Saelum 07

 コテージの中へ戻って直ぐ、クレナは具沢山のスープをご馳走になった。そのあと、ヨンギが準備してくれた温かなお風呂にゆっくりと浸かる。一時間ほどお風呂を満喫して上がると、用意してくれた新品の服に袖を通す。この世界に来て本心から落ち着いたと言える気がした。洗面台に置いておいたブレスレットを左手首につけ、脱衣所を後にした。再びリビングに戻ってみると、もうヨンギの姿はなかった。


「水だけもらって、部屋に戻ろう」


 不安はかなり緩和されたものの、色々ありすぎて寝れる自信がない。棚からひとつグラスを取り出したところでリビングのドアが開く。そこへ現れたのはアランだった。


「まだ起きてたのかよ」


 目があった瞬間、ひねくれた言葉を発する。正直、アランは苦手だ。


(顔はいいのにな……)


 クレナは、さっさと水を飲んで逃げようと水道の蛇口に手を乗せた。


「水飲んだらすぐ戻りますから」


 水を出そうと蛇口を捻る。


「待て」


「え?」


「お前はそっちに座ってろ」


 そう言って、アランはソファを指差した。


「なんで?」


「いいから黙って待ってろ」


 クレナの肩を掴むと、押すようにキッチンから追い出す。理由も分からないまま、言われた通りにソファへと座った。キッチンに明かりが灯り、リビングにもその明かりが差し込む。暗く静まり返っていた部屋が柔らかなオレンジ色に染まった。明るくなってから気付いたが、スーツ姿からワイシャツとズボンだけと、ラフな格好になっていたことに気が付いた。眼帯はやはり付けたままだったが、見掛けだけは見惚れるほどの容姿だと、クレナはアランをまじまじ見つめる。


(こんなにカッコいいのに勿体無い)


 口が悪くなければ、さぞかしモテただろうにと少し残念な気持ちになった。お湯を沸かし、何かを用意するアランの姿を観察しながらクレナは不意に気になった。


 彼はどっち側か教えてくれなかった。

 一体アランに何があったんだろうか。

 もしかしたら、眼帯はそれを意味するものなのか。


 そんなことを考えていると、アランとバッチリと視線が重なった。


「なに見てんだよ。気持ち悪いな」


「気持ち悪いは失礼でしょ!」


「人を観察する趣味をお持ちなんですね。すっげー悪趣味だからやめろっ」


「そんな趣味は持ち合わせておりません!」


 こちらへ近付くアランの手にはマグカップがふたつ。捻くれたことを言いながらも、ひとつをクレナに差し出した。


「ほら、こっちの方がよく眠れる」


 意外だった。寝付けないことを察し、尚且つ気遣ってくれるとは思ってもみなかった。クレナは呆気にとられながら両手でカップを受け取る。さっきまでとは別人のように感じるのは気のせいじゃない。なんだか変な感じで、逆に戸惑ってしまう。


「ありがとうございます」


 はじめて嗅ぐ匂いだ。


「カモミールティだ……気分を落ち着かせるから安眠効果がある」


「そうなんだ。いただきます」


 一口飲む。癖はあるが、悪くない飲みやすさだ。


「美味しい。ありがとう、アランさん」


「アランでいい」


「え?」


「さん付けは嫌なんだ」


「はい、分かりました」


 そう答えると、アランは無表情のまま隣に腰掛けた。そのまま無言でカモミールティを飲み続けていると、不意に視線を感じる。また睨まれているのだろうかとクレナは思ったが、アランの目線は明らかに違うところを見つめていた。


「どうかしました?」


「そのブレスレットは?」


 聞かれて、クレナはさっきの出来事を思い出す。


「聞いてください! 実はヨンギさんと話してたら突然これが現れたんです! もしかしたら帰れる手懸かりになるんじゃないかって」


 アランの目の前に、ブレスレットを持っていく。


「えっと、アランは……これ、見たことありますか?」


「ない」


「そうですか……これが戻れる手懸かりなら一歩前進なのにな」


「そんなに戻りたいか?」


 突然の問い掛けに、クレナは顔を上げた。


「後悔や未練が重荷なら、捨てることだって出来る」


 今まで不機嫌面しかしてこなかったアランが、真剣な顔で食い入るようにクレナを見つめている。


「何もかも捨てて、生まれ変わった方が楽だろ? 戻れる保証がないのに悪足掻きしてまで、そんなに戻りたい世界か?」


 そう言われると、正直のところ迷う。ヨンギは自分の後悔や未練と立ち向かうチャンスだと言った。でも逆に、ここで自分の背負っているものを断ち切れる決断の時間をもらったという解釈も出来る。楽な道を選ぶなら、きっと誰もが“更生”の道を選ぶだろう。これまで生きてきた世界が良いものかと聞かれれば、クレナは正直な気持ちで答えるとしたら“いいえ”だ。決して、楽しいとは言えないことの方が多かった。そうあるが故に、アランの問い掛けにクレナは即答できなかった。


「わたし、ある人を深く傷付けてしまったんです。わたしにとって、その人は大切な存在だったのに……たくさん苦しめてしまって」


 今も思い出せば、胸が苦しくなる。


「この後悔と未練を忘れることができたなら、確かに楽です。けど、忘れたらいけない……忘れるなんてしちゃいけないと思うんです」


「どうして?」


「忘れたら、もっと後悔しそうだから」


「なんだそれ」


「ずっと忘れようとしてました。けど、この世界に来て気が付いたんです……死んだら、もう謝ることも、感謝することも出来ないんだって。逃げてた自分が恥ずかしくて堪らなかった」


 蘇るたったひとりの大切な人の顔。鮮明になる記憶は、切ない想いとともに涙へと変わる。


「どんな世界でもいいんです。重荷を背負ってでも、生まれた世界で最後まで生き抜いてみたい」


「せいぜい頑張れ」


 そう言いながら、ティッシュを顔に押し当ててきた。どうやら、涙を拭けと言いたいらしい。

 きっと、不器用な人なのだろう。そこでクレナは気付いてしまった。


「アランだって、本当は生きたいって思ってるんじゃないですか?」


「は?」


「だって、忘れた方が楽だって言っておきながら自分は忘れないままの道を選んでるでしょ? 忘れたかったら護衛隊カンボーイになんかならない……でしょ?」


 図星だったのか、アランの顔が一気に赤く染まる。


「うるさい! さっさと飲んで寝ろ!」


 不機嫌な顔に戻ってしまった。だけど、前ほど苦手とは感じない。根はいい奴と言っていたヨンギの言葉は正しかった。


「アラン……ありがとう」


 返事はない。それでも、クレナはなぜか嬉しくて仕方なかった。

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