もあった。


「リリー」


 恐怖で震えてはいるけど、無事なことにクレナはホッ胸を撫で下ろす。しかし、状況は最悪なままだ。これからやつらが何をしようとしているのか全く分からない。得体の知れない恐怖と懸命に戦うクレナではあるが、若干心は折れかかっていた。少しでも気を緩めたら、体が震えて一歩も動けなくなってしまうだろう。そうなったら、一瞬の隙をついて逃げることもできない。

 どこかでヨンギとアランが助けに来てくれることを願ってしまう自分がいた。クレナは懸命に祈った。


(ヨンギさん……アラン……どうか生きてて!!)


 その時、悪しき人マームが突如ざわつき始める。クレナは前へと視線を向けた。よく見ると、町の門を潜り、こちらへ向かってくるひとりの男性の姿が映る。闇に溶け込む黒髪。街灯のない暗闇でもはっきり分かる金色の瞳。歳は20代前半と若そうに見え、顔はモデルでもやっていそうなぐらいの美形だ。


 ――けど、なぜだろう?

 彼の瞳を見た瞬間に、血の気が引くほどの恐怖を感じる。


「そいつか?」


 そのひと言だけで、身体中に震えが走った。


「はい、アグレアス様」


(……誰?)


 “様”を付けるってことは、この人が悪しき人マームのリーダーなのだろうか。クレナは伺うように目の前に来たアグレアスを見遣った。


「俺が誰なのか知りたいか? お前が考えている通りだよ……クレナ」


(心を読まれた!?)


 アグレアスは笑顔を作り、わたしの目の前まで歩み寄る。そっと、乱れたクレナの髪を耳に掛け、そのまま顎を軽く持ち上げた。


「髪は自分で切ったのか?」


 あなたには関係ない、そう言い返すつもりだった。なのに、声が喉の奥に詰まったみたいに出てこない。目も逸らしたいのに、軽く触れているだけの手すら拒むことができない。


(……この人はじゃない。けど、ここで負けたら駄目だ!)


 クレナは震えそうな手に力を籠め、相手を睨み付けた。


「いいだ……色も、その強さも。気に入ったぞ……」


「では、儀式を……っ!?」


 クレナの後ろにいたローマンが言い掛けた言葉は直ぐに途切れてしまう。“儀式”と言った瞬間、アグレアスが殺気の篭った目でローマンを睨んだからだった。


「こいつを“儀式”に使うと言った覚えはないが?」


「しかしっ」


「うるさい……黙れ」


「申し訳ありません、アグレアス様!!」


 落ち着いた口調で言っているのに、背筋が凍るほどの威圧感。また、アグレアスの目がクレナに向けられる。


「話を聞いた時から興味があった……お前をただ生贄にするのは惜しい」


 顎に添えた手は輪郭をなぞり、ひんやりとした感触が頬を包む。


「お前は俺の傍に置こう。選択肢はないぞ……」


 怪しく光放つ金色の瞳に、クレナは逆らう判断を奪われてしまった。

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