第9話 関わらないで

 どうやら日夏は自転車通学じゃないみたいだった。そのため、自転車通学している俺は、自転車を押して歩く。


「日夏はバス通学なのか?」


 正門を出る時、カラカラと自転車のチェーンの音と共に質問を投げる。


「違うわよ。家はここら辺なの」


「めっちゃ良いじゃん」


「ふふふ。八時過ぎまで寝ていられるわよ」


「羨まし過ぎるぞー」


「これが勤務地と家が近い最高のメリットね」


 学校を勤務地というのは彼女のクセなのか。一足先に社会に出て活躍した人だから、わざわざツッコミを入れる必要はないか。


 つうか、この子ったら、見た目めっちゃ優等生なのに、そんな時間まで寝ているんだな。すげーギャップだわ。


「そういや、日夏は中学の時は東京だったんか?」


「違うわよ。ずっと高槻に住んでいるわ」


「仕事の時は?」


「高槻から通っていたわよ」


「新幹線通勤かよ。それなら東京に住んだ方が良かったんじゃないか?」


「東京に行くか、高槻に残るか、親と相談したの。東京に行くなら親も仕事があるから一人暮らしになってしまう。正直、この年齢で一人暮らしは不安だったの。だから高槻に残って両親と暮らすことに決めたわ」


