Saelum 10

 徐々に辺りが暗くなり始めた頃、ヨンギとアランは目で合図を交わした。同時に歩みを止める。


「どうかしたんですか?」


「今日はここまでだ」


「夜の森は危険が多いので、ここで野宿にしましょう」


 ふたりの表情が一瞬険しい表情に変化したように見えた。何かあったのかと思ったが、どうやら気のせいのようだ。歩き続けた疲れもあり、クレナは深く考えず座り込む。


「クレナさん、今のうちに説明しなくてはいけないことがあります」


「はい」


 急にヨンギが真面目な顔になり、畏まって返事を返す。


「ここから先は森も深くなっていきます。一度迷ってしまうと抜け出すのが難しくなりますので、決して僕たちから離れないで下さい」


「夜はあいつらに狙われやすくなる。捕まると厄介だから……単独行動はするな」


 アランまで怖い顔。クレナは素直に頷く。


「わかりました……約束します」


 ふたりは同時に“よし!”と、声を揃えて言った。そこで、昨晩したヨンギとの会話を思い出す。


(だから離れるなって言ってたのか)


 あれはただの気遣いで、それ以上の意味はない。なのに、勝手にあたふたしてしまっていた自分を思い出し、クレナは恥ずかしくなった。変に誤解したままにならずに済んだことを心の底から安堵する。


(あぶない、あぶない……)


 この時クレナは、改めてイケメンに対して免疫強化することを堅く誓った。




 ◇◇◇  ◇◇◇




 川沿いを辿りながら森を抜け、やっと道らしい場所に出たのは2日目の夜のことだった。言いつけ通りヨンギたちから離れないように旅をして来たからか、今のところ何事もなく順調だ。予定通りに行けば、明日には町へ着くだろう。


(あとちょっとか……)


 焚き火の暖かな明かりの中で、クレナは薄いタオルケットに包まりながら瞼を閉じた。


 夜も更け、みんなが眠りに落ちた頃。クレナは深い夢の中にいた。

 耳に届くのは繰り返し聞こえる、あの人の声。


『クレナ、わたしが味方になるから』

『いつだって、わたしが側にいるよ』


 懐かしい、楽しかった頃の記憶。しかし、急に映像は暗闇に染まり、何も映さなくなる。


「ねぇ! どこ? お願い、どこにも行かないで。ひとりにしないで!」


 必死に叫んだクレナの耳に再び響く声は、自分が求めるモノではなかった。


『あんたが悪いんじゃない。あんたが見捨てたの!』


 それは紛れもなく自分の声だった。


 そこで目が覚める。嫌な汗が首筋を伝った。クレナは時折、同じ夢を見ていた。過去を忘れようと嫌なことから避けて逃げても、この夢を見る度に過去へ引き摺り戻されてしまう。ここへ来たせいなのか、いつもより声がリアルだったことにクレナの心が大きくざわついた。


 夢を見た程度で迷っている暇はない。生きて、この世界から出ることだけを考えなくてはダメだ。

 そして必ず会いに行くんだと、心の中で誓う。

 クレナはそっと立ち上がる。よく眠っているふたりを起こさないように、足音に気を付けながら川辺まで近寄った時、不意に腕を捕まれる。驚きの声が出そうになったが、口元に相手の人差し指が軽く触れ、クレナは言葉を飲み込んだ。瞳に映ったのがヨンギだと分かり、強張った肩の力を抜く。


「ヨンギさん」


「すいません、驚かせてしまって」


 アランに気を遣ってか小声だ。


「起きてたんですか?」


「少し前に……クレナさん大丈夫ですか? さっき魘されてましたけど」


「怖い夢を見たんです」


 クレナは目線を下げ、ヨンギと僅かに距離を置く。


「それだけです。心配ないので、寝てください」


 完全にヨンギに背を向ける。ここで頼ってしまったら、完全に寄りかかって甘えてしまいそうで不安になった。彼らとは次の町へ着いたら別れなくてはいけない。クレナは感情を押し殺し、なんとかヨンギを突き放そうとした。


「わたしならひとりで大丈夫ですから」


「クレナさんは……強いですね」


 そう呟いたかと思うと、ヨンギの腕がクレナを優しく包み込む。抱き締められている。それを理解するのに時間は掛からなかった。一気に熱が顔に集中していく。


「ヨンギさん!?」


 回された腕を外そうとするが更に力を籠められ、クレナは仕方なく抵抗をやめた。


「その強さ、僕は尊敬します。けどね、たまには力を抜く日だって必要ですよ……後悔や未練が全てあなたのせいではないはずです」


「それは……」


「大丈夫。あなたならきっと乗り越えられる」


 ようやく腕が体から離れ、クレナは躊躇い気味に顔を上げた。


「それはわたしが保証します」


 ヨンギの言葉は不思議と身体に染み渡り、本当に大丈夫だと思わせてくれる。まだ会って間もないのに、以前から知っているような錯覚まで感じさせられるほどだ。


「ありがとうございます」


 そう返事をすると、いつかのように頭を優しく撫でた。


「白状すると……実は僕たちが町まで付いていくのはクレナさんが初めてなんです」


「えっ? それって、どういう意味ですか?」


「僕たちはこの世界へ来た人に、説明と案内の義務がありますが……案内は本来、その人に合った場所を指し示すだけで、直接送り届けるのは天使の役目なんです」


「なら、なんで今回はわたしを?」


「今回はどうしてもクレナさんの力になってあげたくて、天使に無理を言って頼んだんです。アランは反対するだろうと予想していたんですが、あっさり受け入れてくれて助かりました」


 ヨンギの手が徐々に髪から頬へと移り、ひんやりした温度が伝わってくる。きっと、自分の顔が熱いせいだとクレナは心の隅で思った。


「あのアランですら協力したいと思える人なんです。だから自信を持ってください」


「ヨンギさん」


「神は意味のないことはしない。この世界がそうであるように……そして、この出会いが必然であるように」


「必然?」


 意味深な言い方にクレナが反応すると、ヨンギの整った顔が間近に迫る。そして、アランをからかっている時のような悪戯な笑顔で囁き告げた。


「少なくとも、僕はあなたと出会ったこと……運命だと確信してますから」


 ヨンギの爆弾発言にクレナは逃げるように体を離す。


「ヨンギさん、あんまりからかわないで下さい!」


「僕は至って真面目に言ったつもりなんですが」


 きょとんとした顔をするヨンギに、わたしは溜め息を零す。もう、言い返す言葉すら思い付かない。


「もう寝ませんか?」


 それしか口から出てこなかった。


「ええ、明日も歩きますからね」


 地面に敷いた薄い毛布の上に横になる。いつもより少し早い鼓動を感じながら、クレナはタオルケットを顔が隠れるまで被った。

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