Saelum 18

 誰かの声がする。

 いつも見る悪い夢なのかとも思ったが、聞き覚えのない声だったためにそうではないと気付く。


「君っ……」


 (ーー誰だろう?)


 声の主が男性なのは理解したが、これが夢なのか現実なのか今一つクレナには分からなかった。


「おいっ! 君っ!」


 より大きな声で、クレナは一気に夢から醒める。


「良かった! 死んでるかと思っちゃったよ」


 まだはっきりしない意識の中で、安堵の笑みを零す見知らぬ青年が瞳に映った。


「死んでたら消えるでしょう……大丈夫ですか?」


 青年の隣に男性がもうひとり。心配そうな顔付きでクレナを見ていた。


「ここは? わたし、なんで……痛っ」


 状況が掴めず、体を起こそうと動かした途端、手足に鈍い痛みが走る。そこで、自分が縛られていたことにはじめて気が付いた。ロープ状のもので皮膚に食い込むほど縛られ、身動きできない状態に一瞬困惑する。クレナは痛みを我慢して頭だけをゆっくり動かし、周りを恐る恐る見渡した。そこは窓もない光の届かない洞窟のような空間。壁の窪みに置かれた二本のローソクの明かりだけが頼りのようだ。

 出口は鉄製の扉ひとつだけ。見るからに、そこは地下室だった。


「あまり動かない方がいいですよ。食い込みがひどくなりますから……」


 そう言われて、ようやくクレナは自分を見つめる見知らぬふたりに目を移す。心配そうに声を掛けてきたのは、長い黒髪をひとつに結ったいかにも優しそうな男性。落ち着いた雰囲気漂う大人な彼の両耳には、綺麗な水色のピアスが光る。もうひとりの青年は茶色の短髪に、焦げ茶色の瞳。歳はきっとクレナと同じぐらい。いや、ヨンギの一件があったから、見た目と中身の年齢は合致していないかもしれないと心の隅で思う。

 しかし、彼らは敵ではないということはクレナにもなんとなく察しがついた。


「あなた達は?」


 そこでやっと気づく。彼らもまたクレナ同様、手足をロープで拘束されていた。あと、不思議なことにふたりとも傷を負っている。大した怪我ではなさそうだけど、所々血が滲んでいた。


(この世界で怪我もするのか……)


 前に自分が転んだ時には傷なんて出来なかった。そんなことを考え始めた時に、長髪の男が穏やかな声でクレナに話し掛ける。


「わたしは俊宏ジュンホンです。あなたは?」


「えっと、わたしは……クレナです」


 クレナが名乗ると、ジュンホンは安堵した様子で微笑む。次に隣の青年が笑顔で自己紹介を始めた。


「俺は瞬矢しゅんや。俺とジュンホンはこの町の護衛隊カンボーイなんだ」


「えっ……護衛隊カンボーイなんですか!?」


 いきなり声を上げたクレナに、ふたりは目を丸くする。


「どうして? だって漆黒の森ニーグルへ行ったんじゃ……」


「俺たちが? それきっと嘘だから」


 嘘だと知って、クレナは食い込むロープの痛みに堪えながら、なんとか体を起こした。


(だったら、ローマンさんが言っていたことは全部嘘だったの!?)


 さっき見たローマンさんの豹変ぶりを思い出し、クレナの頭に嫌な想像ばかりが浮かぶ。


「だとしたら、わたし達ははじめから騙されてたの?」


「大丈夫かい?」


 ジュンホンの声で慌ててクレナは口を開く。


「なんとかして、ここから出ないと! 助けなきゃいけない人がいるんです!」


 漆黒の森ニーグルへ行ったヨンギとアランの無事が知りたい。そして、自分を逃がそうとしてくれたリリーのことも気掛かりだった。


「俺たちも脱出したいんだけどさ。これじゃ手足の自由はきかないし……それに俺たち、あいつらに武器を奪われちゃって戦う術がないんだ」


 瞬矢が気まずそうに言うと、ジュンホンも申し訳なさそうな顔をした。


「助けにならなくてすみません。まさか信頼していたはずの住人に襲われるとは思ってもみなかったので……油断してしまいました」


「住人に?」


「きっと知らない間に悪しき人マームたちが住人を脅していたのでしょう。そうでなければ、わたし達を襲うとは考えにくい。住人の異変に気付けないなんて情けない話です」


(なら、ローマンさんは悪しき人マームのひとり?)


 リリーとイザベラは、あのローマンとは無関係な人だったことになる。脅される恐怖と逃げられない苦しみは計り知れなかったはず。なのに、自分を助け出そうとしたリリーの気持ちを考えると心が痛んだ。


「やっぱり、諦めるなんて無理!」


 クレナは無理やり立ち上がり、跳び跳ねながら扉へと近付いた。


「クレナさん、無駄ですよ! 鍵も掛かっていますし、体当たりしても鉄製なので絶対に開きません!」


「そんなの、試さなきゃ分からないじゃない!」


「おい! やめろって……お前が痛い思いするだけだろ!」


 ふたりの制止も聞かず、クレナは思いっきりドアに向かって体を叩きつけた。けれど、頑丈な扉がそう簡単に開くはずもなく、クレナは再び石畳の床へと倒れ込む。


「ほら……だからやめておけって言ったのに」


「やめられるわけないでしょ!」


 体を起こし、クレナは強い口調で言い放った。


「わたしをここまで守ってくれた人を……自分を犠牲にしてまで庇ってくれた人を助けてあげたいの! もう誰かが傷付くとこなんて見たくないから」


 もう一度立ち上がり、さっきよりも勢いよく扉に体当たりをする。しかし、扉はびくともせず、クレナは床へと逆戻りしただけで終わってしまう。


「待てって! なにか別な方法を探そう」


「そうです。わたし達だってただ捕まっているだけなんて護衛隊カンボーイとして情け無さ過ぎですからね」


「でも他の方法なんて」


 その時、鍵が外される音が地下室に響き、重い扉がゆっくり開かれた。そこに居たのはローマンだった。にやにやと笑いながら、悪意ある目付きでクレナを見下ろしている。


「おいおい、ずいぶん暴れてるな。威勢のいい女だ」


 そう言いながら嘲笑する相手に足掻くこともできないクレナは、自分の無力さに唇を強く噛んだ。

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