Saelum 04

 真っ白な紙に書かれていたのは円グラフ。


 事件(誘拐・拉致)48%

 失踪32%

 自殺18%


 しかし、残り2%には何も書かれていなかった。


「行方不明者のほとんどの人たちには、何かしらの原因や事情があります」


「この2%は?」


「原因不明とされていますが、その人たちは全て神隠しによるもの。肉体ごとここへやって来た人達なんです。神の悪戯……そう言うと聞こえは悪いですが」


「それじゃ、わたしも?」


「魂だけが導かれた場合も、実は神隠しの一種なんです」


 きっぱり言われ、クレナは言い知れない不安から両手を強く握り締める。


「もしも、神隠しが本当だとしたら……わたしがここへ来たのには何かしら理由があったんですよね? そうでしょ?」


 その問い掛けに、ヨンギは小さく頷く。


「そうですね。もし理由が存在するのであれば、それはきっと試練だと思います。そして、クレナさんが帰る方法は……クレナさん、あなた自身が持っている」


「わたし自身が?」


「あなたの背負う後悔と未練、それはあなたにしか分からないもの。あなたが自らの力で乗り越えなくてはならない試練なのです」


 脳裏に再生される過去の映像。

 自分が乗り越えなきゃいけない後悔と未練はあの日しかないと、クレナは静かに悟った。


  やっと、紅茶に口をつける。すっかり冷めてしまっていたが、乾ききった喉を潤すには十分だった。カップを静かに置き、クレナは改めてヨンギに顔を向けた。


「話は分かりました……帰るのが難しいのも理解できました」


「なら諦めろ。どう足掻いても、お前は帰れない」


 アランの容赦ない言葉。


「アラン!」


 声を荒げ、ヨンギがテーブルを強く両手で叩く。だが、まるで相手にしていないかのようにアランはキッチンで珈琲を作り始めた。沈黙が生まれ、静かな部屋に響くのは時を刻む時計の針の音だけだ。クレナは側に置いてあったジャケットを手に取り、沈黙の中でそっと立ち上がった。


「……わたしは帰ります」


 ふたりの視線がクレナの方へ向けられる。驚きと困惑に満ちた瞳。それを感じつつ、クレナは自分の決意を口にした。


「どんなに時間が掛かったとしても、わたしは帰りたい」


 体の底から溢れ出してくる不安を懸命に拳で握り潰す。


「これが神様が与えた試練なら、足掻いてでも……わたしはわたしの世界に必ず戻ってみせます!!」


 クレナはふたりに向かい小さく頭を下げた。


「助けていただいてありがとうございました……では失礼します」


「クレナさん、待ってください!」


 玄関へと体を向けたクレナに、ヨンギは慌てたように駆け寄る。


「じきに日が暮れます。今晩はここに泊まっていってください」


「ヨンギ! お前はまた勝手に」


「夜に出ていかせたら、またあいつらに狙われてしまう!」


 ヨンギは反論の声を瞬時に跳ね退けた。また舌打ちして、アランは顔を背けてしまう。どうやら、ヨンギに強く言われるとアランは反抗できないようだ。見た目は同い年だが、関係図的にはヨンギが上司と言ったところか。アランは子供みたいないじけ顔をしながら、先ほど自分で淹れた珈琲を飲み始めた。


「そういう訳で、今日はとりあえずここで休んでいってください」


「けど……」


「明日近くの町まで送っていきますから」


「町もあるんですか?」


「ええ。天界の庭ヘヴンリー・ガーデンは大きく5つの区域に分けられ、その中に小さな村や町が存在します。ここは“はじまりの地イニティウム・テッラ”と言って、この世界に来た人たちが必ず訪れる場所なんです」


 また穏やかさを取り戻し、ヨンギは優しく微笑む。


「僕とアランは、その人たちに説明と案内をするのが役目なんですよ」


「それが“護衛隊カンボーイ”なんですね」


「はい、そうです。五つの区域に2組ずつ待機して、神の代わりに町を管理し……守護しています」


「その護衛隊カンボーイって神様が決めたんですか?」


「みたいなものですかね」


 気付くと、キッチンから出てきたアランが直ぐ側まで寄ってきていた。顔は相変わらずだったが、よく見ればかなりのイケメンだ。どこかの異国の王子様だと言われたら、誰もが納得してしまうだろう。口を開かなければの話だがと、クレナは密かに思った。


「僕とアランは志願者なんですよ」


「え?」


「この役目は誰にでも出来るわけではありません。犯罪歴のない真っ当な人間……尚且つ、ここから出ることを断念した人間のみ」


 驚きの真実を聞き、クレナは目を見開く。


「因みに僕は死んでますよ」


「え……死んでるって」


「成仏する気がなかったので」


 そう言ってヨンギは明るく笑った。だが、先ほど見たヨンギの悲しげな表情が頭を過ぎる。きっと、何かしらの事情があるのかもしれない。わたしと同じように来た人間なのであれば、背負うものは一緒の筈だ。大きな後悔と強い未練があったからこそ導かれる世界なのだから。


「アランさんは、どっち側なんですか?」


 気になって、つい聞いてしまった。

 だけど、間違いだった。直ぐ様、アランは怒った目付きに戻る。


「お前に教える義務はない」


 そう言われると思ってましたよ。

 と、クレナは心で嫌味を呟く。


「気にしないで下さい。アランは誰に対してもああなんですよ」


 アランは何も言わずに、廊下を出て直ぐの階段を上っていってしまった。それを見届けたタイミングで、ヨンギの手が背中を叩く。


「今日は疲れたんじゃありませんか? 二階に空き部屋がありますから、そこで休んでください」


「すみません」


「着替えも用意できますし、お風呂は一階の奥にありますから自由に使ってください」


「何から何までありがとうございます、ヨンギさん」


「いえ、お礼なんていりませんよ」


 ヨンギのような人が案内人で良かったと、クレナは心底思う。紳士的な対応をしてくれるおかげで、それなりに落ち着いて話も聞けた。不安だった心も、最初の時よりは和らいだ気がした。

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