Saelum 20
頬から手が離されると同時に、クレナは無理矢理声を絞り出した。
「あなたの側になんか……わたしは行かない」
「喋れるようになったか。素晴らしい……普通の女たちは何も言えずに散ってしまうのにな」
「わたしは……自分の世界に帰らなきゃいけないの!」
その言葉に、アグレアスが少し瞳を見開く。
「そうか……魂だけ運ばれてきたのか。それは珍しい」
「なんで、そのことっ」
すると、何か悩むように自分の顎に手を添え、クレナをじっと見つめる。暫くして、良いことでも思い付いたように微笑んだ。
「なら、選ばせてやろう」
「選ぶ?」
「俺のもとを離れるか……それとも、俺の傍にいるか……どうだ? 簡単な二択だ」
だが、全く安心感が湧いてこない。嫌な予感だけが身体中に伝わる。
「お前が俺のところへ来るのなら……この町を解放してやろう。女狩りもやめてやってもいい」
「離れたら?」
「当然、町は滅び……そこにいる
そう言って指差したのは、リリーだった。
「どうだ、簡単だろ?」
「そんなやり方卑怯じゃない!!」
「卑怯? そうだろうな……それが悪魔のやり方だ」
「悪魔? でも、悪魔って……」
この世界の悪魔は決して“悪”ではないはず。
「たとえが悪かったか……魔女とでも言っておこう」
「魔女……?」
「古から続く魔女の家系に生まれ、俺もその力を受け継いだ。しかし、その力を恐れた人間どもは……何もしていない俺と、その家族を殺していった。どんな殺され方かはお前にも想像がつくだろう? 魔女を殺す伝統的なやり方……火炙りだ。生きたまま身を焼かれ死んでいく瞬間は今も忘れはしない」
思いもよらない彼の過去に、クレナは返す言葉を見失ってしまう。
「この世界へ来たが力はそのまま消えずに残っていた。なら、ここでは俺が支配者となれる。散々蔑まされてきた俺の力は“神”同等になったんだよ」
「ならっ……」
ーーそれなら生贄なんて必要ないじゃない。
と言いたかったのに、アグレアスの手が口を塞ぐように当てられた。
「しかし“神”がいる限り、俺は魔女のままだ。俺が“女狩り”をこいつ等にやらせているのはなんのためだと思う? ただ楽しむためなんて馬鹿らしい理由じゃない」
(どういう意味?)
「神を呼び出すためだ……」
アグレアスは気味悪く笑う。
「この世界で止めようもないことが起き続ければ神は怒って必ず姿を現す。その時こそが俺の目的であり、狙いなんだよ」
クレナは眉を顰め、アグレアスを凝視しする。
「分かりやすく言おうか……俺は“神殺し”がしたいんだ」
「なっ……」
「けど十分“女狩り”はしたからな……もうどこかに現れているかもしれない。お前の決断次第で“生贄”はやめてやる」
口に当てられた手を離し、彼の顔が間近に迫ってきた。至近距離で、余裕の笑みを浮かべて告げる。
「お前ひとりの決断で多くの人間が助かる。あの付き人ふたりも見逃してやろう」
「え?」
それはきっと、ヨンギとアランのことだ。
「アランとヨンギさんは生きてるの!?」
「ああ、生きている……俺はお前に嘘などはつかない。だが、お前が断った瞬間……全部消えることになる。力を持つ俺がこれを使えばひとたまりもないからな」
そう言って、両手の甲をクレナに見せた。両手の中指に光る見覚えある指輪が目に飛び込む。それはアランたちが付けている指輪と同じもの。
「それは俺のだろ!」
瞬矢が思わず声を漏らす。ようやくクレナは全てのことを理解した。自分を狙っていたのは事実だったとしても、この町を襲ったのは“指輪”を奪うため。はじめから“神殺し”のために計画されたことだったのだ。
「ひどい」
「さぁ、どうする? お前の答えを聞こうか」
クレナは俯き、瞼を閉じた。
自分には“生きる”理由がある。後悔と未練を乗り越えるために前へ進まなければならない。しかし、その判断で多くの犠牲が出てしまう。クレナの脳裏にあの日の光景が甦ってきた。
あの日のあの後悔を繰り返すなんてもうたくさんだ。クレナの心に決意が芽生える。
(ヨンギさんやアランと出逢えたこの世界は……もうわたしにとっては“現実世界”なんだから)
「わたしはっ……」
――失う選択をするぐらいなら、自分が犠牲になる道を選ぶ。
(ごめん……もう謝りにもいけない)
一筋の涙が頬を伝い、地面に零れ落ちる。そっと顔を上げ、クレナはアグレアスを見た。
「あなたと一緒に……」
「あなたの好きにはさせません!!」
いきなりの大声に振り向くと、そこには拘束を解いたジュンホンがいた。手足のロープが地面に散らばっている様を無表情で見据えるアグレアス。
「指輪がなくとも、わたしは
「無駄なことを……力もないだろう」
アグレアスが一歩、彼らに近付こうとした矢先、瞬矢がジュンホンの前に出てきて何かを投げつけた。
「力がなくったってな……お前の足止めぐらいはできんだよ!!」
クレナがアグレアスへと視線を向けると、肩に見覚えあるナイフが刺さっていた。そのナイフはアランから借りたもの。
あの時。いつの間にかポケットから落ちてしまったナイフに気づいたクレナは、わざとふたりの近くに倒れ込み、ローマンの目を誤魔化し手渡していたのだ。
瞬矢とジュンホンを取り押さえようとしてきた男たちを次々に蹴り倒し、持っていた武器を奪い取る。
「本当は刀がいいんだけど、お前なんかこれで十分だ!」
二本の剣を持ち、構える瞬矢。
「あまりハードルを上げるのはよくない癖ですよ」
「うっせー!」
「なら、行きますよ!」
ジュンホンの声で、ふたり同時にアグレアスへ向かって走り出した。
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