第26話 恐怖

「レオンハルト! あなたは次期侯爵であるエドガーをこんな目に遭わせてなんとも思わないのですか!?」


 ベネディクタが嗚咽するエドガーの背中を摩りながら吠える。


「思うこと、ですか? むしろ穏便に済ませたので感謝してほしいくらいなのですが?」

「か、かんしゃ!?」

「お、お前はなにを言っているんだ!?」


 ベネディクタ、アルトゥルが目を剝いてオレを見る。その顔には、まるで未知の魔物の遭遇したような恐怖がありありと浮かんでいた。


「私にかかればエドガーを殺すなど容易いという話ですよ」

「こ、殺す……!?」


 泣き崩れていたエドガーが、ビクリッと体を大きく震わせた。


 初めてその事実に気付いたと言わんばかりの態度に溜息が出そうになる。


「いいか、エドガー? お前の小指を燃やすよりも殺した方が何倍も楽なんだ。小指で許してやったオレに感謝するといい」

「ひぃいいいいいい!?」


 エドガーはベネディクタに抱き付き、悲鳴をあげる。


「レオンハルト、お前は――――」

「そもそも!」


 オレはアルトゥルの言葉を敢えて遮って話し出す。


「今回は一方的にエドガーからケンカを売られたのが発端だ。そして、エドガーは以前の警告を無視してセリアを求めた。オレはこれに罰を与えたに過ぎない。今回の件はエドガーの自業自得ですよ」

「お、お前は! 次期侯爵であるエドガーよりも奴隷ごときが大事だとでも言うつもりなの!?」


 なにを今さら……。


「母上、当たり前のことを聞かないでください。ついでに言えば、父上や母上よりもセリアの方が大事ですよ? あなた方はもうオレを捨てた身でしょう? オレを捨てておいて、なぜ自分たちは捨てられないと思っているんです?」

「…………」

「そんな、そんなことって……。あなた狂ってるわ……」


 悲痛な顔で沈黙するアルトゥルと、明確にオレに恐怖を抱いた顔をしたベネディクタ。


 エドガー? エドガーならベネディクタのふくよかな腹に顔を埋めてるよ。


「レオンハルト、お前を嫡子から外したことを恨んでいるのか?」

「いいえ、父上。恨んではいません。私は侯爵の地位に興味はありません」

「そうか……。仮にだが、私がお前の奴隷に手を出したら、どうする?」


 アルトゥルが変なことを訊いてきた。


 気でも触れたかと思ったのだが、アルトゥルの表情は真剣そのものだ。


「消しますよ。跡形もなく」

「なるほど。レオンハルト、お前の言い分はよくわかった。下がっていい……」

「はい、父上。失礼します」


 オレはアルトゥルの執務室を後にした。



 ◇



「ふぅ……」


 レオンハルトが素直に出ていった執務室。そこで私、アルトゥルは太い息を吐いた。もしかしたらということも考えたが、どうやら虎口を脱したらしい。


 しかし、私を見たあの目。まるで道端に落ちている小石でも見ているような目だった。


 そんな目で見られたというのに、私は怒りではなく恐怖に支配された。


 そして、ドミニクの進言を思い出す。


『旦那様、レオンハルト様は逸材です。バケモノと呼んでもいい。次の御当主にはレオンハルト様がよろしいでしょう』


 嫡子から外されたレオンハルトを憐れに思った老人の戯言だと思っていた。しかし、レオンハルトをバケモノと呼んだ意味が私にはようやくわかった。


 レオンハルトが一瞬だけみせた素養の無い私にも感じた圧倒的な存在感の差。


 火の魔法しか使えないレオンハルトなど、水の魔法が使える私なら簡単に倒せるはずだ。


 火は水には勝てない。


 属性の相克関係がそれを証明している。


 だが、それなのにエドガーは負けた。


 圧倒的な力でねじ伏せられたのだ。


 きっと、私もレオンハルトに歯向かえば同じことになるだろう。


 それほどまでの圧倒的な差。


 勝てないと心の底から思わされた。


 そして、侯爵の地位にも興味を示さないあの異常な精神性。あれは必要ならば我々をすべて燃やし尽くすだろう。


 怖い。


 私は恐怖を感じていた。


「ベネディクタ、エドガー、レオンハルトとその奴隷には今後一切手出し禁止だ」

「父上……」

「あなた!? あなたはこれほどコケにされて手を引くというのですか!?」


 ベネディクタが私に噛み付くように吠える。だが、その声は震えていた。虚勢を張っているだけだ。


「そうだ。手を引く。こちらからは一切関わらない。ベネディクタ、本当はキミだって怖いんだろ? その恐怖に従うべきだ」

「ですが、あなたはクラルヴァイン侯爵ですよ!? あなたの権力を使えば……」

「レオンハルトは侯爵の地位に興味示さなかった。私の権力などあれにとっては必要ないものなのだ。邪魔になればさっさと消されるだろう……」

「そんな……」

「父上、私の指は……?」


 エドガー……。まだそんなものに拘っていたのか。


「諦めろ、エドガー。これ以上あの奴隷に興味を示すな。今度は殺されてもおかしくない」

「殺される……」


 エドガーは呆然としていた。自分が殺されるなど夢にも思わなかった顔だ。


「はぁ……」


 こんなに鈍い奴が嫡子だと?


 クラルヴァイン侯爵家も終わりかもしれない。


 いや、まずはレオンハルトへの対処が先だ。私はもうあれに関わりたくもない。だが、不興も買いたくない。


 そのためには――――。

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