 ふっと自虐的な笑みを浮かべる。


「結果としては東京に引っ越さないで正解だったんだけど」


「すげー反応に困るんですが」


 こちらの困惑の声に日夏は、「ごめんなさい。気にしないで」と笑いながら話題を変える。


「それで。今日はどこへ連れて行ってくれるの?」


「家がここら辺だったらどうしようか。ここら辺でゆっくり腰を下ろして話せる場所ってある?」


「ここら辺は住宅街だから、そんなお店ないわよ。別に、駅の方まで足を伸ばしてファミレスでも大丈夫」


「おいおい。天下の出雲琴様がファミレスなんて行って良いのかい?」


「や、めちゃくちゃ行きますけど。ファミレス大好きだし」


「うそ?」


「ほんと」


 あの出雲琴がファミレスに出没するなんて。庶民派の歌姫とか、めっちゃええやん。


「一生ファンをやります。出雲琴様」


「ファミレスに行くってだけで、四ツ木くんの頭の中でなにがあったのよ」


 くすくすと笑いながら言われてしまう。


「でも、駅前に行くなら良い店を知っている」


「へぇ。期待してるわね」


 日夏の期待に応えるためにやって来たのは、駅の南にある、屋根のある商店街。アーケード商店街ってやつだ。


 トコトコとアーケード商店街をふたりで歩いて行く。商店街の真ん中辺りにあるお店。ちょっぴりレトロな雰囲気のカフェへと辿り着く。


「season?」


 日夏が店の看板の文字を読んで首を傾げる。


「春夏秋冬いつでもお店に来てくださいとの意味が込められているんだよ」


「素敵ね。──ん?」


 日夏が違和感のあるような声を出す。


「四ツ木くんがなんでそんなことまで知っているの?」


「まぁまぁ。そんなことは置いておいて、中に入ろうぜ」


 歴史を感じるドアを開けると、カランカランと鈴の音が店内に響き渡る。


 店内は、少々のテーブル席と、L字のカウンター席がある至ってシンプルな造り。


 カウンターの奥ではコップを拭いている白髪をオールバックにしたマスター。どこにでもありそうな王道的なカフェ。


「いらっしゃい」


 カウンターにいるマスターがこちらに渋めの微笑みを送ってくれる。


「おや。世津じゃないか。今日はシフトじゃないだろうに、どうかしたのかい?」


「シフト?」


 日夏がこちらに疑問を投げてくるので正直に答える。


「ごめん。ここ、俺のバイト先。あちらは俺の祖父の四ツ木義之よつぎよしゆき。こちら、クラスメイトの日夏八雲さん」


「どうぞ、お見知り置きを」


 じいちゃんが日夏に紳士的に頭を下げると、日夏も軽く頭を下げた。


「こんばんは」


 簡単に自己紹介を済まして、適当なテーブル席に腰かけると、正面に座った日夏が先に口を開く。


「『良い店を知っている』ねぇ」


 ジト目で見られて慌てて頭を下げる。


「女の子を自分の働いている店に連れて行くだなんて、デートの知識が浅くてださい男ですみません」


「素直に謝ったからよろしい」


 簡単に許しを貰うと、彼女は店内を見渡しながら言ってくれる。


「でも、うん。こういう個人経営のカフェって入らないから、なんだか新鮮。とても素敵なお店ね」


「気に入ってくれたなら良かったよ」


「また今度、四ツ木くんが働いてる時に来ようかな」


「働いてる姿を見られるのは恥ずかしいな」


「よし、わかった。働いてる時に来るとしよう」


「話し聞いてました? キミ、Sなの?」


 店内に流れる昭和レトロな曲を聴きながら、彼女と内容もないような話しで笑い合う。


「どうぞ。サービスコーヒーです」


 じいちゃんが、日夏へコーヒーを持って来てくれた。


「良いんですか?」


「もちろん。いつも孫がお世話になっているお礼です。それに美しいレディーにサービスするのは紳士として当然ですよ。遠慮なくどうぞ」


 恥ずかし気もなく歯の浮くセリフを並べると、祖父はカウンターに戻って行った。


「紳士的なおじい様ね」


「あんな歯の浮くセリフをサラッと言えるなんて、我が祖父ながらすげぇよ」


「四ツ木くんがあんな素敵な紳士になる未来は予想できないわね」


「どんなじいさんになると思う?」


「屁理屈こねる、拗ねたおじいさん」


「日夏の中の俺の印象ってどうなってんだか」


「今のところは、言葉の揚げ足を取って好きな女子をからかう男子って印象」


「最悪ってこと?」


「そうとも言うわね」


 くすくすと笑いながらコーヒーを一口飲む。その姿はまるで芸術品のように美しく、間近で見ていると吸い込まれそうになる。


「なに?」


「いや、綺麗だなって」


「そういうところよ。私からの印象が最悪なの」


「印象が最悪なのにデートしてくれるんだな」


「そういうところよ。私からの印象が最悪なの」


 こりゃなにを言ってもだめみたいだ。


「それで。話ってなに?」


 ここまで、うだうだと寄り道のような会話をしていたが、ようやくと彼女から本題を振られる。


「日夏。『シンデレラ効果』って知っているか?」


 尋ねると日夏がピタリと止まった。二秒くらいしてからコーヒーカップをテーブルに置く。


「ええ。知っているわ。芸能界でもちょっと話題になってたから」


「知っているなら話が早い。もしかしたら、今の異常事態はシンデレラ効果が関係しているかも知れないぞ」


「四ツ木くん。芸能界でいきなり人気が出て、いきなり消えるってことは日常茶飯事よ。頭ではわかっているけど、実際、自分がその立場になったら認めたくない芸能人が言い訳として使っているだけ。私みたいなね」


 日夏は少しばかり悲しそうな顔をした。


「噂じゃ、掲示板に該当する人物の名前を書けば消えずに済むって話しよね」


「俺もそう聞いたな」


「実は私も探してみたのよ。もしかしたらって……。でも、ダメだった。大量にある掲示板から自分の話題が上がっている掲示板を探し出すなんて無理。だったら、実力で示す。そう思って、ミナミと高槻。そして、梅田で歌ってみた」


「結果は俺だけにしか届かなかった……」


「大都会で歌ってあの結果じゃ、ただの実力不足。シンデレラ効果なんて関係ないよ。そんなものはただの言い訳に過ぎない」


「いや──」


「四ツ木くん」


 こちらが否定しようとしたところで、悟るような声で被せて名前を呼ばれてしまう。


「四ツ木くんが今も私のファンなのは本当に嬉しい。でもね、あれが現実なの。四ツ木くんが見たあの光景が答えなのよ。良い機会だったわ。もう、私は歌うのをやめる」


 最後の消え入りそうな声を聞いて、俺は黙っているわけにはいかなかった。


「歌うのをやめる!? それってのは引退するってことか!?」


「そういうことになるわね」


「待ってくれよ! 俺は、俺は……! 出雲琴の歌に救われたんだ。出雲琴の歌がなかったら今の俺は存在していないんだ! だから、歌うのをやめないでくれよ!」


 こちらの懇願するような声に対し、彼女の眼鏡の奥の瞳はとても冷たくて、夏だというのに凍えそうになってしまう。


「たかだか一人のファンのために自分の人生を捧げるほど、私の歌は安くない」


 冷たい声は出雲琴とは思えないほどに冷徹であった。


「だからもう、私には関わらないで」


 最後にコーヒーを飲み干すと、日夏は立ち上がり去ってしまった。


「なんだよ……それ……」


 カランカランと無常に響くドアの鐘の音の後、じいちゃんが日夏の飲んでいたコーヒーカップを回収に来る。


「世津。女性ってもんは遠回しに言うもんだ。あの言葉が彼女の全てと思ってはいけないよ」


 後半の方は少し音量が高かったから、じいちゃんの耳にまで届いていたみたいだ。


「そう、なのかな」


「ああ。きっと彼女は不安でいっぱいなんだ。どうして良いかわからない状態と言えるだろう。そんな時に手を差し伸ばしても彼女には届かない。救いが欲しい時に寄り添ってあげなさい」


 じいちゃんの言葉が深く自分に刺さった。

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