第3話
中心線。センター。軸。エトセトラ。人間の身体や、あるいは心のあり方の中心を定義する表現。色々とあります。
「あなたの軸はなんじゃらほい?」という具合に。あるのですが、ではまず実際にそれを正確に認知、認識するのはどうなのかという。
難しい。
厳密に把握するとなるとやはり、難しいです。
私の知る限りでは、武の達人と称えられる方がそれでも、生涯を通して追求されるものと認識しておりますので。
ですが、けれどもそこがあやふやなままでいると自分というのもあやふやになって、なんだか落ち着かない。人のややこしいところですね。もやもやとして、訳の分からないおかしさを覚えてしまう。
こういう場合のおかしさは笑えないので、どういった角に当たるかは分かりませんが恐らく、福は来ないだろうなと。そう考えます。ままならない。
今回はそういうお話です。
自分の事もままならない。分からない。なら、他人の事が分からないのも当然なのかもしれません。
「わかんねえー!」(私事ですが、こういう、衝動的な表現は実は意味がないです。でも気分が上がります。なのでこれからも多用して参りたいと思います。どうか宜しくお願い致します。るんるん♪)
なのであらためて、おさらいするというのがいい機会かもしれません。人生は短いようで長い。急がば回れ? 日本の通貨もあながち、と(知ろうと裸足か。いや、素人が)……。
さてさて。
まずは骨格と体格。全身の骨格が、筋肉の肉付きによって、自分の中心を感じるという感覚に誤差を生じさせてしまう。恐れがある。
骨格=骨。体格=肉。こうして書くとなんだか身も蓋もないないですが、曖昧であったなら中心がぼんやりしてしまう。
奴は大切なものをぼんやりさせました。あなたの軸です。
余談ですが、ゆるんだり、柔らかくなれないというのも生存欲求なのかもしれません。根元的な欲求はどうしても、緊張を生みます。
“実態の食い違った幻のようなものに、翻弄されてしまう”、とでも申しましょうか? 現実の現象と脳のビジョンとの解離、それぞれの関係性にへだたりを生んでしまう。現実とのへだたり。それは人類という社会性の存在にとって、ある種の疎外感を孕みます──。
ハラミ……。焼肉……。ランチ……。ごくり。
ええ、失礼致しました。話を続けます。
──何事においても『戦うor逃げる』といった、脊椎反射的な反応をしてしまう。そうなると友好から遠ざかってしまう。危機に直面した時に逃げるか戦うか。シンプルではありますがでも、社会生活をおくる上では困ってしまう。ゆくゆくは、自他共に、ある種の疎外感を覚えてしまう。
脳内でも無意識の領域で、歪みを生む。定着してはっきりとした型になってしまうとそれは、被害妄想となる。恐れがあります。本当に、さまざまな事がぼんやりしてしまう。
※ここで、切れ味の深い感じで社会現象を例えに唱えようと思いましたが、やはり恥をかくのが怖いので止めておきます。
悪しからず。さてさて……。
主観と欲求と、あと身体の機能性の都合でどうしても、筋肉的にとらえてしまうところがあるので、肉体の都合、さらには骨格の都合という(ものがあるという、その前提で)ものがあやふやになってしまう。
パワーこそ力。あくまでも私の認識ですが、その発生の起点となるのが筋肉ではないかと。なので、筋肉の感覚が優勢されてしまうのは仕方ない部分もあります。
肉体の出力が筋肉なのだから。ただ、あまりにもそこへ片寄りが生じて鈍感にあったなら、不都合を生じさせるのも仕方ない。骨格という基盤を前提にした肉体のプロセスが、食い違ってしまう。
「あいつ(骨)の事も見てやれよ……」
ぜんぜん関係ないですが、そういうタイトルで新曲が書けそうです。やる気がみなぎ、げふん。バズ。うふ……。
失礼。
なんとなく今、思い浮かびましたが、中心の軸と基礎と外観、まるで家みたいですね。※私の知る限りですが『軸』とは、物理的に存在する訳ではない概念。適切な姿勢の上で感覚的に実感する、“何か”というものです。
建築?
ちなみに、私の見識がまだ甘いのでなんだか、へこたれた表現になってしまって申し訳ないのですが、肉体の物理的な働きの結果、内側に自ずと感じる“何か”という認識でおります。恐縮です。
さてさて。すみません。続きます。
あっちこっちと、とっちらかってる文体のついでに書きますが、中心というものは現実理解や精神発達、空気を読むなんていう能力にも関係してきます。対象をとらえる。距離感を図る。性質を理解する、といった脳機能の働きとして。
あるいは、全身に存在する無数のセンサーが脳へと、しかるべき情報を絶えず送っていて、その結果がビジョンとして表出されるというのが、認知機能のレベルで起こる理解。とはいえ、誤認してしまう事の方が多いのかもしれません。
主観というのはなかなか、難しい奴で。現在の出来事ではなく、過去の体験で獲得した情報に流されやすいので。
なので、思い込みや愛着を一旦、わきに避けて、あらためて自分と向き合うといあのも、必要なのかもしれない。
身体が資本。自らの中心を実感して、肉体が適切なコンディションに保たれていたなら、それに見合った脳の認知機能、認識機能、思考能力というものが発揮されるのではないかと思います。
余談ですが、宮本武蔵の五輪書。ビジネスマンの愛読書としても、親しまれているとかで。自らの能力、戦略性や心のあり方という部分と向き合うのに望ましい良書として広く長く、愛読されているようです。
ただやはり、数百年の時を超えて現代になを残す剣聖が執筆された本なので、身体の機能性というものをある程度、把握されている事が前提にあると思います。五輪書。
もしも読まれる機会があったなら、人間の肉体の運動性。細分化されたバイオメカニクスという観点からとらえらというのも、面白いかもしれません。
さらに余談ですが。どうやら私は、読む人の受け取りかたを考慮せず一方的に、書きたいことを書いてしまう癖があるようです。にもかかわらず、最後までお読みいただきましてありがとうございました。
本当にありがとうございます。ますますの精進に励みたいと思います。
それでは失礼致します。
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