Saelum 03

 彼らに付いていくと、森から出て直ぐの場所に二階建てのコテージがあった。中は木の香りに溢れ、さっきの出来事が夢だと思えてしまうほどの落ち着いた空間が広がっていた。柔らかなソファに座って待っていると、目の前のテーブルに暖かな紅茶が注がれたカップが置かれる。


「どうぞ。温かいうちに召し上がってください」


「すいません」


「いえ」


 にっこりと優しく笑顔を作る彼とは正反対に、金髪男は未だに納得がいかないような不機嫌面で壁に寄り掛かっている。


「そういえば、名前も名乗っていませんでしたね。失礼いたしました」


「いえ、わたしの方こそ」


「では改めて……僕は李・勇気イ・ヨンギと言います。ヨンギと呼んでいただいて結構です」


(もしかして、韓国人? 日本語上手だな)


「それと、あっちはアラン=クラム=クラウン。長いからアランと呼び捨ててください」


 ヨンギの一言がかんに障ったのか、いっそうアランの顔が険しくなる。そして、クレナに鋭い睨みを向けていた。


(ああ、なんとなく分かった。きっと名前を呼ぶなって言いたいんだろうな)


 クレナはそっとアランから目線を逸らす。


「無愛想な奴ですが、根はそれなりに良い奴ですから」


「腹黒のお前にだけは言われたくない」


「腹黒は失礼ですよ」


 アランの言葉を笑顔で受け流し、ヨンギは向かい側のソファに腰を下ろした。


「それではもし差し支えなければあなたのお名前もお聞きしたいのですが」


「あ、はい……柚木 クレナです」


「クレナさん……ですか。さっきは驚いたでしょう?」


「はい。今もまだ何がなんだか」


「それもそうです。何も知らずに来たのですから」


 ヨンギは紅茶を一口飲むと、笑顔から真剣な面持ちへと表情を変えた。


「では説明に入りましょうか。まず、ここは“天界の庭ヘヴンリー・ガーデン”と言って、クレナさんが居た世界とは時間も時代も少々異なる場所と言うべきですか」


「異なる?」


「クレナさん、覚えていますか? さっきアランがあなたに“どっち”と聞かれたことを」


「はい」


 不意にアランと目が合ってしまう。今度は睨んでいる様子はない。しかし気にする間もなく、ヨンギは続けた。


「この世界では2種類の人間が存在します」


「2種類?」


「簡単に言ってしまえば、生者と死者のどちらかです。ここではその2種類の人間が共存し合っている。あの世とこの世の狭間の世界……それがここ天界の庭ヘヴンリー・ガーデンなのです」


 クレナの脳裏に蘇る最後の記憶。

 背筋に冷たいものが走った。


「なら、わたしは死んだってことですか?」


 その問い掛けにヨンギは困ったように眉を下げ、小さく微笑む。そして、とても申し訳なさそうに答えた。


「大変申し上げにくいことなのですが……クレナさんがどちら側なのか、それは僕たちにも分かりません。ただ言えるのは……ここへ来てしまった以上、抜け出すのは困難だと言うことです」


「そんなっ!!」


「因みに、あんたは何があってここへ来た」


 だんまりだったアランが喋り出し、取り乱しそうだった心をなんとか押さえ込んでクレナは口を開いた。


「わたしは仕事帰りに階段から落ちてしまって」


 ここで違和感に気が付く。階段から本当に落ちたなら、どこか怪我をしていてもおかしくない。なのに、怪我もしていなければ痛いところもないなんて明らかに変だ。さっき転んだところを確認してみるも、傷ひとつ付いていない。


「わたしは、あのまま死んでしまったんでしょうか?」


 だとしたら、もう戻れない。一瞬、最悪な結末がクレナの脳裏に過った。


「まだ決め付けるのは早いと思うが」


 意外なアランの発言に、俯き掛かっていた顔を上げる。


「事故に遭って昏睡状態となった人間も一度はここへ導かれる。確かにここから抜け出すのは困難だが不可能ではない」


「本当ですか!?」


「何年も経って昏睡状態から目覚めたっていう人の話は稀に聞くだろ」


「なら、わたし帰れるんですね!」


「勘違いするな。お前がもしも生者側だったらの話だ。そもそも生者がもとの世界へ帰れるのは奇跡に近い」


「それでも方法はあるんでしょ? 不可能じゃないって言うくらいなら、何か戻れる方法を知っているってことなんじゃないんですか!?」


「悪いが帰れる方法なんて俺たちは知らない」


 密かに抱いていた希望はばっさりと切り捨てられた。泣きそうになる自分に耐え、クレナはヨンギに目を移す。彼は申し訳なさそうにクレナを見つめ言った。


「そこが困難な理由なんです。しかし、理由はそれだけではありません……実はこの世界へやって来る人達には共通点があるのです」


「共通点?」


「それは、深い後悔と強い未練です」


 ヨンギはクレナから窓へと視線を移す。外の様子がよく分かる程の大きな窓からは、先ほど自分たちがいた森が一望できた。景色を見つめるヨンギの瞳はどこか寂しげで、悲しそうに映る。

 暫くして、深呼吸をしたヨンギはまた話し始めた。


「死者側の人間の多くが強い未練を残したまま命を落とし、それによりこの世に留まれず、あの世にも逝けずにここへ辿り着く。そして生者側もまた、同じように何かを背負い生きている」


 そこで話を切ると、ヨンギは徐に立ち上がった。


「ですが、クレナさんが本当は死んではおらず……肉体を残したまま魂だけがここへ導かれてきたのなら少々話が変わってきます。肉体から魂だけがここへ導かれるのは非常に稀なことなんです」


「そうなんですか?」


「生者は全員、肉体ごとここへ導かれます」


 ヨンギはソファの後ろにある棚の引き出しから紙とペンを取り出す。


「クレナさんはご存じですか? 神隠しを……」


「神隠しって、あの神隠しですか?」


「そうです。神隠しは実在します」


 もとの場所に戻ってくると、クレナに見える位置に紙を広げた。そして、紙にペンを滑らせていく。


「突然人が消えた……そんな話は今も世界中にあります」


「今もなんですか?」


「クレナさん、現実世界で行方不明者が年間何人いると思いますか?」


「一万人……くらい?」


 突然の質問に戸惑いつつも、クレナは質問に答えた。


「それ以上です」


 ヨンギの声は至って冷静だった。その冷静さが逆に嫌な予感を引き立てる。


「突然姿を消す人は年間およそ九10万人以上。これを見てください」


 先ほど書いていた紙を目の前に差し出された。

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