ep004.「少女と煙草とシガーキスと」

 有栖がせっかく安神沢まで来たのに、住むところがないと困るという事でアパートの部屋を探すことになった。安い部屋を一通り見て、目に止まったのは普通のアパートだった…のだが。

よく注意して見てみると、それはシェアハウスだった。しかも有栖と茉莉は相部屋であるという。


「シェアハウス...、同棲??」

 それを聞いた茉莉はうまく状況を読み込めず、火照って赤面していた。男子と泊まった経験すらないが、同性と同じ部屋で寝泊まりするとは聞いていない。


 茉莉は仕方なくも、じっくり考えた末、渋々受け入れることにした。アパートはリリエンタールから徒歩3分のこれまた閑静な住宅地の中にあった。有栖が手配してくれたから良いが、一応家賃を調べておくことにした。2万から3万と東京に住んでいた頃の公団住宅と比べたら、破格の安さだった。東京に住んでいた頃の公団住宅は、下町だったので、都心の大手ゼネコンが手掛ける新興のマンションよりかは安価ではあったものの、8万は下らなかったからだ。


 しかし何時いつまでも他人に生活費を捻出し支援してもらうわけにもいかないので、茉莉はアルバイトを探すことにした。住むところもなくただプラプラしているだけでは何も出来ないだろう。とは言えど立ちんぼうや風俗、援助交際などに手を染めるわけにもいかない。どうにか手を汚さず楽に稼げる仕事はないのかと考えた。


そう思った茉莉はリリエンタールに来た。

「おーそうか、茉莉ちゃんもアルバイトをしたいのか」

「はい、でも東京と違ってあまり求人も無さそうだし。まあ自分から家出してここに来た身で言うのもなんだけど…」


「う〜ん、そしたらウチで働いてみない?」

「え?ここで?」

確かにリリエンタールは良い店だが、この閑散とした店で食っていけるかどうかというのは正直疑問である。


「大丈夫!ちゃんと時給は最低賃金以上払うし、研修込みで面倒は見てあげるから!」

と有栖は自信満々な表情で言うが


「本当に信じて大丈夫ですか?」

と茉莉は半信半疑で返す。


「勿論!」

不安も混じるが、彼女の顔に悪意はなさそうだ。茉莉はリリエンタールで働くことを決めた。エプロンのサイズを採寸し、名札も作ってくれた。


初日は花咲里の実家で、別部屋を用意してくれてそこで一夜を明かしたが、それも長くは続けられないということだそうだ。とりあえず、職と住を手に入れたことは茉莉にとって喜ばしいことだった。これで前の生活からまたひとつ縁を切ることが出来た。


   ◇    ◇    ◇


朝8時に目が覚めた。リリエンタールの開店時間は正午からなのでもう少し寝ていていいかとも思った。先代の時までは夜間営業も行い、ジャズバーとしてもやっていたそうだが、今では見る影もなくなっている。それはそうと茉莉としては先日飲んだコーヒーが忘れられなく、自動販売機まで買いに行くことにした。自動販売機はアパートから南東に位置する薬局にあった。表通りから外れているとはいえ、朝の人気ひとけのない街の空気は心が洗われる感じがして落ち着いた。


電波塔と病院、雑居ビルに囲われた交差点を右に抜け、開店前の薬局の路上に面した自販機でブラックコーヒーの缶を買い、一口飲む。リリエンタールのブレンドコーヒーとは違いストレートにガツンとくる苦味だったが、後味はスッキリしておりこれが100円で飲めることに僅かながら感謝した。眠気に覆われていた頭もシャキッと冴えてくる気がした。


アパートの部屋に戻ると、有栖は部屋におらずベランダで佇んでいた。見ると手に握って何かをしているようだった。


「有栖ちゃん何してるの?」

「ん?茉莉ちゃんも煙草に興味あるの?一緒に吸ってみる?」


「いや私まだ未成年なんで...遠慮しとくよ」

「そんなこと言わずにさぁ」

「それより、そもそも何で有栖ちゃんも吸ってるの?まだ二十歳はたちじゃないでしょう?」


「そんなことはいいの!」

「とりあえず、これ一本あげるから。火はアタシがつけるよ。それともシガーキスがお好み?」

 と言いながら七海が取り出した煙草は、『EmpowermentエンパイヤメントOmegaオメガ』だった。ニコチンは0.7ミリ、タール量が9ミリと女性が初めて吸うには中々にヘヴィな代物だ。白地に深いブルーのパッケージが目を引く。


 茉莉は渋々タバコを口にくわえた。七海はプッシュ式電子ライターをカチャカチャいじり点火して茉莉がくわえるタバコの先にくっつけて火をつけてあげる。


 フィルターから煙が出て慌てて吸う。煙が徐々に口の中に染み込んでいく。

「ケホッ、うぅ...苦い。だけどそれが逆に美味しいかも」

「お?煙草の苦さの魅力に気づいちゃったのか。茉莉ちゃんも大人だねぇ~」


「でも煙草って肺が汚れてくんですよね...私まだ若いのに」

「大丈夫だよ、清肺湯せいはいとう飲めばスッキリするから」

「ほんとですか、それ...」


茉莉はそう言い、壁に黄昏れて空を見上げた。

吸っていくうちに吸い方も分かってきたのか、茉莉は吸っては手から離し煙を眺めながらまた口に咥えるのを繰り返す。煙草のさきっぽも燃えて灰になり、そして地面に散っていく。


「あ、もう短くなった」

「そしたら、靴で踏んで火を消してあげるの」

「あ、はい」

言われたとおりに茉莉は、隣で有栖がそうするのを真似してサンダルで吸い殻を踏みつけながら、火が消えるまで押し付ける。


そして吸い殻を拾って、ベランダの端にある赤い灰皿に放り込む。


部屋のラジオからは朝のニュースが流れており、春闘の賃上げが過去最高水準に達するも尚、物価の高騰には十分追いついていないこと、国と民間で開発しているM4ロケットは当初の予定通り打ち上げられること、日本企業が買収を提案している米国の製紙企業の労働組合が反対運動を展開し訴訟に至ったことなど、自分が実家にいなくても別に世界はいつも通り回っているんだなと思った。


ニュースが終わると、締めに音楽が流れてくる。流れてきたのは谷村有美の「6月の雨」だった。


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