Saelum 09
場も考えずに大きな声で言ってしまい、慌てて頭を下げる。
「すいません! 初対面なのに」
女性は長い黒髪を後ろでおだんごにし、いかにも真面目そうな雰囲気。しかもスタイル抜群で、背も高い。おまけに美人。黒のスーツをこんなにもかっこよく着こなせる人を始めて見た。男性の方は少しポッチャリとした中年のサラリーマン風な人。にこにこと愛想笑いを浮かべ、人の良さそうな営業マンを連想させた。
「はじめまして、あなたがクレナさんですね」
女性が握手を求めるように、右手を差し出す。慌てて自分の右手を相手の手に重ねた。
「はじめまして……天使さんなんですか?」
「はい。これから柚木さんが旅だたれるとの報告を受けましたので、代理で参りました」
男性はおっとりとした口調で答えた。
「代理?」
クレナはヨンギに目を向ける。
「わたし達がクレナさんを町まで送り届けている間もたくさんの人がここへ導かれますからね。その間の代理を頼んだんです」
「そうだったんですね」
しかしながら、天使といっても翼は見当たらないし、頭に輝く輪っかが乗っかっているわけでもない。外見は極々普通の人間だった。
「それでは、よろしくお願いします」
ヨンギが頭を下げると、ふたりもそれに合わせて深々と頭を下げた。
「お気をつけて」
「では出発しましょう」
歩き出したヨンギとアランのあとを慌てて追いかける。天使と呼ばれたふたりはいつまでもお辞儀をしたままだった。
「本当にいるんですね……天使って」
「見た目は普通の人間と変わりませんから、がっかりされたのでは?」
「少しだけ。絶対に翼とか生えているものだとばかり思ってました」
「本当は生えてますけどね」
「そうなんですか?」
「見えないんです。あの姿も仮の姿と言いますか……わたし達の目からは普通の人間にしか映らないようになってるんです」
「なるほど」
後ろを確認すると、もうコテージすら見えなくなる森の中まできていた。空は晴れやかだが、森の中は日があまり入ってこないために薄暗く感じる。草が風で擦れる音と、自分たちが歩く足音しか聞こえない空間。不意に昨日襲われたことを思い出したクレナは警戒するようにふたりの後ろをぴったりと付いていく。その姿を見て、なぜかアランが笑い出した。
「誰もいないから、きょろきょろするな。挙動不審にも程があるぞ」
「あの人たちがいるって分かるの?」
「気配くらいは感じられる。それに俺たちがふたり揃ってガードしてるから、居たとしても襲ってこれない」
それを聞いて胸を撫で下ろす。
「良かった」
「珍しいですね」
気付くと、ヨンギが不思議そうにアランを見つめていた。
「アランがそんなに喋ってるところ……はじめて見ました」
感心したような口調で、顔をまじまじと眺める。そんなヨンギの様子をどこか怪訝そうに見るアラン。
「俺だって喋るだろ」
久々に小さく舌打ちした。
「そうですか? 今まで来た人に対して、そこまで話したりなんてしてませんでしたよ?」
「気のせいだ!!」
そう言い放ち、アランは少し先を歩き出す。いきなり笑いを必死で堪え始めるヨンギを見て、クレナは何が起きたのか分からずにいた。
「アランをからかうと面白いから、つい……いじめたくなっちゃうんですよね」
涙まで浮かべ、楽しそうな顔で言うヨンギにクレナは苦笑いを浮かべた。アランがヨンギを腹黒だと言っていたのは、こういうことだったのかと察する。
「でもアランがこんなにまで他人に心を開くのは珍しいんです。僕とは一年半同じ家で生活してますけど、まともに会話が出来るようになるまで一週間掛かりましたから」
「そうなんですか?」
「アランはクレナさんが気に入ったようですね」
なんだか嬉しそうに言ったヨンギ。クレナは改めてアランに目を向けると、こちらをすごい形相で睨み付けていた。どこをどう見ればヨンギには気に入られたように見えるのだろうとクレナは苦笑いを浮かべる。それを見て、ヨンギがまたおかしそうに笑った。
どれくらい森の中を歩いただろうか。
暑さはさほど感じないが、額にはじんわりと汗が滲み、呼吸も乱れ始める。
「そろそろ休憩しましょうか?」
「いいんじゃないか……まだ道のりは長いから」
大きな木の側に腰掛けたふたりに合わせて、クレナも崩れるようにしゃがみ込んだ。
「疲れたでしょ。今お茶を用意しますから」
ヨンギは背負ってきたリュックから水筒を取り出し、コップにお茶を注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
コップのお茶を飲み干すと、クレナは直ぐ様質問を投げ掛けた。
「そういえば、
「そうですねー。このペースだと2日から3日ってところでしょうか」
「えっ、そんなに遠かったんですか!?」
「天界には乗り物が存在しませんからね。どこへ行くにも歩くしかないんですよ」
もしかしてとは思っていたが、3日もかかるとは予想外だった。直ぐに着く距離にあるから歩きなんだとばかり考えていた自分の甘さに落胆する。
「なら夜は?」
「野宿だ」
アランにあっさり言われ、クレナは何も言わずに俯き黙る。そんな様子に、ヨンギが心配そうに声を掛けた。
「慣れないことばかりさせてすいません。しかし、森を抜けてからも町らしい所がなくて……辛抱させてしまいますが」
だが、ヨンギの耳に届いたのは笑い声。
「クレナさん?」
さすがのアランですら困惑顔でヨンギとクレナを交互に見遣っていた。
「ごめんなさい……ダメ、お腹痛っ……あははっ」
なかなか笑いが抑えられず、クレナはお腹の痛みを訴える。
「何か変なものでも食べたか?」
「まさか……」
なんとか呼吸を整え、手の甲で涙を拭きながらクレナはもう一度ふたりに謝罪の言葉を言った。
「急に笑っちゃってすみませんでした。なんか楽しくなってきちゃって」
「楽しい……ですか?」
「今までどこへ行くにも乗り物を利用して、必ず帰る家があるのが当たり前だったのに……移動は歩きしかなくて、しかも野宿って……普段だったらなかなか経験できないなって。そしたら楽しくなってきちゃいました」
「普通はみんな嫌がるとこだけどな」
「なんでも楽しめてしまうなんて、クレナさんは素晴らしいですね!!」
「悪趣味なだけだろ」
「悪趣味は余計だよ!」
クレナは内心ホッとしていた。次の町に着いたら離れてしまうふたりと、もう少しだけ一緒に居られることが嬉しかった。この掛け替えのない一時を噛み締めたいとクレナは思った。
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